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どうしても、ひとりの時間


ひとりの時間が好きだ。

学生の頃はもっと、たくさん人に会わなきゃいけないとか、友達や繋がりを増やさなきゃいけないとか、ぐるぐる考えていたはずだ。傍から見たら積極的にひとりを選んでいるように見えたはずだけど、心の中では、「ひとりが好き」と「でも人に慣れなきゃ」というふたつの気持ちが常にぐるぐるしていて、つらかった。

私はひとりが好きなんだ。

そう腹落ちして、開き直ってからは、あまり深く考え込まなくなった。今でもたまに、「もっと繋がりを増やさないと、良いお仕事に巡り会えないかも」なんて思い立って、とくに行きたくもない集まりに顔を出してしまったりするんだけど(すみません)、そういうときの心身疲労度は目を見張るものがある。

やっぱり、何事も、無理は良くない。

「ひとりの時間」は、自分という存在を編集し直す時間だと思う。

どうも、人といるときの私は、本物の自分ではない気がするのだ。どこか嘘をついているというか、取り繕っているというか、人前に出す用の私というか。

決してコテコテ塗り重ねようとしているわけではないのだけれど、気づいたら、ありのままの自分ではいけない気がしてしまって、思ってもないことを言ってしまったりする。

本当の私はここにいる。ひとりでいる時間にやっと顔を出してくれる。心の奥底では何を思って、どんなことを考えているのか。人と会っている時には出してくれなかった片鱗を、ようやく垣間見せてくれる。

せっかく人と美味しいご飯を食べたあとなのに、わざわざひとりになりたくて喫茶店に入り直したりするのだ。ドリンク1杯の値段と引き換えに取り戻す自分。

本当はわたし、こんなこと考えてる。
あんなこと、お世辞でも言うもんじゃなかった。
あの言葉は、どういうつもりで言ったんだろう。

人と会っている間はじっくりと考えられないようなことを、ひらいて、紐解いて、考えに、ふけってみる。見えなかったことが見えてくる。

どうしても、ひとりの時間が必要だ。

自分という存在を、編集し直す時間。たった30分だけでも、積み重ねていくことで、ようやく形が保てるような気がするのだ。


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