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最初は何も考えず、とにかく読んで書く


『もしブログやnoteを3年毎日書いて、それでも誰にも見向きもされなかったら? これはもう、才能がないのでやめたほうがよいと思います』

いろんな意味で心に刺さり、そして、抜けなくなった言葉だ。

3年。毎日書いて。それでも、誰にも、見向きも、されなかったら。

『毎日書く』というこの表現が、まさに毎日欠かさずパソコンに向かって何らかの記事を書き、公表する行為を指すのであれば、わたしはまだ1ヶ月にも満たない。

先日、この記事を読んだ。

こちらの記事の中では、大前提として本や雑誌やWeb記事を読みまくって、同じくらい書いて発表する土台がなければ話にならない、と書いてある。

そのあと、4つの項目にわけて、ライターとして世間に『みつけてもらう』コツが書かれている。

誰もがクリエイターとして作品を世に送り出せる総クリエイター時代。

インターネットのおかげで、変な自意識さえなければどこに住んでいるどんな人でも自分の歌や絵や文章を発表できる、とても恵まれた良い時代。

それと同じくらいに、とても残酷な時代。

誰かと同じようなものを作っていても埋もれてしまう。
何か突出した光るものがなければ誰の目にもとまらない。
ただ作っているだけではどこにも繋がっていかない。
『見せ方』も自分でプロデュースしていかなければならない。

わたしはここを這い上がっていけるんだろうか。

ただ愚直に継続することしかできないわたしが。

唯一の救いは、大前提として挙げられている”膨大な読み書き”が私は大好きだということ。

たとえお金が発生しなくても、ずっと読んでいたいしずっと書いていたい

この気持ちが手を動かすことに繋がって、そして出来る工夫と準備はつねに整えておき、ふいに訪れるチャンスというものを見落とさない自分でいられますように。


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