なんでもない朝だけど
元々ひとりで完結していた生活空間のなかに、ひとり、大切なひとの存在が感じられると途端に、心がほっこりする。
ひとりで起きていた朝。
ひとりで食べていた朝食。
ひとりで過ごしていた一日。
なんでもない朝だけど、特別なことなんて何ひとつないのだけど、ひとこと、言葉を交わすだけで彩りが増していく。これまでのわたしも十分しあわせだったはず、なのに、ねえ、もう思い出せない。
しあわせを感じられる今があればいい。
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いろいろなことがわたしの中で変化していて、そのことについて、知らない誰かがどこかで何か言っているかもしれない。顔も声もわからない誰かが嘲笑しているかもしれない。
もしかしたら訪れるかもしれない不幸な展開を勝手に想像して、それ見たことかと先回りして笑うために待ち伏せているかもしれない。
でも、それでもいいかもしれない、とおもう。
よく聞く言葉だけど、「一緒に幸せになりたいから結婚したんじゃない、一緒に不幸になってもいいと思えたから結婚したんだ」という気持ち、心からわかる気がする。
不幸になっても離れ離れになっても貧乏になっても毎日泣くことになっても、これからも存在してくれるなら、それでもいいかもしれないとおもってしまう。
特別なことなんて何もない、なんでもない朝に、ぼうっとひとり、また会える瞬間を何度も想像してあたためる。自分のこころと、あのひとのこころを。
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一緒にしあわせになる権利を、一緒にどん底まで落ちる権利を、一緒に這いのぼる権利を、泣き合い笑い合い慰め合い励まし合う権利を。
どこの誰に何を言われてもいい、これからも、なんでもない特別な朝をともに迎えられるのであれば。
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