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意見の対立≠個人の対立




「私はこう思うな」と言うだけで途端に被害者ヅラになる人が苦手です、という話に終結してしまうのですが。

日本人特有の気質で、反対意見を言われるだけで個人の人格まで否定されたように感じてしまう人が圧倒的に多すぎるなあと。

これを読んでいただいているあなたはどうでしょうか?

たとえば一緒にランチを食べようという話になったとして、「何食べる?」ってお店をまず決めようとしますよね。相手が「イタリアンの気分かな」と言った時に、自分は和食の気分だったとする。

この時、あくまでも”自分は”和食の気分だよ、ということを表明するためだけに「私は和食かな~」と言う。ここに相手を貶めようとか攻撃しようとかいう意図はまったくないわけですよね。

建設的にいくなら、イタリアンも和食も食べられるファミレス系のお店にしておこうか、という妥協点を互いに見つけて実際にお店に行って楽しくご飯を食べて帰ればいい話です。

「私は和食かな~」と言った瞬間に、まるで人格まで全否定されたような被害者意識で立ち向かってくる人は疲れちゃうな、という話。

意見の対立は”意見”だけの対立であって、それは”個人の”対立にはなんらあたりません。

「この人は私そのものを批判しているわけではないし、攻撃しているわけでもない」というスタンスでいるだけで格段に楽になります。

言葉は悪いですが、小学生女子の間では頻繁にこういったやり取りがありますよね。「あの子は昨日ああ言ってたからあっち陣営!」みたいな。言った言わないだけで派閥が決められるというか。

意見は意見。
個人は個人。

ここを上手く見極める術を早めに身につけておかないと、良い年齢になっても小学生女子のような喧嘩をする、見ていられない妙齢女性になってしまいます。

意見の対立≠個人の対立。

わかるところはわけて、人間関係、柔軟にいきましょう。



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