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解決策のない批判はイコール文句



怖いものみたさというやつか、臭いものほど嗅ぎたくなるというやつか、私は、時たま気が向いた時にさまざまなインフルエンサーさんのリプ欄をよく覗きに行く。

わかりやすいように言ってしまうと、炎上中のボヤ騒ぎにどんな人が絡みに言っているのか、さながら野次馬根性むき出しで気になってほいほいと顔を出してしまうのだ。

それはもう、いろんな人間がいる。

こういうことを、成人している立派な大人が真顔で打ち込んでいるんだとしたら、確かに日本は終わりだ、世も末だと言われても仕方がないと思う。

私もたいがい短気な人間なので、よく批判する。

寝坊する人、人との待ち合わせに遅れる人、自分の時間だけではなく他人の時間まで巻き込んで無駄にする人。我慢ならないのでいちいち突っかかっては批判する。

その度に、「批判って無意味だなあ」「何度怒ってもこの世から寝坊や遅刻はなくならないんだよなあ」と思うと呆然とするのだ。気が遠くなる。それならもう何も言わないほうがお互いにいいんじゃないかとさえ思う。

けど、怒ることは大切だ。
不毛な流れにしないためには、どうしたらいいんだろう?

批判するときに「解決策」をセットで提示するようにしたら、もしかして建設的で生産的な世の中に少しでも近づくんじゃないだろうか?

解決策のない批判は、ただの文句と一緒だ。

やいのやいの言うだけで、「じゃあ何をどうすれば良くなるの?」っていう提案ができない人はノイズでしかない。それこそ野次馬でしかないのだ。

なので、私はこれからいちいち怒るのと同時に、解決策を提示してみようと思う。待ち合わせに遅れられてイラッとしたら、「本屋(もしくはカフェ)で待ってる」と連絡して自分の時間にしてしまう。そして、相手が大切な人だと思うなら、面と向かって「約束には遅れないほうがいいよ」と伝えてあげる。この流れが3回続いたらお互いのために縁を切る。

相手が大切な人でない場合は、何も言わずにそっと距離を置く。それもお互いのためだと思うからこその、私なりの優しさだ。

こういうことを書くとすぐドライだと思われるのは百も承知だ。

けど、時間って人生だと思うんです。どういう時間を積み重ねてきたかで人生って決まると思うんです。だとしたら、1分1秒大事に生きようとし過ぎる人間が1人くらいいてもおかしくないと思うんです。

解決策のない批判はイコール文句。

私はこれからも、建設的で生産的に怒り続けます。



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