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4冊目/原田マハ『生きるぼくら』

 先日から仕事を辞めて、部屋に引きこっている。たまたま配属先が変わることになったとか、たまたま長時間拘束されることに嫌気がさしたとか、たまたまこの先の人生を想像して虚しくなったとか。理由を探せばいくらでも見つかるが、結局のところ私が弱さ故である。

 趣味の話題が私に向けられ、小説を書いていることを伝えたのが失敗だった。次の日、私は意を決して原稿を彼らの元に持っていった。私はあなたたちが楽しんでいるだろう日常の裏で、それなりに頑張っているんだぞ! そんなことを私は伝えたかったのかもしれない。彼らの幸せそうな談笑とか身内ネタを聞くのは苦痛ではなかったが、私をつまらない人間だと決めつけて見下しているような眼差しは苦手だった。原稿を返してもらおうとすると、ゴミだと思ったから捨てたと冷たく言われた。才能ないのに、よく夢見れるね。読んだ時間と労力を返してほしい。突きつけられる言葉を直視できなくて、私の心は完全に折れた。嘘だけじゃないと、思ってしまったからだ。

 生まれ変わったら何になりたいですか、という質問に私はいつもこう思う。もう一度人間をやりたい。高校では文芸部に入って、できる限り文章に触れる生活を送りたい。休み時間には本を読んで、放課後には部室で物語をつくれる理想郷。だけど、現実世界にはゲームみたいにリセットボタンはないし、絶望したから死のうとも思えない。人生のやり直しは、できないのだ。気づいた時、自分はなんて後ろ向きな人間なのだろうと笑えた。いつも後悔ばかりしてる。

 まだ間に合うだろうか?

 これまでたくさんの時間を失ってきたことを認めて、今できることを最大限やっていくと決めた。1日1冊の読書と、小説の新人賞への応募である。諦めきれない夢にしがみつく、みっともない人間が今の私だ。でも、やるからには私の全てを使う。そう決意して、引きこもって小説を読んでは、小説を書いている。


 そんな中、今日は、原田マハの『生きるぼくら』を読む。この本は、私が実家を出るとき父親の書斎から拝借したものだった。「痛いような空腹で、目が覚めた。それが、麻生人生のいつもの目覚め方だった」という冒頭の一文を見て、なんとなくわかる気がすると人生に共感を覚えた。

 本作は、主人公・人生の成長譚といっていい。引きこもりに至った理由を、読者は最初に知ることになる。いじめの描写と、人生の心の声が私の中で跳ね回り苦しくなる。そんな生きながらにして死んでいる、人間でありながら人生を送れないみたいな暮らしから外の世界にとびだせたのは、母の決断と一通の年賀状がきっかけだった。大好きな祖母の存在を失ってから気づく父母の愛。自然農法の米作りを通じて3人の若者が手にしたものは、働くとは、家族とは、という問いへの答えである。彼らの成長を見ていて、私まで背筋が伸びる思いだった。マーサおばあちゃんに一度でいいから会ってみたい。

 人の心を温かくする作家さんである。私の好きな祖父が少し前に認知症になり、私のことがわからなくなってしまったことを思い出した。会えるのは生きている内だと、言われた気がして自分に重ねてしまって、また私の名前を読んで抱きしめて欲しいと涙が止まらなくなった。季節は夏だし、里帰りもいいかもしれない。

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