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幸せのおすそ分けは積極的にほしい

先日こういうツイートをしました。

すこしだけ冷静になって考えてみてほしいんです。幸せのおすそ分けって積極的にほしくないですか?

人の幸せエピソードはいただけるものならいただきたくありませんか?

「ほんとうに幸せな人はわざわざSNSで幸せアピールしない」という意見をどこかで見たり聞いたりしてから、なるほどそういう意見もあるのか……と思っていたのですが。

でも、ほんとうにそうですかね?

人の幸せノーサンキューな精神こそ不健康だと私は思いますし、身近な幸せをキャッチアップできない・アンテナが鈍っている状態って、どう贔屓目にみても「早急になんとかしなきゃならない」ものだと思います。

令和の若者ふうに言うとヤバいヤバいマジ卍ってやつです(きっともうこれも古いんだろうな)。

誤解してほしくないのは、「じゃあ友達の入籍ツイートとかみて心乱され嫉妬に狂う私はあまりよくない精神状態なの?????」というわけではないんです。

不健康であることに変わりはないと思いますが、不健康な精神=だめなものと一刀両断はしたくない。人間ですから、腹の虫がどこにいるのか分からない状況も往々にしてあるでしょう。

そうである事実をみとめて、現実を受け入れたうえで、じゃあどうしていくのが最善なのかを検討することが健全な思考回路の流れをつくっていくと私はいます。

人の幸せを、「ただ幸せそうに見えるから妬ましい」ってだけで遠ざけてしまったら、いつまでも自分が幸せを感じられない・アンテナ鈍らせたままで終わっちゃうじゃん、それでも大丈夫? ってことを言いたいのです。

悩むのが癖になっちゃってる人、いると思うんです。

悩みたい、あえて不幸でいたい、問題を複雑にさせたい、不満を持っていたい。それはなぜかというと「そういう状態の私じゃないと誰も興味を持ってくれない・話を聞いてくれないと信じ込んでいるから」だと思うんですよね。

不幸でいないと誰も構ってくれない=あの子はいつも幸せそうにしていていいな、私には何もいいことがない=あの子は幸せそうにしていて、かつ話を聞いてくれる人もいる=いいな、いいな=なんで、どうして=憎い! 妬ましい! みたいな流れになっているのではないかと想像。

そうじゃないんだよ、ってことに自力で気づくことが大切だし、気づいたところからスタートなんだと思っています。

人の幸せを積極的におすそ分けしてもらうことで、幸せを感じとるアンテナを磨き、ほんの些細なことでも喜べるような体質になれれば人生も楽しく、まわりに価値観の合う人が集まってくるんじゃないかな。

そう信じ、私も日々幸せのおすそ分けをしています。

★Twitter、やってます。


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