不甲斐あるごはん
私は自分で作るごはんが好きだ。こんなこと言うとナルシストみたいだけれど、ナルシストでけっこう🐓。家で自分で作ったごはんを好きになれれば、これほどたくましいことはないと思う。
食材はありがたいことにスーパーで買わせてもらっているけれど、食材で何を作ろうかな?と考えて、順番を考えて、下ごしらえをして、火を通して、、、という過程をくぐりぬけて、食卓で自分が用意したごはんを食べていることが、とてつもなく自信をくれる感じがする。
先日、しばらく実家に帰っていた。気が付けば実家を出て10年経つのに、今でも実家に帰れば光の速さででろーんとくつろぎ始められることに驚く。こんなに大人になっても、やっぱり親の前では子どもで、最近の出来事をぶわーっと一方的に話したり、使ったコップを色んなところに置きっぱなしにしたりして、あきれられた。
東京にある自分の家では、割と大人としてふるまうのに(コップはちゃんと洗って元の位置に戻します)、実家の何がこんなに私を子どもにするんだろう、と思ったときに、食事が大きいのではないかとおもった。
私の母は、かなり料理をする人だ。3人の尋常じゃない食欲の子どもを育てた結果、ついついたくさん作ってしまうクセが抜けないらしい。品数が多く、小鉢に値するものが3つくらい出てくる。メインも2つくらいある。食後にはデザートも出てくる(これは私がせがむから)。
どれも食べなれた味でそりゃあ美味しくて、ごはんも炊き立てで、文句なし。大したお手伝いもすることなくごちそうを毎食食べさせてもらい、過ごすこと一週間。私はすっかりこの家の子どもとして王様のように再君臨していた。
でも王様になるとなんだか落ち着かない。自分で自分のことをお世話している感覚がなくて、それこそ本当に子どもになったように感じた。たまには子どもになるのも悪くないけれど、一年中この状態でいるのは危険だぞ、と思った。うまくいえないけれど、どんどん自分を勘違いさせる方向に行く気がした。
実家ではできたてほやほやのごはんが半自動的に出てくるから、自分は自分のやりたいこととか仕事だけやっていればいい状態になる。これは、現実的には必要な労力を、誰かに押し付けてしまって、自分は仕事をバリバリしている風の人として浸っている状態なのでは……
と、本当に子どもだったときには1㎜も考えなかったことに想いを馳せることができるようになったくらいには、大人になった。これを書いている今も、赤ワインを飲み飲み、大人の特権に酔っている。
そんな大人が自分でつくるごはんといえば、テッパンの卵かけ納豆ごはんに始まり、不思議な味の創作パスタや、ちょっと焦げた炒め物など。
時間がたっぷりとあるときには気合を入れて作ることもあるし、そういうものばかりをSNSに載せてまいがちだけど、まあSNSとはそういう場所。
自宅に戻った大人の自分は、自分の作り上げたものを、美味しくても、ちょっと?な味でも引き受けて、食べている。そしてお皿を洗って、ほっと一息ついたときには22時近くなっていたりして、「光陰矢のごとし!!!」と青ざめてお風呂に入る。
こんな生活も悪くないな、明日は何作って食べようかな、と思えている自分がとんでもなくたくましいし、不甲斐ないどころか大いに不甲斐あると思っている。
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