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占いはあんまり当てにならないと私がおもう理由


ゲッターズ飯田さんやしいたけさんの占い本を見ていて、今年2019年の谷(もっとも運勢が悪い)は6月だったと知った。

6月といえば、慣れ親しんだ地元を出て上京し、シェアハウスに住みはじめ、たくさんの大切な人と出会った時期だ。

私にとっては変化が巻き起こった期間で、毎日がわくわく楽しくて、知らないこともはじめてなこともたくさんで、1年のバイオグラフィのようなものがあったとしたら確実に頂点だろうと思えるくらいの頃合いだった。

それが、谷だったとは。

占いを見たり聞いたりするたびに思うことは、すべてが当てになるわけではないということと、良いことも悪いことも当たらないときは当たらないということだ。

どうしても、占いが気になってしまう人の気持ちも痛いほどわかる。私もなんだかんだ言って占い本や占いコーナーが気になってしまうし、これまでの人生で3度は手相を見てもらったこともある。

それでも、過ぎ去ったあとに振り返ってみると、「忍耐の時期」と言われていた頃にとてつもなく良いことが起こっていたり、反対に「開花の時期」と言われていた頃にとんでもなく悪いことが起こっていたりするのだ。

すべては気の持ちようで、考え方次第で、自分の選択云々で変わっていく事柄ばかり。

そう思えると、占いで規定されたこと以外の領域でも、たくさんの要素が揺れ動いていることがわかる。

私の気持ち次第でいくらでも運勢は好転させられる。

だから、ちょっとくらい悪いことが続いたとしても、流れがせき止められている気がしたとしても、あまり後ろ向きになりすぎないでほしいのだ。

生きているだけで儲けもの、と綺麗ごとを言うつもりはない。

それでも、占いだけに縛られる人生は少なくとも、自由ではない。そこに存在するだけで自分自身を受容できるようになれたとしたら、これ以上、幸せなことはないと思う。

そんな生き方が、私にも、あなたにもできると思いながら、今これを書いている。


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