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飽きないごはん


仕事の日のお昼ごはんは基本的に卵かけごはん+納豆でいこう、と決めてからずいぶん長いことそれで生活している。
もちろん毎日ではなく、たまに前日のおかずが加わったり、「冷蔵庫の中身全部入れまスープ」もついたり(なんだそれ)、色々あるけど、平均すると週に3~4回は納豆卵かけごはん。

このゆるいルーティン生活。良い点はいくらでもある。

<納豆卵かけごはんの推しポイント>
・今日は何にしようかな…と迷わない
・火も包丁も使わずすぐできる
・タンパク質も豊富
・毎度たしかにうまい(失敗のしようがない)etc

なにより、修行僧のような気持ちでこのお昼ごはんを繰り返しているのではなく、カレーばかり食べていた世界のイチローを真似しているのでもなく、毎回代わり映えしないお昼ごはんが楽しみで、毎回悶絶しながらうまいうまいと食べている。

なんでこんなに飽きないのかを、しばらく考えた。

話は大きく変わって、昨年の12月、クリスマスに日本橋のあたりをうろついていた。クリスマスだし、お出かけしたいねということで、同居人と、一番近くて賑わっていそうな街に繰り出したのだけど、いまいちピンとこない。何か発見があるかも?と思って、百貨店のデパ地下をのぞく。クリスマスというだけあって、人でごったがえしていた。ショーケースにはパーティ用のお惣菜がここぞとばかりに並べられ、各種チーズの盛り合わせや、シャンパンが勢ぞろい。特大フライドチキンにはリボンも巻いてある。うわあ!すごい!と思うところまではよかったけど、そこで何かがプツンと切れて、「帰ろうか…」と言う気分になった。飽きていた。

たくさんの種類のチーズは普段なかなか食べられないし、お酒もクリスマス用の特別なもので、特大フライドチキンなんて、コンビニのレジ横のものを鰯とすると、大間のマグロみたいなサイズ。全部が非日常なはずなのに、なぜか飽きて疲れて、とぼとぼと帰った。

今考えると、「クリスマスなんだからクリスマスっぽいことしなきゃ損だよね思想」に飽きたんだと思う。チーズやシャンパンやチキンそのものというよりも、キラキラとした「っぽさ」を、うまい組み合わせで、いい感じに買い、悔いのないクリスマスに浸らなければ!と思いつめ、あれ、この毎年の行事、ちょっと辛いかも…?という気持ちになってきた。

フェアに言うと、結局その日は帰り道にいつものスーパーに寄り、少しいいお肉やお酒を買って、確かにいつもとは違う夜ご飯を食べた。私自信、季節ごとのお祝いやイベントは、どちらかというと結構好きな方だと思う。淡々とした日常の間に、たまに楽しみがあるというハレとケのけじめは、健全で、とても大事な考え方だと思う。

ただ、ハレはハレでも、「っぽさ」をうまいこと演出しなければならないという段階までいくと辛い。毎回実体のない「っぽさ」を消費して、それでいて前回よりもより「いい感じ」を求めて、どこまでも満足ができない。「もっともっと!」状態に陥って、デパ地下で途方に暮れてしまった。

話をぐいっと納豆卵かけご飯に戻す。
飽きのこない「納豆卵かけごはん」と、飽きてしまった「クリスマスっぽさ」は一体何が違うのかを考えると、

<納豆卵かけごはん>
・毎度同じ素材(納豆・たまご・ごはん)ときどき+α
・地味
・自分でつくる
・物理的に楽しむ
<クリスマスっぽさ>
・毎回違う素材(デパ地下やクリスマスディナーで食べるメニューは毎回色とりどりの豊かな食材)
・華やか
・社会的に大体こんな感じという「クリスマスっぽさ」が提供される
(赤と緑、マライアキャリー、恋人、フライドチキンetc)
・物理的な食べ物よりも雰囲気先行(聖なる夜に何を食べたかの記憶は朧げ…)

という結果になった。

ここから言えるのは、こんな比較を考えている私はちょっと変だよね、ということではなく(それも甘んじて受け入れるけれども)、パッと見は飽きそうに見えることが実は飽きずに満足できて、一見派手で楽しそうなことは、意外とすぐに飽きてしまうこともあるのでは、ということ。

自炊というと「私は料理が得意じゃないし、レパートリーも限られて飽きちゃうよ」という声をよく聞く。それはもしかしたら「料理っぽさ」を求めすぎているのかもしれない。ごはんと、主菜や副菜、汁物などがあり、お盆に適量ずつ並んでいる「料理っぽさ」。これを追い求めると、いくらレパートリーを増やしても、「もっともっと!」になってしまう。

ここはひとつ、納豆卵かけごはんでどうでしょう。「~っぽさ」という実態のないものではなく、ちょっと垂らした醤油が香って、ネバネバ、ふわふわと物理的な美味しさがあって、食べればお腹いっぱいに満足できる。ちょっと変化が欲しければ、ごま油をかけたり、じゃこを載せたりしても至高。こんなに簡単に自分を満たすことのできるごはん、なかなかないんじゃないの。

という訳で、謎のエネルギーに促されるままに納豆卵かけごはんを熱く語ったけれども、必ずしも納豆卵かけごはんでなくてもいい。そのうち私も、一汁一菜とか、パンとスープとか、芋とサラダとかに切り替えることがあるかもしれない。在宅勤務が終わってお弁当になったら、おにぎりと味噌玉になるかもしれない。

つまるところ、毎日のごはんは「っぽさ」よりも食べ物そのものが大事であり、働く同士たちよ、飽きることを恐れてキッチンから目を背けることなかれ、、、というメッセージでした。

あー長い長い。








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