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九条先生が、柊先生が、猫屋敷先生が、森先輩が教えてくれたこと

ドラマ『最高の教師』の九条先生は、勝手な憶測で人を判断したり、ものごとを決めつけたりすることの怖さを教えてくれた。『3年A組』の柊先生もそう。周りが言っている、ウワサしていることに、自分の頭を使わずにただ迎合することの愚かさを教えてくれた。

最近、漫画『ブルーピリオド』を読んでいたら、大好きなキャラクターができた。森先輩と猫屋敷先生。

森先輩は「才能なんかないよ 絵のこと考えてる時間が他の人より多いだけ」と言っている。そして猫屋敷先生は「だって私の全部をギブしないとみんな私の作品見ないもん」と言っている。

森先輩は、絵が上手い。『ブルーピリオド』主人公の八虎は、そんな森先輩に憧れている。彼がいきなり絵画の世界に入ったのも、森先輩が描いた絵に心を動かされたから。

そして、絵が上手な森先輩の「才能」に嫉妬してもいる。

この「才能」や「嫉妬」は厄介だ。私自身に引き寄せて考えてみると、とても覚えのある感覚ではある。けれど、「才能がある」「天才」と言われがちであろう立場の人たちから、この言葉を眺めてみると……。

勝手に決めるなよ、と思うだろう。

好き勝手言ってんなよ、とも思うだろう。

森先輩は確かに絵が上手だ。もしかしたら、もともと他の人たちよりも少しだけ絵が上手かった、つまりスタートラインからして恵まれていたのかもしれない。絵を描くのに向いている素質と環境があったのかもしれない。

でもそれは、森先輩がまったく努力をせず、流れに任せてただ描いていただけ、なんて話にはならない。

他の人より絵のことを考えた。時間をとって練習した。たくさん悩み、たくさん考え、たくさん苦しんだ結果が、目の前にある一枚の絵かもしれない。

「あの人は天才だから」「才能があるから」という簡単な決めつけは、そういう、森先輩のこれまでの労力をぜんぶ土に埋めて、勝手に墓標を立てて弔っているかのように乱暴なものだ。

それこそ、九条先生や柊先生が繰りかえし言っていた「勝手な憶測で人を判断するな」の教えに反する。

猫屋敷先生の言葉もそう。「だって私の全部をギブしないとみんな私の作品見ないもん」。巨大なラッピングで商業施設や街全体を覆ってしまう、スケールの大きい目立つ仕事をしている猫屋敷先生は、ただそれだけで人の目を惹く。

でも、そのうちのいったい何人が、どれくらいの人が、先生の作品をちゃんと「見て」いるだろう。

ただ流し見ている人。とくに何も考えていない人。たまたま目に入った人。派手だな、すきじゃないな、と思っている人。きっとたくさんの人がいる。猫屋敷先生の作品が好きで、わざわざ見にきている人がどれくらい含まれているだろうか。

猫屋敷先生がやっていることは、本質的ではないかもしれない。関係者にせっせとお歳暮やお中元を贈るとか、会うたびに相手の好みに合わせたプレゼントを持ってくるとか、過剰に「気を遣って」いる。

作品さえ良ければ、良い作品をつくってさえいれば、自然と見てくれる人は増える。……だなんて、そんな次元にはもういない。そんな勘違いから抜け出して、猫屋敷先生は、作品づくりに全力を注ぎつつもギブしている。その行為すらもクリエイティブなのだと、魂を売ってこその芸術だと、言わんばかりに。

そんな猫屋敷先生の行為を、上っ面だけ見て簡単に批判する人がいるかもしれない。でも、思い出したい。「人を勝手な憶測だけで判断すること」の、愚かさを。

人の本質なんてわからない。その人が、何を考えてその言動に至ったかなんて、直接聞いたってわかるかどうか怪しい。

ならせめて私は、自分の憶測が本物だと、勘違いしないように生きたい。

人から聞いたウワサ話で、相手を判断しない人間でいたい。

目の前の相手だけが私にとっての「相手」だと、信じたまま死にたい。

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