評価されるのがこわい
とあるインフルエンサーさんと電話で話していて、「やっぱり人望のある人は根本的に考え方が違うなあ」と思った。
私は、評価されるのがこわい。
文章を書くことがすきで、ずっとずっとすきで、曲がりなりにも文章を書くことで生計を立てている今、「文章」に対して評価を受けるのがとてもこわいのだ。それは、良いことを悪いこともふくめて。
だから、「評価される土壌」に上がることをずっと避けてきた。自分から「どうですか?」と言わない限りは評価されることがない。自分の書く文章をずっと好きでいられる。
少し前に、こんなことがあった。
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とある新規開店の銭湯について、名前やキャッチコピーなど、コンセプトまるまる考えるという仕事があった。私に直接依頼されたものではなく、有志で集まって、案を出し合い、最終的にはコンペ形式で選ばれるというものだった。
「銭湯」そのものについて、思い浮かぶことをまとめてきてくれ、という最初の依頼に対して、言われたとおりに思いつく限りのことを書いて提出した。それについてのダメ出しが、まあ酷かったのだ。
今では、「ダメ出し」というものがいかに有り難いことかがわかる。身に沁みてわかる。フィードバックをもらえるということ自体、貴重なことだ。
「思考が浅い」
「圧倒的な思考力不足」
「目の前の小銭を稼ぐことばかり考えている」
「そんな人間とは仕事したくない」
覚えてるだけでもこれだけのことを言われた。これが果たして、私の案出しに対する正当なダメ出しだったのか、人格否定だったのかはわからないけれど、真正面から傷ついて悔しくて泣いた。
それ以来、自分の書いた文章を「どうですか?」と人に見せるのが、評価を求めることが、一気にこわくなってしまったのだ。
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このことを、冒頭に出したインフルエンサーさんに、それとなく相談してみた。「ダメ出しはありがたいこと」「俺だったら、ただスルーするだけ」と言ったあとで、続けられた話がとても興味深かった。
「自分の書いた文章よりも面白い文章なんて、たくさんあると思ってる。それが当たり前。なんであの人じゃなくて自分が選ばれるんだろう?と思ってばかりだよ」と。
手放しに人の書いた文章を褒めて、自分よりも優れていると直球で口にだすことは、私にはできない。少なくとも、今は。
それでも、まっすぐにそう言ってのけたインフルエンサーさんの言葉をきいて、こういう人だからこそ、たくさんの人に慕われるんだなあと、しみじみ感じ入ったのだった。
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評価されることは、まだこわい。
けれど、自分から「どうですか?」と文章を評価してもらいに行く。そんな俎上に、今年は自ら上がりに行くのだ。
へこたれたら、また、ここで吐き出しにきます。
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