見出し画像

自分の仕事に説明責任を持つ

自分のする仕事に説明責任を持ったほうがいい

入社して間もない時に、上司から言われた言葉。
「自分の担当した仕事は、なぜそうしたのか、ちゃんと説明できるようにしたほうがいい。」

その時は何を言っているのか、さっぱり分からず、「なるほど...」と返事をして終わってしまったが、その言葉は、今も自分の中に残っていて、それから色々と仕事をしていく上で、自分なりに「そういうことだったのかも」と思い始めている。

ちなみに、その上司はだいぶ出世してしまい、なかなか話す機会も減ってしまった。

入社した時は説明責任なんて持っていなかった

入社してすぐのころは、周りの先輩方が自分にあった仕事を振ってくれて、自分は仕事の仕方を教えてもらいながら、こなしていた。教えてもらったやり方をしていれば、結果は出てきて、その結果を先輩へ伝えれば、その仕事は完了していた。

その時の、自分の「仕事に対する説明責任」などはなく、
「なぜその仕事をしたのか?」と聞かれると、「先輩に言われたから」という回答しかできなかっただろう。
簡単な仕事なので、誰かに迷惑をかけるということはなかったが、もし自分のしたことで、誰かに迷惑をかけても、その時の責任は「仕事を任せた先輩」にあって、自分には何も責任がないという考えで仕事をしていたと思う。

たぶん、この考えは学校で15年くらい過ごしていて、染み付いてしまったことかもしれないが、社会に出て自分に責任が出てきた時に、考え方を変えなければ、いけなかったのだろう。

人に迷惑をかけた経験で自分に責任感が出てきた

入社1年目から、一人で仕事をさせてもらうことが多く、初っ端から失敗を経験した。その時、失敗の原因が自分にあることを認めたくなく、自社の製品のせいにしたり、周りの人がサポートしてくれなかったせいにしようとしていた。

責任感のない人間は、原因を自分の外に探す。

ただ、自分の外側の原因を特定したところで、それは自分の力が及ばないところ。そこに原因があったことがわかったところで、自分では状況を良い方向に変えることはできない。

加えて、原因がどこにあるかは、仕事相手(お客さん)からしたら、どうでも良いことで、この状況をよくするために「お前はどうするのか。」というところが一番問われているところ。それなのに、「自分のせいじゃない」という態度を取られると、責任感のない人間という印象が強く伝わってしまう。

その時は、自分の失敗を受け入れて、「次はどうしたら同じ失敗を繰り返さないか」を考えていく姿勢が、相手にも伝わり、一緒に失敗を乗り越えようという姿勢で仕事を進めることができた。

失敗をしたことで、自分の仕事がどの範囲の人にどれくらい影響しているかを知ることができた。

最近、仕事は誰か(何か)を助けることで、その対価をもらうことだと考えており、それは、「私はあなたを助けます。その対価としてこれをください。」という約束から始まり、その約束に両者の責任が発生する。約束を破れば、信用されなくなり、関係を継続することは難しくなる。

説明責任はどんな小さな仕事でも持ったほうがいい

これは最近特に意識していることだが、どんな仕事でも、その先に「相手(人間)」がいるということ。

メールや資料作りでも、取り組んでいる時は、画面に対して行っているので、その先の人間のことはなかなか考えていなかったが、自分の打った文字や作ったものが最終的には誰かに届き、それを見る人がいるということを忘れてはいけないというふうに思い始めた。

入社してすぐは文字に人の気持ちは乗っからないと思っていたが、その道を極めた人(ベテランの方々)からすると、「本気で取り組んでいるか」どうかは一目瞭然。

この人が嘘をついているかどうかなんて、雰囲気で感じ取れることもあるし、「どうせバレない」と思っている人の行動なんて、見ていてなんとなく感じとれることもある。

たぶん、それは小さいことの積み重ねと思っており、小さなことでも責任を持つことができない人は、大きな仕事でも責任は持てないし、信用もされない。

責任を持つということは本気で取り組みこと

責任を持った行動って何だろうって考えた時、結論、「本気」かどうかだと思う。

例えば、子育ても親に責任感があることで、本気で子供を叱るし、危ない目にあったら本気で助けに行く。

自分のしたことは世界の何にも影響を与えていないという考えの時は、責任なんてなかったが、自分のしたことで誰かを助けられたり、迷惑をかけてしまうという思いから責任感が出てくると思っている。

この記事が参加している募集

習慣にしていること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?