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【月報2024年2月】元公僕が地域おこし始めてみた件

トップ写真は、能登半島地震チャリティの郷土芸能公演の時の臼澤鹿子踊です。

2月は、
【自由な震災伝承】
【失敗という言葉は使いたくない】
【ありがとうを伝えたくて】
【次世代ではなく多世代の語り部へ】
【高校生と共に悩みたい】
【鬼になる】
の内容でお送りします。


1.教員と児童生徒が紡ぐ震災伝承

2月17日(土) 東日本大震災伝承シンポジウムin山元 @つばめの杜ひだまりホール

宮城県山元町で開催された公益社団法人3.11メモリアルネットワーク主催の東日本大震災伝承シンポジウムin山元に参加してきました。

東日本大震災で津波被害を直接受けた学校の当時の児童と教員が、当時の経験や今までの想いなどをお互いに話し合う中で新たな気づきのある場でした。

そこのパネルディスカッション等の中で印象に残ったワードを書き出してみました。

  • 語り部をすることを強制しない

  • 語り部をすることはしんどい

  • 仕事が第一、語り部は第二

  • 話すことで救われる人は、ため込むより話したほうが良い

  • 話すことがきつい人は、ため込んで消化できるまで語らないほうが良い

こういった言葉を聞いて自分が感じたことは、語り部や震災伝承の活動は、もっと自由で良くて、人に強制されるものではなく、自分に合ったタイミングで始めたり、辞めたり、再開できるものだと言うことです。

よく、伝承しなければならない、伝承する使命があるといった言葉を聞くことがあります。

それが出来る人や、それをする必要がある行政などの組織としてその姿勢は必要だと思います。

その一方で、いち個人が背負いきれるものではないとも思います。

とある方がおしゃっていた、今後も語り部活動を続けるかと言えばYESと言い切れない、辞める時もあるかもしれないという言葉が、逆にやめることが出来るからこそ、再開できたり、負担を減らすて最終的に継続でき、震災の経験を未来に伝えることに繋がるのではないかと感じました。

また、このシンポジウムでは、震災を建研した当時の児童と教員という枠組みだったので、単純に当時の経験を話すという内容にとどまらず、その後の経過も含めて、津波避難などだけに囚われない幅広く様々な部分で役に立つ学びになるとも感じました。

パネルディスカッションの中でも話があったように、そういった話を聞く場があることで、経験していない人は、それを整理する機会になり、知らないからこそ色々な角度からの学びにもなり、震災の出来事に限らず普遍的な価値を伝える場になるからこそ、お金をかける価値があり、さらに良いものにアップデートでき、継続できることに繋がると感じました。

普段、震災の話を聞く場と言うと、話し手の視点を通した経験を聞く場が多いと感じていますが、当時から今、そして様々な人の視点を介すことで、災害の全体像を知る学びの場にこのシンポジウムはなったのではないかと思いました。

まだまだ、この分野は一部の人のみが関わるマニアックな分野であることは変わっていませんが、震災の経験のみに囚われないより普遍的な価値を見出すことで、今後も生き続けることが出来るのではないかと感じました。

余談ですが、東日本大震災発災当時、小学生だった方々の話はどれも地元を愛する気持ちの溢れる話でした。

そういった面でも、震災伝承にとって「大切なもの」はキーワードになルのではないかと感じました。

2.伝える場所だからできる避難訓練

先日、宮城県の石巻南浜津波復興祈念公園で開催された来訪者津波避難訓練に参加してきました。

最初に、主催者から訓練の説明があり、その後グループごとに各配置の場所に移動し、スタッフの出す情報を元に行動をしたり、役割を演じたりしました。

訓練の後には、各グループ内で課題や良かった点などを振りかえりました。

その中で自分が今まで防災に携わってきた中で感じた点について述べたいと思います。

①失敗は成功につながるチャンス

訓練の冒頭で主催者からの説明の時にこんな言葉が出ました。

「失敗していい訓練」であり、課題を確認し、改善を目指す機会だと言うことでした。

一般的に避難訓練だと、時間がかかったり、事前に決められた手順の通りにできなかったり、その後で注意されたり、怒られたり、その改善方法を考え無ければならない等の責任を取らされることが多いと感じています。

その前提の為に、訓練ではミスを恐れ、結局訓練でミスをしない為の訓練をやり続けることになってしまうのでは無いかと思います。

また、訓練と言う言葉もイメージ的に良くない気がします。

今回参加したのは、避難訓練という名の試しに考えてみて動いてみて、今後に繋げる機会だと感じました。

なので失敗というネガティブなものというより気づきの良い機会を得るポジティブな場だと感じました。

要するに、試しにやってみる実験のようなものであり、訓練の場で失敗をしないことが責任ではなく、失敗をして課題に気づくことこそが責任なのでは無いかと感じました。

そして、上手く行った理由がわからない成功より、理由がわかる失敗こそが必要だと再認識できました。

初めて自転車に乗る挑戦をする時に、こけても怪我をしにくいようにしてこけ続ける中で乗れるようになるのと同様に、大人の避難訓練でも関係者が失敗を恐れず自らが考えて次こそは上手く行くように試みることができる場になって行く必要性を実感しました。

②役割を演じるロールプレイ

避難訓練では、参加者が例えばガイドや観光客、ボランティア、外国人などの役割を与えられ、事前に決められた行動を取ったり、その場でその立場に応じた行動を考えて動いたりしていました。

決められた役割を演じるのも、形だけと言うより、実際にガイドの説明やパンフレット配布など実際に行うだろう行動に近いことを行っていました。

それを見て、避難訓練で災害が発生する前の行動はとても大切だと感じました。

なぜかと言うと、実際の地震は心構えをしている状況でくるとは限らないからです。

その一方で、避難訓練は、発生時刻がわかっていたり、また発生時刻がわかっていなくてもいつ来るだろうか?と心構えしながら待つことが多いのでは無いかと思います。

そこで、役割を演じたり何か他のことに集中することで、訓練中だと言うことから意識を逸らし、訓練中の災害発生の瞬間も不意打ちのように本番と同じような経験ができるのでは無いかと感じました。

どこかで聞いた言葉で「練習は本番のように、本番は練習のように」と言う言葉がしっくりくるように感じました。

③行動に迷う

失敗していい訓練のところで触れた内容に近いですが、避難訓練の最中にどう行動すれば良いのか判断に迷うことがあったと言う点です。

どの情報をキャッチしたら避難するのか?どこまでの人に声をかけて避難するのか?車で移動するのか?徒歩で移動するのか?避難したくない、できない人はどうするのか?近くの建物の上の階に逃げるのか?少し離れた山の高台に逃げるのか?など途中で判断に迷うだろうと感じるポイントがいくつもありました。

言葉としては、命を守る行動をすれば助かるという事はほとんどの人はご存じだと思いますが、それを知ってなお迷う局面が充分ありえることでその結果うまく逃げられない可能性があるということを体感できる場になっていると感じました。

震災から学んだこと、必ずしもそれを活かしきれているとは言い切れない現行の仕組み、そしてその場の状況からできる判断、どれを持っても事前にやることが決まっている訓練とは、やる意義も得るものも一線を画していると感じました。

こういったようにあらかじめ決められた場所にただ行くだけの訓練になっていないので、参加者もどうせ歩くだけだろうと思わずに、やる意義を感じやすい訓練になっていると思いました。

④学んだ事をすぐ実践できるフィールド

これは場所的な話にはなるのですが、被災地に震災から学びに来た場合、見聞きして知ることや、実際に歩いてみる事はあっても、学んだ事をその場で実際に自分が考えて動いて実践する場はそこまで多くないと感じています。

個人的に、被災地で震災から様々なことを学び勉強になったと帰る方がたくさんいらっしゃってもそれを帰った場所で活かすのは簡単ではないと思っています。

そういった意味では、今回訓練に参加した石巻南浜津波復興祈念公園は、震災や防災を学ぶ場所であり、防災を実践できる場所でもあると感じました。

人の言葉を聞き、その言葉をそのまま持ち帰るだけではなく、その場で実践してみることで、その言葉や自身の経験は、他人の言葉から自分の言葉や考えになることで、次の人にもより伝えやすく、来た本人自身の力そのものにもなると思います。

何か一つだけでも持ち帰って欲しいとは言うものの、その場で多くのことを身につけてもらうに越したことはないです。

その多くのことをせっかく遠く離れた場所までお越し頂いた方々に、ご自身のものとして持ち帰ってもらうためには、こういった学び、実践できる場がセットになっていることが大切だと感じました。

⑤最後に

このように失敗してもいい、参加者自身が考える状況付与+状況予測型の避難訓練は今まで一部を除いて実施しているのを見たことがありません。

震災伝承の目的は伝えることだけではないと思いますので、これからも被災地で学んだことがその場で考えて身につく機会が増えて行けばいいと思いました。

そういう意味では今まで自分がいち参加者として参加した、まず避難訓練をしてその後話を聞く訓練は順番が逆ではないかとも思いました。

3.大槌の皆さんに感謝を伝える場

先日おしゃっちで、私を含む7名の大槌町地域おこし協力隊員の活動報告会で報告を行いました。

自分はひとりで話す+最後に話す+時間に追われると言った状況でいまだかつてないくらい緊張していました。

前から言われていた笑顔もできず、観に来てくれた人の顔を見れず、話している時の記憶も定かではないほどの緊張でした。

かつてないほどの緊張の中でしたが、わざわざバレンタインデーにも関わらず足を運んで頂いた、たくさんの大槌で共に生きる皆さまに、今までの感謝の思いを込めてお話ししたつもりです。

自分がそういう気持ちになれたのも、大槌で一緒に過ごしてきた皆さまのおかげです。

そしてこれからもいろいろとご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします。

4.多世代の語り部へ

2月25日(土) 第9回全国被災地語り部シンポジウムin東北 @南三陸ホテル観洋

先日、宮城県南三陸町で開催された第9回全国被災地語り部シンポジウムin東北に参加してきました。

その中で印象に残ったワードを書き出してみました。

  • 被災した地元と東京の震災に対するギャップ

  • 時間が経ってあの日からのことを理解できるようになった

  • 理解できるようになったから悲しい

  • 時間がたったからこそ語れる

  • 同じ東日本大震災を語っているのに話す内容は異なる

  • 一方的に教訓を伝えるのでは相手に響かない

  • お互い語り合う

  • そのまま100%相手に伝わるわけではない

  • 自分も最初は語り部は経験のある人がやるものだと思っていた

  • 記憶が無い人だからこそのニーズ

  • 東日本大震災は覚えているが、大変さも分からなかった

  • 記憶が無い世代が語れるようにという話を聞いて一歩踏み出せた

  • 辛いときはいったん休むことが大切

  • 語れないと途切れる

  • しっかり休んで戻って継続することが大切

  • マイナスの言葉ではなく、プラスの言葉に耳を傾ける

  • 語り部を始めた原点を思い出す

  • 震災の話をすることは辛い事?明るい未来にするための話

  • 震災の話をするのに津波や地震を使わなくて表現を変えてもいい

  • 記憶も経験もない自分が震災に関わることになったきっかけにヒントがある

  • 知ることがきっかけになる

  • 語り部の敷居が高く感じる

  • 観て聴いて知ったことを誰かに伝えることが立派な伝承活動

  • 語り部の定義が無いので次の世代は自由にやっていく

  • やり方は自由だが、一緒に震災に向き合い、下の世代だけに押し付けない

といった言葉がありました。

これらは比較的若い世代の言葉で、それぞれの立場で今までの震災伝承を通して、自分の震災伝承への向き合い方の姿勢が表れていると感じました。

今回の発表者の中には、吉里吉里まつりに浪板大神楽で参加したことがきかっけで、震災伝承に興味を持って関わろうとしている大学生もいました。

そういった意味では、今までもこれからも、経験した地域や人とのつながりがきっかけで、震災から伝えたいことが広まっていく、そしてそのきっかけは震災伝承そのものとは別の所にもあるのではないかという期待を感じることが出来ました。

このように、経験や記憶の有無だけではない震災伝承の在り方について、さらに若い(年齢というより関わった長さの意味でも)震災伝承に関わる人にも知って欲しい、心に留めてほしい言葉の数々だと思います。

また、ここまで若い世代の事ばかり述べておいてなんですが、このシンポジウムの最後に出た「多世代の語り部」という言葉がとても象徴的だと感じました。

いわゆる震災の語り部という人は実際退職した人でないと持続できないことが多く、年齢層が高いイメージを持たれがちだと思います。

その一方で、若い世代、例えば中高生などが震災伝承や語り部活動を始めると注目されがちでもあります。

でも、震災を経験した人は、その間の世代にもたくさんおり、直接経験していなくても、被害や影響を受けたり失った物のある人はたくさんいると思います。

個人的には、今まで経験を話したことが無い年配の人が新たに始めることもありだと思いますし、文化の違う国の人でも出来る事だと思います。

このシンポジウムを通して、「多様で自由な語り部の在り方」がより多くの人に震災の経験が伝わり、活きる為に必要な考えの一つではないかと感じました。

5.高校生と自分の考えることは同じようなもの

先日、おしゃっちで開催された、大槌高校の探求発表会・研究協議会を聴きに行ってきました。

ここでお伝えしたいことは、マイプロや大槌高校、高校生が素晴らしいということや感動したということではありません。

大槌高校生が探求の場を通じて、考え、発表した内容は地域おこし協力隊として自分が大槌に来て、当事者目線で感じ、考えてきた事と非常に近いと感じたからです。

高校生の発表を聞く中で、悪く捉えられがちな「大槌は閉鎖的だ」という意見に対して、ポジティブに見ることが出来るようになりました。

その内容について自分が見聞きした分と印象に残った点を整理してみました。

①閉鎖的と言われる大槌のコミュニティ特有の難しさ

不安を解消するために語ることのできる交流の場をが必要と考えているとある生徒さんは言いました、「大槌はメンバーが昔から変わらないのでキャラが固定化されてしまう」と。

確かに、小学校から高校まで、そして社会人になっても同じ人に囲まれて過ごしていると、自分の事を知っている(理解しているとは限らない)人ばかりで、逆に相談できなかったり、違う自分を出すようなキャラ変したりが難しいとのことでした。

お互いが知っているがゆえの難しさがあるとのことでした。

だから、匿名の方が語りやすいのではないかということでした。

そういった話から、大槌という狭くて近い空間で生きてきたからこその悩みを知ることが出来ました。

そう感じる一方で、自分自身は今まで、どこに行ってもいじられキャラになってしまうので、変えられる部分もあれば、変えられない部分もあるのではないかと思います。

そして、ずっと知っている間柄だったとしても、同じ環境に置かれている者同士だからこそ、相手も同じことに気付いていれば、お互いに理解し合える可能性もあるのではないかと感じました。

②新たなコミュニティのあり方

最近海外に行くことが多く、総移動距離が30,000kmを越えた積極的な生徒さんは考えました、「なぜ大槌のコミュニティは閉鎖的なんだろう?」と。

そう考えた理由は、地域外から入学した「はま留学生」の同級生6人のうち、3人が転学したからと言うものでした。

その生徒さんは、外に出る経験を通して、誰も知らない環境が楽しいと感じる一方で、大槌を閉鎖的に感じたということでした。

そこで、大槌で使われる「マキ」という概念を通してコミュニティの変化について調べたということについての話を聞きました。

そして、人は集まると集団が形成され、そこに異なった要素が登場すると内と外に集団を分離しようとするということでした。

要するに、人は知らず知らずのうちに、「自分たちVS相手」の対立構造を作ってしまうということでした。

この話を聞いて、自分自身も本当にその通りだと思いました。

正直自分自身も漫画ONEPIECEの麦わらの一味にフランキーが加入したときは、違和感を感じていましたが、今は一味だと思っています(笑)。

冗談はさておき、結局閉鎖的になる構造を人は作ってしまうものだと理解するのかもしれません。

けれど、その現状を変えたいという思いがその生徒さんにはありました。

そこでその生徒さんは、今後のコミュニティの今までとは異なる在り方について研究していけるのではないかということでした。

発表を聞いた後、質問してみました。

閉鎖的なコミュニティは本当に良くないと思うのか聞いてみました。

その質問に対し、オープンなコミュニティの良さもあれば、閉鎖的なコミュニティの良さも両方感じたといったような返事がありました。

そこで自分は、「閉鎖的」というネガティブに取られやすいワードを使うがゆえに、狭く、閉じたコミュニティを良くない印象で捉えてしまっているのではないかと感じました。

そして、自分自身も一般的に「閉鎖的」と言われているコミュニティの良さがあると感じるようになりました。

③郷土芸能とコミュニティ

とある郷土芸能をやっている生徒さんは、郷土芸能を通して人はどのような力を身につけているのだろうか?と考えていました。

そこで調べたところ、郷土芸能をやっている人の方が、多世代との交流や地域貢献活動などへのハードルが下がっているとのことでした。

そこから、郷土芸能を経験するということは、地域活性に必要な人材育成につながる可能性があるとのことでした。

その一方で、郷土芸能への参加が年に1回などと少ない人は、途中でやめてしまった人が多いとのことでした。

そこから導かれたのは、郷土芸能を続けるには、人との関わりがたくさんあることが必要なのではないか?ということでした。

そして、郷土芸能に多く関わる人とそうでない人の、コミュニティを可視化したら、郷土芸能を続けている人は、蜘蛛の巣のようなコミュニティのつながりがあるとのことでした。

そこまで聞いて、自分自身の体験からも同じだと感じました。

自分自身、この1年間で、臼澤鹿子踊関係の行事はほとんど参加しましたし、鹿子踊を始めたことで、それまでは地域おこし協力隊やその周囲の関係者だけだった自分自身の周りの人間関係が、郷土芸能・鹿子踊を通したことで、今まで知り合った人も、新たなルートでの繋がりとなり、別の軸で自分の大槌での人間関係が広がったように感じました。

それこそ、今までの関係者とは別に、友達と呼べるような存在にまでなったと自分自身は思っています。

外部から来た自分でも、郷土芸能に参加すればするほど深まる関係性というのは理解することが出来ました。

そこで、次にアンケートで郷土芸能からの学びや、良さ、ネットワークの広げ方などを聞いたとのことでした。

その結果として、様々な年代と関われること等の人間関係が良いと感じる人もいる一方で、お金がもらえるということが良いといった意見もあったとのことでした。

そして、お金といった対価があるから続けるのではなく、対価が無くても主体的に郷土芸能を続けることが出来る人が増えることが、郷土芸能の存続に繋がるのではないかということでした。

発表を聞いた後、質問してみました。

自分自身は、臼澤鹿子踊に参加している中で、踊ることそのものが対価だと思っているが、あなたはどうですか?と聞いてみました。

するとその生徒さんも、踊ることそのものが対価だと思っているということでした。

そう聞いた時、同じ対価という言葉を使ってはいるが、鹿子踊そのものの為に続けているということが言えるのは、そこに対して深い関わりがあるからではないかと感じました。

自分自身も、まだうまく踊れているわけではないですが、臼澤鹿子踊で踊ること自体も好きですし、メンバーで集まる場も好きです。

ただ人に見せる為のものと言うだけではなく、関わった人たちがお金などではなく、他では得られないものが郷土芸能に関わることで得られるというのは、なかなか関係者以外には理解するのが難しい大槌の郷土芸能の魅力なのではないかと感じました。

この発表を聞いて、郷土芸能そのものの為だけではなく、大槌の人たちがより多くの関わりを持って良く生きていくため、そして自分自身の居場所でもあり続けるためにも、今後出来る事はたくさんあると感じました。

④既存のコミュニティと来訪者を縛る肩書

とある生徒さんは、せっかく県外から大槌にはま留学生として来た生徒さんたちが、次々と転校したことに、もっと出来る事があったのではないかと後悔をしていました。

それは今まで聞いた発表でもあった、大槌のコミュニティの狭さと、そこに外部の人が入る事によって起こった可能性があるのではないか?ということでした。

自分自身も地域おこし協力隊として、外部から大槌に来ている立場として、その生徒さんと一緒に考えたりしてきました。

そこで、外から来た人は、個人より肩書が先に来がちではないか?ということでした。

「はま留学生」「地域おこし協力隊」等の肩書があると、そこから話すきっかけになる場合もあれば、逆に壁を作るきっかけになる場合もあるとのことでした。

自分自身も、地域おこし協力隊の人として肩書が先行して見られることに、距離感を感じることもある一方で、地域おこし協力隊という肩書が無ければ自分を説明できないジレンマを感じることもありました。

個人的には、肩書で特別扱いされるのではなく、一個人として接してもらいたいとこの生徒さんのヒアリングの時に言ったと思うので、そのように発表してくれていました。

この生徒さんとのヒアリングでやり取りするうちに、自分の思っていることと同じことを考えている人がいるのではないかと思うようになりました。

⑤知らない土地での自分の居場所とアイデンティティ

はま留学生の1人の発表では、はま留学生として注目されつつも、自分に出来る事に取り組み続ける中で、一つ引っかかることがあったとのことでした。

「はま留学生」という肩書でほめられ、記事に紹介されているという点でした。

ただ、そうする中で、地元の人から「はま留学生」ではなく、個人の名前で呼んでもらえて、必要だと言ってもらえたことで、自分を一人の人間として認められることと、安心していられる「居場所」という欲しかったものを手に入れることが出来たということでした。

逆に地元の人という肩書も、大槌で出会った一人一人を一個人として見るという視点とは逆なので、普段は使いませんが、今は名前を載せない場なので使っています。

この生徒さんは、興味のあった郷土料理を通して、大槌での自分の居場所を見つけることに繋がったとのことでした。

シンプルにまとめたので、分かりにくかもしれませんが、自分自身も大槌町外から来た者として、同じことに悩み、同じようなことに喜びを感じていたので、もっと若い高校生ならその苦労はなおさら大変だったのではないかと思いました。

自分で言うのもなんですが、「はま留学生」も「地域おこし協力隊」もそれまで関係のなかった人からすればよく分からないものであり、良く分からない人を良く分からない肩書で紹介する難しさも自分は感じていました。

この生徒さんと自分が町外から大槌に来て同じようなことを感じ、悩んでいたとしても、大人である自分にはそれを伝える機会もなく、伝える必要性も感じられにくいので、いち高校生が自分自身の思いを込めて伝えてくれたことに、とても心強く感じました。

⑥まとめ

たまたま、顔見知りの高校生の発表を見て回っていたら、大槌のコミュニティに対する発表が非常に多く、狭いコミュニティの大槌だからこそ、魅力にも課題にも、大槌高校で学ぶ意義にも繋がっているのではないかと感じました。

また、転校してしまったはま留学生のことや、今も残るはま留学生の話からもあったように、はま留学生という外部から人が交わることでこういったことを考える高校生が増えてきたことは、経過を思えば良かったとは言いきれないですが、関わった人たちが前に進むことにも繋がるのではないかと思いました。

自分が聞いた生徒さんたちは、自分たちが経験したことから、自分の思いを持って考えて発表したのではないかと感じました。

それと同時に「やらされている人もいる」ということを常に頭の中に入れておく必要があると感じました。

前職でも大人サイドとして、児童生徒に関わる中で注意し続けたポイントですが、今後も震災伝承に関わるときは注意したいと思いました。

⑦自分の言いたいこと

個人的には大槌は閉鎖的という時の「閉鎖的」という言葉が非常に使い方が良くないと感じました。

「開放的」と「閉鎖的」という対義語ですが、「開放」という言葉をポジティブに、閉鎖という言葉をネガティブに捉える人が多いのではないかと思います。

英語にすると「open」と「closed」になると思います。

個人的には「close」の「近い」「密接な」「親しい」という意味の方が合っているような気がします。

そういった意味では自分は「open」より「close」に魅力を感じました。

正直自分でも日本という国が欧米諸国に比べてopenではないから安心に感じている部分もあるのかもしれません。

自分は保育園と小学校、中高、大学とそれぞれ同じ人がいない道のりを歩んできたので、自分の歩んできた道が悪いとは思いませんが、大槌で産まれ大槌で過ごした人たちの今までを超えるほどの深い関係になる出会いは簡単には無い環境だと思います。

なので、そういうclosedな場で過ごした大槌の人たちはそれを誇りに思ってほしいと思いますし、町外から訪れた人もそのclosedな場を魅力に感じられるようになればいいと思います。

実際、自分が大槌に来て過ごした3年間は、今までのどこで過ごしたどの期間よりも深い関係性だと自分では思っています。

そういう意味では、自分がジレンマを感じた「地域おこし協力隊」という肩書も、大槌の密接なコミュニティに入るためのパスポートのようなものなのかもしれません。

6.コミュニティの持続可能性

先日、おしゃっちで開催されたコミュニティ協議会に参加してきました。

前回のコミュニティ協議会で企画として挙がった凧上げ大会の写真撮影をしていたので、吉里吉里地区のグループで今回は参加することになりました。

一度実現した企画を継続するための話し合いが行われました。

今後も凧上げ大会を継続するため、そしてより良いものにするための話し合いが行われました。

そこで参加者は様々な意見を出すのですが、そこで気づいたことがありました。

こういったワークショップでは、様々なアイデアが出て、話もどんどん広がっていくのですが、その一方でその実現性や有効性を問う意見も出ました。

確かに、出た意見を否定せずアイデアをたくさん出すという場も必要なのかもしれません。

その一方で、実際に実現に向けて動いた人たちが、これからも確実に継続するという目的のためには、出来る事を絞って議論することも大切なのだと感じました。

様々な夢物語を描くことも重要だと思う一方で、実際問題人口が減り、少子高齢化の道を歩みつつある地域を維持していくためには、未来の担い手の負担を減らし、持続可能な物にするという考えもあっては良いのではないかと思いました。

なので、個人的には、時と場合には寄るとは思いますが、多くの人を巻き込み過ぎず、出来る人が出来る範囲でやり続けるやり方もあるということを常に意識していきたいと思いました。

7.鬼が来た日

先日、大槌稲荷神社で開催された節分祭を観に行ってきました。

最初は鬼が街中を歩く鬼巡業で、おしゃっちにはたくさんの子どもたちが集まっていました。

鬼に思いっきり豆をぶつける子もいれば、鬼の顔が怖くて泣いたり逃げたりする子もいました。

ここまでおしゃっちが賑やかになることは中々なかったです。

その後、釜鳴神事に参加しました。

釜で米を焚いた時に鳴る音で吉兆を占う神事だそうです。

急遽玉串を捧げる役で名前を呼ばれて前に立ったので、緊張してあまり覚えていませんが(笑)

その後は、境内で豆まきがありました。

豆以外にもティッシュとかカップラーメンが宙を舞っていた気がします。

撒かれた豆の袋に付いていたくじで、景品をひとつもらうことができたので良しとします。

そのあとは、鵜鳥神楽の奉納を観ました。

たくさんの人が観に来ていたので、毎年の神楽の巡行はたくさんの人に楽しみにされてるんだと思いました。

おかげさまで盛りだくさんの1日を過ごすことができました。

そして、人によっては興味はないのかも知れませんが、その土地で今まで続いてきたことを、再開させたり続けて行くということは大変なことですが、とても大切なことだと思いました。

地域おこしという文脈では、新しいことを生み出したり特別なことをすることが求められがちですが、今までこの町で暮らしてきた人たちが続けてきた普通のことを普通にできるようにすることの方が大槌が大槌らしくあるためには必要なのではないかと思いました。

そして、鬼のイメトレはできました(笑)

8.鬼になった日

鬼を見た数日後、今度はサロンで自分が鬼をやることになりました。

顔は怖くない鬼ですが、声で何とか迫力を出そうと頑張りました。

来年の節分の鬼も、お任せください(笑)

9.今月の大槌の郷土芸能

2月は、臼澤鹿子踊では自分は踊りませんでしたが、三陸大槌町 郷土芸能 冬の舞では、雁舞道七福神と安渡虎舞の演舞を、25日のおしゃっちで開催された能登半島地震復興支援のチャリティ公演では、金澤神楽、陸中弁天虎舞、吉里吉里大神楽、雁舞道七福神、城山虎舞、大槌鹿子踊の演舞を見ることが出来ました。

今回は大槌鹿子踊ということで臼澤鹿子踊と上亰鹿子踊の合同の演舞ということでしたが、おしゃっちの多目的ホールの広さの都合上、自分は踊り手ではなく写真撮影に回りました。

雁舞道七福神
安渡虎舞

久しぶりに自分の所属する臼澤鹿子踊の撮影しましたが、見せ場のタイミングや角度も分かるようになってきたので、少しずつ大槌の郷土芸能の写真撮影が上達しているような気がしました。(城山虎舞は鹿子踊の直前だったため撮影できていません。)

金澤神楽
陸中弁天虎舞

これからも、踊る側、撮る側の両方で大槌の郷土芸能の魅力を伝えることに寄与できればと思います。

吉里吉里大神楽
雁舞道七福神
大槌鹿子踊(臼澤鹿子踊+上亰鹿子踊)

10.おわりに

ようやく大槌にも雪が積もりました。

今月は臼澤鹿子踊で、踊らなかったので、踊りたい気持ちが抑えられませんでした(笑)

町民の方々向けの報告会でも、多くの大槌で出会った大切な方々にお越し頂き、第一印象で感じた「大槌は良いところ」から今感じている「大槌は自分にとって普通のところ」に自分の中で変化しているのを感じました。

もちろん「大槌は自分にとって普通のところ」の方が良いという意味です。

まだ短いかもしれませんが、3年住んだからこそ、そう感じられるようになったのかもしれません。

大槌町地域おこし協力隊

北浦 知幸(きたうら ともゆき)

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