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9冊目/斜線堂有紀『恋に至る病』

 斜線堂有紀先生が文学フリマに出展すると聞いて、東京流通センターまで足を運んだことがある。今年の五月のことで、記憶に新しい。大好きな作家さんに会える嬉しさに、数日前から私は胸を膨らませていた。だが結論から言おう。私は間に合わなかったのである。私が会場に着いたときには既に、先生の作品はすべて売れていて、撤去作業に入ろうとするところだった。斜線堂先生といえば、小説を出す度に話題を掻っ攫っていく存在であり、その人気は果てしない。好きなのに買えなかった申し訳無さと、絶望で私は動けなくなってしまった。

 私が強ければ、先生に話しかけることもできたのかもしれない。先生の作品は、面白くて大好きです。そんな一言が出てくれるだけでよかった。だけど、どうだろう。商品を買う"場所"がなくなれば、私と先生を結びつけるものなんて何もない。先生の何者でもない私が、商品を売りつくして余韻に浸っているところに話しかけに行ったら迷惑ではないか。卑屈な考えであることは承知だが、その時の私には、先生の元までの数歩が果てしない距離に思えた。話しかけることもできず鬱屈とした気持ちで帰ったのは、想像に難くない。

 私は斜線堂先生の作品が大好きである。そして大好きな小説は、何度読んでも面白いし、表紙をなぞるだけで心躍るものなのだ。引力に引かれるように、今日は斜線堂有紀先生の小説を読む日だと感じ、『恋に至る病』を手にとる。

『恋に至る病』は、自ら手を下さずに150人以上を自殺に導いた殺人犯を描いた物語である。面白いのは、物語の主人公の宮嶺は、あくまで寄河景という女の子を観測するための語り手に過ぎないところだろう。主役は紛れもなく寄河景であり、彼女を巡る物語だと確信できるが、作中で彼女の心中が明かされることはほとんどない。故に読者は、寄河景とは一体何だったのか、と考えなくてはならないのだ。そうこれは、寄河景という人間そのものを謎としたミステリーである。

 誰一人として愛さなかった化け物か、ただ一人だけは愛した化け物か。最初から景は他人を支配する快楽にとりつかれていたのか、あるいは宮嶺を襲った悲劇が彼女を根本から変えてしまったのか。一度読むと物語の印象ががらっと変わるので、二度読むことをおすすめする。

 そういえば都会で蝶を見たことがないです。カーテンを開けたすぐそこに、青い蝶が飛んでいないかと思ったのですが……。

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