「気に入られなくちゃ」がなくなった


初対面の人と会う時に疲れることがなくなった。
きっと、必要以上に『気に入られなくちゃいけない』と焦ることがなくなったのだと思う。

会うからには、一番良い状態の自分を見てもらわなければいけないと思っていた。会話を楽しんでもらって、会ってよかった、来てよかったと100%思ってもらわないと申し訳ないと強迫観念にかられていた。

それは、相手に向けた優しさというよりは、ほそくほそく積み上げてきたふらふら揺れるプライドだ。

良い人だと思われたい。
優秀だと思われたい。
会話が深く楽しい人だと思われたい。

様々な欲望と願望にとらわれて、がんじがらめになって、身動きが取れなくなって、そこに残るのは決して優しさなんかではなく、見栄とプライドとエゴなのです。

人に気に入られようと頑張ることをやめた。
それは、ありのままの飾らない自分をただただ受け入れてくれ、という甘えではなくって、最低限の礼儀は兼ね備えた上で、変に力を込めることをやめたのだ。

人に好かれようと頑張ることをやめた。
好かれようとする努力は不毛だ。好かれたとしても嫌われたとしても特段どちらでもいい。私は私がどうありたいかが最も大切だし、その点から考えると、「人に好かれようと躍起になっている自分」が私は好きになれない

とても不思議なことだと思うけれど、「別に好かれなくてもいい、嫌われてしまってもそれはそれで仕方ない」というスタンスは以前の私よりも魅力的にうつるようだ。

良く思われたい、凄いと思われたいという欲望は健全に扱えば力になるけれど、そのバランスはとても危ういし不均衡だと思う。

力を抜いてもいいのじゃないか。
みんなもっと、思ったことを言ってもいいのじゃないか。
私はこう思うと意見を伝えてもいいのじゃないか。

同調や協調だけが絆を強める術じゃない。

私の人生から、「気に入られなくちゃ」がなくなった
「選ばれなくちゃ」がなくなった。

自由という言葉には、それを使う人たちそれぞれのイメージや思惑が詰まっているけれど、私にとっての自由はこれだったのだと最近、よく思う。



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