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ファンをつくるよりもファンになる


「やっぱり最終的に大事なのは人柄だよね!」という話になった。当たり前過ぎてあらためて話題にすることでもないけれど、何をするにも人柄が大切。そして、自分のファンをつくるよりも、自らファンになりにいくことも重要だよなと思う次第。

たとえば、TwitterやInstgramのフォロワー。
たとえば、イベントをやった時の集客数。
たとえば、困ったときに助けてくれる友人の有無。

これらは一般的に多ければ多いほど人から「すごいね」と思われる数である。そして、この数を増やすために大切なのは、知識や経験から成る教養、その教養が醸し出す人柄に起因する。

単純に、好きな人のことは助けたいと思うし、嫌いな人のことは助けたくないと思う人の心理が表れるだけの話だと思っている。

ただこれって、端的に「数を増やしたい」という目的のみで良いことをしたり好かれようとしたりしてしまうと本末転倒になっちゃうんだよね。このラインがものすごく重要で、難しくて、微妙なところなんじゃないだろうか。誰しも自己顕示欲はあるし、人からのお願いを聞き入れてあげる時に「ここで恩を売っておいたら後々良い形でかえってくるかも」と思っちゃうのが人だと思う。目に見える数と自分の気持ちを、どれだけ切り離せるか、フラットに考えることができるか。

私は損得勘定で動いている人間で、無償で誰かの役に立とうとか、ボランティアとか絶対に無理なんです。自分が頑張る分、相手にも同じくらいのものを出してほしいと思ってしまうし、私の基準に達していなかったら無慈悲にも縁を断つと思う。だから、純粋な人柄で勝負はできないな、とずっと思ってきた。

でも、だからこそ、クオリティの高いものを出せるようになるんじゃないか、とも考えるようになった。

どういうことかと言うと、私は対価のない仕事には全力を出すことができない。なぜなら、「どうせ頑張っても1円ももらえないんだもんな」と思っちゃうから。目の前に無償の仕事と有償の仕事があったとしたら、私は有償の仕事に全力を注いで、無償の仕事は力加減をコントロールするかそもそも受けない。

そして、有償で受けたからには全力を出す。自分の限界以上のものを出せるようにこれでもかと頑張るし、ライターなので、直接仕事とは関係ないところでも情報収集や練習をする。せっせと写経したり音読したりするのは当たり前で、本を読んだり、ブログやnoteでアウトプットの習慣をつけたり、たまには旅をして人と会って刺激を得たり。私の人生、これからもずっとこの繰り返しだ。高めた力はすべて仕事に還元して見合った対価を得ることで生活していきたい。

だから、結局は、こうやって打算的に動くよりも「やりたいからやってる」素直な人柄の人にファンがつくようになっている。私は、名前や顔を有名にして、いわゆるインフルエンサーさんのような動きはできない。

だから、ファンをつくるのではなく、積極的に好きな人を増やしてファンになりにいくことにした。

そのほうが、好きの循環がはじまる。
これまで、自己顕示欲ばかり高い自分に疲れていて、苦しくなっていて、「私を見てほしい!!」という希望が上手く叶えられずにのたうち回るばかりだったから、そこはすっぱりと切って誰かのファンになることにした。

きっと、ファンを作ろうとあくせくするよりも、楽しいはず。



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