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いつから時間ってなくなったんだろう

たいへん遅ればせながら、名作「モモ」(ミヒャエル・エンデ著)を読み終えました。

ずっと読みたいと思っていて、タイミングがつかめていなかった一作。私にはそういう作品が多すぎる。今回も、ふと大きな書店にふらっと立ち寄る機会があって、脳のシナプスがちょうどよく「モモ」を思い出させる回路をこしらえてくれた。とても、面白かった。読んでよかった。

名作中の名作なので、ほとんどの方はあらすじを知っているだろうと思いますが、私のように長らく未読の方も多いだろうと見越してざっと話のさわりだけでも。

とある町のとある円形劇場に行き着いた浮浪児のモモ。道路掃除夫のベッポや案内人ジジをはじめ、たくさんの友達に囲まれてたのしく幸せに暮らしていた。
ある日、町中で不審な”灰色の男”を見かけるようになる。みるみるうちに大切な友達の様子がおかしくなっていき、「そんな時間はない」「早くしなければ」と妙にせかせかした生き様を見せるようになって……。
時間とは何か。現代に生きる私たちだからこそ知っておきたい、今いちばん大切な概念を教えてくれる物語。

時間って、なんなんでしょうね。いつから時間っていう概念ができあがって、いったいいつから時間が「ある」「ない」の観点から語られるものになったんでしょうか。

時間は本来、目に見えないもの。確実にそこにあるのに、手には取れないもの。まるですぐそこにあるように見えて、あたかも個人それぞれが所有しているように見えてしまうのは、「時計」が時間が定量的なものにしてくれているから

時間は神が作った。時計は悪魔が作った。

どこかで知ったこの言葉を、なんだかいつまでも忘れることができません。時間って、いったいいつから「ない、ない」と焦燥感たっぷりに追い求める対象になったんでしょうか。

私自身、自分の時間は大切だと心底思っている人間です。「時短」「節約」という言葉が好きだし、やらなければならないことはさっさと片付けてしまって、はやく「自分の時間」を過ごしたい。でも、それはあたかも、自分のものではない時間を生かされているようで、よくよく考えたら不思議な話ですよね。

自分の過ごす時間は、いつだって自分の時間であるはずなのに。誰かに強制的に生かされている時間なんてものはなくって、ひとりでいても、誰といても、それは紛れもない「自分の時間」であるはずなのに。いつからこんなに、せかせかと行き急ぐようになってしまったのかな。

児童文学だと侮るなかれ、今こそ、そして大人こそ読んでおくべき本です。

ハラハラドキドキなストーリーを摂取し終えたあとは、あらためて「時間」というものについて考え、思いを巡らせて、ゆっくり大好きな紅茶でも飲みながら一見「ムダな」時間を過ごしてみる。私はこういうムダと思える時間が好きではなかった。それでも、この物語に触れたあとは、こういう空白こそ私が選び取ったのだと思えます。愛しい時間だと思えます。

「モモ」を読んだあとは、きっとみんな、同じ心持ちになるはずです。

ついついビジネス書を読んでしまいがちな私ですが、こうやって小説に浸り切るのも読書の醍醐味ですよね、次は何を読もうかなあ。

以下、マガジン購読者さん限定の単なる私的な日記です。クローズドな場所でしか書けない、ごく個人的な私生活について書いてます。



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