傲慢を飼う
先日、パートさんと話していたこと。
『北村さんは21時に寝るっていうけど、どうしても21時に間に合わない時はどうするの?』
そう訊かれたとき、私は思わず『そんなことってありますか?』と返してしまった。
例えば旅先。イベントやセミナーに参加してしまうと、就寝時間が21時を過ぎるときはある。そういうときは、無理に4時や5時には起きずに睡眠時間を優先する。
ただ、この時の話の流れは違った。
『どうしても仕事が終わらなかったら?』という文脈だったのだ。
傲慢が色や形を伴い、実体化した瞬間
私がいま働いている会社は夜20時まで勤務の日もあり、そういう日でも、私は21時就寝を徹底している。
21時に寝る目標を達成するため、時間を逆算して、20時ちょうどに仕事が終わるよう計算して動き、タイムカードをぴったりに押して退社。
15分で帰宅、15分で夕飯、15分で入浴を済ませれば十分可能である。
私の中で、『どうしても仕事が終わらない』という感覚がなかったので、上記のように気を付ければ21時に寝ることは可能ですよ、と当たり前のように力説した。
ひとつひとつの仕事にかけている時間を計算し、記録し、20時までに終わるようルーティン化さえすれば特段の努力は必要なく、誰でもできることだと思っていたからだ。
こうすれば大丈夫ですよ、と教えてあげるようなつもりで何の深い意味もなく話していた。
ふとパートさんの表情を見てみたら、驚きとも哀れみともつかないような曖昧な笑みを浮かべていて、
『そうなんだ、私にはできない』
そう言われた。
その言葉を聞いた瞬間に、ああ、私はいま、また傲慢を表に出してしまった、とおもった。
傲慢を殺すのではなく共生する
『私にできることなのに、なぜ他の人はできないのか』
客観的にみたら、嫌みか傲慢か不遜としかとれない感情を、私は物心ついたときから持っていた。
共感性も薄く、周りの人が『わからない』という理由がわからなかったり、『できない』という理由がわからなかったりした。
年齢を重ね、たくさんの人と話し、人には、できることとできないこと、向いていることと向いていないことがあることを知った。
私はポンコツな人間だけれど、私にできることが他の人にはできないという現象があり得る。逆も然り。
この感覚を何度も矯正し、不遜と取られそうなことは言わないように気を付けていたのに、またやってしまった。
私の中の実体を伴った傲慢を殺すことができない。
それなら、上手いこと飼いならして共生していくしかないとおもった。
この年齢になってもまだ、持てあましてばかりいる。生きていく方法がわからなくなる。
それでも生きていくしかない現実もまとめて取り入れて私は飼いならす。
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