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「キャラじゃないから」がわからない

「それ、私のキャラじゃないから」と言われると、すぐさま私の脳内にはたくさんの「??????????????????????」が乱れ飛ぶ。きっと中学生〜高校生くらいのころから、周りに「キャラ」があらわれはじめた。形のない、実体のない、手でさわれない。「キャラ」という謎の概念が。

「キャラじゃないから」って、なに??????????

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たとえば学芸会とか文化祭とかの出し物を決めたり、係を決めたりするとき。劇をやることになった場合の、役割分担や配役を決めたりするとき。

売り子は「売り子をするようなキャラの人」がやる。裏方は「裏方をするようなキャラの人」がやる。主役は「主役をやるようなキャラの人」がやる。脇役は「脇役をやるようなキャラの人」がやる。

自然と、適材適所を、謎の概念「キャラ」によって決められる。自分のやりたい・やりたくないはポイッとどこかに捨て置かれて、見た目とか、声の大きさとか、普段どのグループに所属してるかとか、日頃の言動とか、そういうもので形成された「キャラ」によって居場所や役割を決められる。

そのうち、それぞれにあてがわれた「キャラ」に基づいた言動を選ぶことに慣れて、自然と「それ、私 / 俺のキャラじゃないから」という言葉が生まれる。不思議だ。当時から不思議だったけど、30歳を超えた今でも不思議に思う。

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取引先を交えたミーティングとか、たまに集まる身内の飲み会とか、3人以上の人間が集まるとなんとな〜〜〜くの「その場に合わせた空気」みたいなものが醸成されて、自分の「キャラ」もそれに合わせて組み替えていかないと気づいたら浮いている。こわい。どういう構造の罰ゲームなんだろう。

「キャラ」ってものを理由に、率先して発言したり、はたまた様子をみて発言しなかったりすると、「キャラじゃないよね」「いつもとキャラ違くない?」っていう、よくわからない確認作業が始まることもある。

「キャラ」ってなんだよ。やりたい・やりたくないとか、その日の気分とかで決めちゃダメなのか。そもそも「キャラ」ってものがあるとして、それと違うことをやっちゃいけないのか。

ずっと、ずっと、わからない。謎だ。「キャラ」ってものがわからないまま、しんでいくのかもしれない。

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