空気を読むことを止められないひとのことも、忘れないでほしい
「発信だ!」
「行動だ!」
「やりたいことはやって、言いたいことは言うべきだ!」
この価値観がにわかに流行していて、自由に気ままに生きているひとたちの有り様がどんどんクローズアップされている。
かく言うわたしも、Twitterやブログで似たようなことを言ってきた。今年1年、発信をして行動をし続けてきた。
そんな中で、「空気を読む」「察する」という日本の文化が”悪側”に追いやられている雰囲気をひしひしと感じている。忘れたくないのは、「空気を読むことを止められないひとたち」の存在。
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たとえば、飲み会の席。
ビールなんて飲めないのに、最初の乾杯はなるべくみんな同じ注文が楽だろうと配慮してしまいって「ビールの人!」に手を挙げてしまう。
たとえば、女子会での一コマ。
「部長ウザいよね~~」の些細な一言に同調してしまう。女子のあいだでは共感しない=敵だと一瞬で区分けされてしまうから。
たとえば、友人とのサシでのご飯。
食べたいもの、行きたいお店はちゃんとあるけれど、どうしても先に相手の希望を訊いてしまう。そして、それに合わせてしまう。
「空気読んで」ますね。
「察して」ますね。
これぜんぶ、うつくしくて尊いと思うのです。自由にやりたいことをやって、自分を貫く生き様もうつくしい。ただ同じように、ひととの調和をはかって沁み込むように生きるのも健気だ。
どちらが悪くてどちらが良いという話ではないな、と。あらためて。
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空気を読むことを止められないひとのことも、忘れないでほしい。
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