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〇〇ができる人が羨ましい、という言葉
たとえばイラストが描ける人、デザインができる人、写真が撮れる人。全部私にではできないことだけど、絶対にそんな人たちに対して、「絵が描ける人は羨ましい」みたいな言葉は言わない。
相手を持ち上げる意味で言ってるのかもしれないけれど、言われた方がどう返したらいいかわからないセリフNo.1だし、できない自分を蔑んでいるし、そして同時に相手のこれまでの努力も全無視している言動だから。
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イラストが描ける人、デザインができる人、写真が撮れる人。この、「描ける」「できる」「撮れる」という言葉を当てはめるのも違うような気がしていて。
元々なぜか不思議とできちゃってた、なんて人いないと思うんです。みんなそれぞれやりたいと思うきっかけがあって始めて、最初は下手くそだったはずなんです。
そこから、もっと上手な人の真似をして練習をしたり、学校に行って基礎を学んだり、とにかく毎日描いて構成して撮りに行って、っていう毎日があったはずなんです。積み重ねてきて、の今だと思うんです。
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言ってしまえば絵なんて誰にでも描けるしデザインだって写真だって「やってみる」ことは誰にでもできることですよ。
そこから一歩抜きんでたり一味違うものを作り出すまでを目指すことは「誰にでも」はできない。努力を楽しむ才能があってこそ今の状態がある。
だから、安易に「羨ましい」「〇〇ができる人はいいよね」なんて言わない方がいい。心を殺しにいってると思います。
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私自身、「素敵な文章ですね」と言ってもらえるのはとても嬉しいです。それが、「素敵な文章が書けて羨ましいです」「どうしてそんな文章が書けるんですか?」「私は文章が書けなくて、そんな風に書けていいですね」なんて言われようものなら心中穏やかじゃないです。
元々文章を書くことは「好き」です。
ただ、読んでわかりやすい文章・構成を考えるために、人一倍文章を書いてるし読んでると自負してます。他のみんなが休んだり遊んだりしている間、まるで何かに急き立てられるように常に読んでるし書いてます。
それをある日突然良い文章が書けるようになった、魔法をかけてもらったみたいに安易に「羨ましがられる」のは嫌です。あなたも私くらいに頑張れば書けるようになると思いますよ、って言いたい。
持って生まれたセンスや才能なんてない。
それを磨いて伸ばす努力をみんな、日々楽しみながらしているんです。
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〇〇ができる人が羨ましい、という言葉。
もし無意識に言ってしまっている人がいたら、その言葉を自分に向けてみてください。
どんな気持ちがしますか?
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