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身体の痛みを越えてゆく

心の痛みが身体の痛みを越えてゆく髪なぶられて波に漂う

川本千栄『裸眼』(角川書店)

わたしは泳げない。
水に顔が濡れるのが苦手で、水中で目を開けることもできない。足が地面につかないと怖い。波が怖い。クラゲが怖い。海藻がきもちわるい。
でも水に潜ったことはある。
外の音が遠くなり、自分の鼓動だけがどくどく聴こえるのを知っている。胸や手脚を押してくる水の力を知っている。水の中で自分の身体がままならなくなる感覚を知っている。

この歌の主体は水中で「心の痛みが身体の痛みを越えてゆく」のを知っている。いや、たった今知ったのかもしれない。
「痛みを越えてゆく」という表現には、単純に心の痛みの度合いの強さを言っているだけではない、もっと強い哀しみを感じる。
揺らめく海中、揺らめく海藻、揺らめく光、その揺らぎの中へまるで心が溶けだしてしまう、溢れてしまう。身体がただの抜け殻になってしまう。
こういう経過を想像させるのは「越えてゆく」の「ゆく」の効果なのだと思うけど、圧倒的な量の海水に無限に心の痛みが広がってゆくようで呆然としてしまう。
それに髪が「なぶられて」「波に漂う」なんて、まるで水死人のような描写じゃないか。
生きているのに死んでいる。そういう哀しみと苦しみがぶつかり合っている歌だと思う。

君が一緒に憎んでくれれば抜けられる 湖(うみ)に吹く風北からの風
手の甲にちらちらピンクのラメが浮き泣いていたのださっきの私
花々は幾何学模様に刺繍され少女の頃のハンカチの中

同上

あなたが泣きやむまでそばいにいたい。
そんな風に感じる歌集だった。

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