「できない自分」を観察するエッセイはじめます
「自己肯定感を上げる方法」「自分をまるごと愛するコツ」……そんなタイトルの本が書店にたくさん並ぶようになって、どれくらい経ったのでしょうか。勝手に命名・自分愛す系の本は、減るどころか増える一方。ダイエット本の構造といっしょで、なかなか自分を愛せるようにならないからこそ、類似本も減らないんだと思います。
そういった本のなかには、「できない」よりも「できる」に注目しよう! と書いてあることがほとんど。今日あった小さな幸せや、どんなに些細なことでもいいから「できたこと」をノートや手帳に記しておく。そうすると、自分を好きになることができるらしい。
もちろん私もやってみたことがあります。1日3つ良かった出来事を書いてみたり、できたことを探してみたり。でも、どうやら私には合わなかったようです。日々の暮らしが「良かったことやできたことを探すルーティン」みたいになって、どんどん作業的になっていった。ポジティブなことを見つけようとしてるのに、どうしても探し出せない自分がそこにいて、ますますネガティブになる……の繰り返しでした。
「できる」よりも「できない」を探すほうが、めちゃくちゃ簡単です。私の場合だと、まず料理ができない。掃除もできない。腹八分目もできないし、黙って最後まで人の話を聞くこともできない。おまけにパートナーもできなければ、結婚もできない。
もう私は一生、「できない自分」を探し続けて終わるんだ……。そんなふうに思うことのほうが多かった。
でも、ある日ふと気づいてしまったんです。気づいたというより、開きなおってしまった。
「え? それで何が悪いんだ???」と。
一生懸命、無理して「できる」を探す自分よりも、飽きずに「できない」を探す自分のほうが、なんというか「らしい」。本音で生きてる感じがするし、心底「だってそうとしか思えないんだもん」を地でいってる。
開きなおったついでに、「できない」を列挙して、それについて事細かに綴るエッセイを書こう! と思ってみたら、胃のあたりからワクワクが込み上げてくる感覚さえした。
そして不思議と「できない」について考えれば考えるほど、「できる」も浮き彫りになってくるのだ。「できない」だらけの人生だけど、だからこそ余計に、そのなかでクッキリと「できる」が色濃く浮かび上がってくる。
「できる」を探すよりも「できない」を見つけるほうが、私には合ってたみたい。もしかしたら、「できない自分、でも生きてる。」ってタイトルを見て「このマガジン読んでみよう」と思ってくれた方にとっても、「できない探し」のほうが性に合ってるんじゃないでしょうか。
私は、無理やりポジティブになってもロクなことない、と思ってる人間です。悲しいときは悲しい、寂しいときは寂しい、イライラしてるときはイライラしてるし、泣きたいときはどうしようもなく泣きたいです。アンガーをマネジメントするのも大人にとって大事かもしれないですが、自分以外誰もいない自室でアンガーをマネジメントする必要はない。反対に不健康だとおもう、それって。
世のなかの「自分を丸ごと愛そう」運動になかなか乗れない皆さま。試しに、騙されたと思って、自分の「できない」を見つめてみませんか。一周まわってポジティブになれるかもしれませんよ。
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