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2冊目/辻村深月『冷たい校舎の時は止まる(下)』

 高校3年の、雪が降る日。いつも通り学校に向かったが、集まったのは8人の生徒だけだった。他の生徒や先生がいないことを確認して帰宅を試みるが、扉や窓は凍りついたように固く閉ざされている。冷たい校舎に閉じ込められたのだと知った。

 昨日に引き続き、辻村深月先生のデビュー作『冷たい校舎の時は止まる』を読む。時間がかかるとわかっていたので、朝から読み始めた。物語の終盤に近づくにつれ重苦しい雰囲気になっていくが、爽やかで希望のあるラストの見せ方はいつも通りの辻村先生だった。私は、先生のこういうところがたまらなく好きなのだ。

 本作では8人それぞれの過去が群青劇のように掘り下げられるのだが、とりわけ景子と榊のエピソードは私のお気に入りである。彼らの素晴らしいところは、それぞれ悩みを抱えていても仲間を思いやる心があることだ。彼らの友情が心から羨ましい。冷たい校舎で一人ひとり仲間が消えていく中、彼らの思いを自分のように噛み締めながら見ていた。そうすることで、どう足掻いても手に入らないものを取り戻すことが出来るとでもいうかのように。

 やってしまった酷いことを、ごめんなさいの一言で取り消せるほど誰もが大人ではない。赦し赦されることでしか人は救われないのだと頭では理解していても、それは難しい問題だと思う。私はどうしても誰かを責めることも自分を責めることも間違っているとは思えないし、守りたいものだけを守ろうとする弱さも否定できない。人間が弱いことは、わかっている。人を関わるなら誰かを傷つける覚悟を持て、とはよく言われる言葉だが、いくつ歳を重ねても人の痛みには敏感でありたい。


 小説の中で好きな登場人物に出会った後は、寂しい気持ちになる。学生時代に友達づくりがうまくできなかった私にとって、小説は友達であり、救いである。だから物語を読み終えて、現実に引き戻されるとき、私は自分の過去にどうしても後悔を重ねてしまうのだ。すごくカッコ悪いと思ってしまう。そういうナイーブな気持ちになったときは、『スロウハイツの神様』に出てくる赤羽環の言葉をよく思い出す。「世界と繋がりたいのなら、自分の力でそれを実現させなさい」、これも辻村先生が私に教えてくれた大切なことだ。

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