長く長く、話したい

考えるのが好きな友達が2人集まると、およそめんどくさい話しかしない。議論を交わしたり、謎解きするのが好きな人が集まると、一部の人にとってはそれはそれはうんざりするような話題が続く。しかし、私はそのめんどくさい方の人で、うんざりされてしまう側の人間だ。


その日は、思考実験をした。

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"ある男がハイキングに出かける。道中、この男は不運にも沼のそばで、突然 雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちた。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。

この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。スワンプマンは原子レベルで、死ぬ直前の男と全く同一の構造を呈しており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態(落雷によって死んだ男の生前の脳の状態)も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一であるように見える[1]。沼を後にしたスワンプマンは、死ぬ直前の男の姿でスタスタと街に帰っていく。そして死んだ男がかつて住んでいた部屋のドアを開け、死んだ男の家族に電話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みふけりながら、眠りにつく。そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。"

Wikipediaより引用

2017年4月14日
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さて、男とスワンプマンは同一人物か

すると、男とスワンプマンは何が違うのか


すこぶる難しい。しかも、問いが2つある。

同一人物か……?

何が違うのか?

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ちなみに、私はこのnoteに書いている自分は、リアルの自分とは別人という設定になっている。ゆるい意味で別人だ。リアルの方で「お前キッチンタイマーって名前でnoteやってるだろう」と言われたら「あれは別人という設定でやっている」と、頑張って答えなくてはいけない。ここに書き残していることは、5年後10年後にはきっと別のことを考えているし、今日でさえ前に書いた文章を見て誤字などを発見してはこっそり直している。そうして、直したり、また、自分の文章を見返して「こんなこと思ってたなぁ」と感じると、書き残した文章は私から生まれたものだが、私とは別人という設定にしておきたくなる。あのときの私は、あのときの私。今は今。昔は確かに仮面ライダーになりたかったけど、今は仮面ライダーになる人を見つけたい。

昔は、ステージの裏にいる人を負け組だと思っていた。ステージ上にいる人が一番輝いていて、それを固めるのはそのステージを目指していたけど届かなかった人たちだと思っていた。ステージ上に上がりたかったけど、ダメだったからマネジメントをする。ステージ上に上がりたかったけど、ダメだったからライトを照らす。歓声を浴びる人が一番で、そのほかは全部負け。だから、なんとしてもステージにあがりたかった。

でも、今は随分変わった。いざ、スポットライトを浴びると、すごく楽しい。でも、スポットライトを当てることは、私にとって、もっと楽しいことだった。ステージに立つのは好きだ、でも、その後でどうしたいかというとステージ上で前説がしたかった。

「さぁ、みなさまご注目! これからお目にかけますは、あっと驚く世紀の大魔術!」

とか、そういう台詞をシルクハットとか被りながら両手を広げて叫びたい。それが一番楽しい。

でも、確かにいた。ステージ裏は負け組と思っている自分は絶対にいた。今はそうではなくても、そう思っている自分がいた。その自分は確かに私だけれど、今の私とは全然違う。じゃあ、何が違うのかを説明してみろと突きつけられたら怖くなってしまうかもしれない。

※※※※


話はスワンプマンに戻る。

もしあなたが、この男か、スワンプマンの方だったらどうだろう。同一人物だと言えるだろうか。これは、それはそれはいろんな人が考えた。めちゃめちゃ考えたし、私も考えた。めんどくさい話と言われるものだけれど、それでもなおも解説を話したい。

同一人物であるためには、昔からずーっと一貫して時間が続いていなくてはいけない。おぎゃー、と生まれてからこの文章を書いている今日までをマンガのように一コマずつ順番に並べていくことが出来たら、生まれた私と、今日の私は同じ人ということだ。これを一貫性と呼ぶことにする。

スワンプマンの思考実験ではどうだろう。男の時間をパラパラマンガのように進めていくとスワンプマンになるかというと、この場合は違う。男は雷に撃たれてしまったので男と一貫性を持つのは男の死体だ。スワンプマンも男から生まれたわけではなく、雷に打たれた泥と一貫性を持っている。だから、スワンプマンと男の間に一貫性はないので、この二人は別人である。

ここからが、問題だ。

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さて、男とスワンプマンは同一人物か

すると、男とスワンプマンは何が違うのか
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この二人の違いをどのように証明するか。これは、完全に、私の友人の、ミスリードだった。この「すると」がミソだ。同一人物であるからには、両者の客観的な違いを証明しなくてはいけないかのような問題文を作り上げてきた。悔しい。

私の答えは「第三者には両者の区別が一切つかない」だ。変な話に思えるかもしれない。全く区別がつかないのに別人であるということになる。

しかし、そもそも、他人に区別できるかどうかと一貫性は一切関係がない。例えばあなたの隣にクローンがいて、全く同じ行動をしているとする。あなたは、それを見ている。あなた以外にはどちらがクローンか一切解らない。しかし、誰も区別できないからと言ってあなたの意識がクローンと統合されることはない。もし仮にあなたがスワンプマンで、全ての記憶が5分前に生み出されたものだとしても、全く関係ない。

これは大昔にデカルトというおじさんが、考えた哲学の中に「我思う、故に我あり」というものがある。ここでは簡単に「私って偽物かもしれない、と疑っている自分の存在はどう頑張っても否定できないので、やっぱり私はいる」ということにする。「スワンプマンかもしれない。って思ってる自分は居るじゃーん」ということだ。スワンプマンかどうかは解らないけれど、少なくとも「自分」というものはいる。

自分と隣のクローンの違いは解らないし、むしろ自分がクローンかもしれないけれど、そんなことは関係ない。他者から明確に区別されなくても自分の存在は自分できちんと証明できる。

noteの私はゆるく別人という設定だ。残念ながら一貫性がある。昔の自分を消すことはできない。でも、過去のnoteの投稿を見ている私は書いているときの私とは考えていることが全然違うかもしれない。今日友達と話す私と、ここに書く私は言っていることやテンションが全然違うかもしれない。

どちらも私だけれど、全く同じではないのでゆるく、あくまで、ゆるーい設定だけれど、別人として生きていたい。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。 感想なども、お待ちしています。SNSでシェアしていただけると、大変嬉しいです。