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ブレンデッド・コンシャスネス

 「もう少し待ってもらうことはできんのか」

 ゲン爺は縋る想いで聞いた。もちろん相手の答えは分かりきっていた。彼らはここ、ドリームシティをただの実験場としか考えていない。ゴミを分解して作った元素の取引だって無理に行う必要はないのだろう。

「もう決まったことなのです。もう計画を止めることはできません。あなたも融合するといい。素晴らしいところだし、未来でもある」

 ゲン爺はポケットの中の紙を握りしめた。

「そうしたくないと言ったら?」

 相手は肩をすくめた。

「どうぞご自由に。でもここでの生活がもうすぐ終わることに変わりはありません。上陸すればいろいろと面倒が待っているのでしょう。融合すればそんな心配も一切ない」

「少し考えたい」

 相手は分かったという意思を込めてシルクハットをわずかに持ち上げ去っていった。

 ゲン爺はどこまでも広がる水平線を眺めた。心地よいはずの海風も今の気持ちを和らげてはくれなかった。

 夕刻、アリスの店にゲン爺はやってきた。いつものようにカウンターに陣取りちびちびとウィスキーを飲んだ。

「なんだか浮かない顔をしてるわね」

「このところずいぶんと人が減った。お陰で元素の供給が間に合わなくなってる。品質も落ちてる。そのせいでいろいろと文句を言われとるんじゃ。頭が痛い」

 先日の事件のことが思い出される。意識融合して空になった肉体から脳を盗み出す事件が起こった。犯人は倒したがそれ以降も意識融合する者は絶えない。お陰で工員が減っているのだ。

「アンドロイド工員だけではダメなんですか」

「それが不思議なところじゃ。やつらネットワークで繋がってるんじゃから、もっと効率よくテキパキ動くと思うじゃろ。ところがへまはするし、工程は抜かすし。人間の熟練工員のほうがよっぽど早くて正確じゃ。なんでああなるんじゃ」

「ゲン爺は人間同士が常に繋がっていたら失敗がなくなると思いますか?」

「そんな訳あるか。人それぞれじゃ。考え方が違えば動きも違う」

 アリスが人差し指を立てた。

「アンドロイドも同じですよ」

 ゲン爺がため息を吐く。

「リリーがいるなら融合してもいいかのう」

 そんなことを呟くゲン爺にアリスは言った。

「融合して一つになったら共感できなくなりますよ」

 ゲン爺はふっと表情をやわらげ、そうだなと呟いた。

 ところがその晩以降ゲン爺は店に顔を出さなくなった。ほぼ毎日顔を出していたゲン爺がぱったりと来なくなって二週間が過ぎようとしていた。そんな状況で不意に現れたのは、もう一人の島の顔役であるオーキーだった。

「あら、めずらしい。どうしたの」

 オーキーはいつも通り白いスーツ姿だ。さぞかし赤い薔薇の花束が似合いそうだが、その手に持つのは一本のウィスキーボトルだった。

 オーキーはカウンターに『ジョニーウォーカー黒ラベル』を置いて切り出した。

「ゲン爺がいなくなった。連れ戻して欲しい」

『ジョニーウォーカー黒ラベル』は代金代わりということだ。今時本物のウィスキーは希少だ。つまり厄介事という訳だ。

「いなくなったって、どういう事?」

「Mシティから正式に取引停止の連絡が来た。つまりドリームシティの存在価値がなくなったって事だ。前からその点を心配していたからな」

「だからといって姿を消すなんて。これからが大変なのに」

「Mシティは所詮アウトローの集まりだ。そんな面倒を政府が放っておくと思うか」

 もちろんそんなことはありえない。害になるものがあるなら積極的に潰していくのが政府というものだ。

「それでどこに探しにいけばいいわけ」

 オーキーがしわくちゃになった紙を置いた。完全意識の宣伝チラシだった。

「私に人間の意識融合体に潜入しろっていうの? 私はアンドロイドよ」

「機械にだって意識はあるんだろ。ここに行って戻って来た人間はいなんだ」

「私だって戻れるかどうかわからない」

「探しにいくか、今すぐ元素になるかどっちか選べ」

 オーキーが合図すると彼の部下がプラズマ分解銃をアリスに向けた。選択肢はひとつしかないということだ。

 運営会社のサイトで調べたところによれば、ゲン爺が融合した完全意識は中型サイズでサーバはまだ地上にある。100万人以上の大型サイズになるとサーバ衛星ジュノーに移転することができる。目標の100万人までもう少しのため緊急募集をしているということだ。

 連絡を入れるとすぐに転送サイトの接続先を教えられた。そこに接続し直すと、様々な質問の後、吸い上げられるような感覚があり完全意識融合のためのバーチャルエリアに意識だけ飛ばされた。

 そこは広々とした砂漠だった。はるか先には山脈が見えるが辿り着くには時間がかかりそうだ。砂漠には一本の道が伸びていて、その先に門が聳えているのが見えた。とりあえずそこに行くしかないようだ。

 近づくと門は石造りで見上げる高さだった。門扉もまた石でできており神々の姿を模したものか、彫刻が掘られていた。

 その門が地を揺るがすような音を立てて開いた。入れということらしい。

「機械でも入れるのね。犬や猫はどうなのかしら」

 門を潜るとすぐ脇の壁にもたれるようにして埃まみれの老人が座っていた。髭も伸び放題で千年間ここに座っていたかのような風体だ。

「あなたは門番の方?」

「門番? そんなご大層なもんじゃない。この先に進むのが怖くてずっとこうしているのさ」

「この先に何があるの?」

「何もありはしない」

 だが老人は真っ直ぐ前を指さした。

「だが行くがいい。あんたは飲み込まれてしまうことはないじゃろう」

 しばらく先に進むと日干しレンガでできた建物が並ぶ小さな街が見えて来た。街の入り口には目標となっていそうな一本の枯れ木が立っている。近づくにつれ街にはまるで人気がなく荒れ果てているのがわかる。そして入り口の枯れ木には長細い瓜のような実がたくさんついているのが見えた。

 だがこの実はどこかおかしかった。注意してみるとそれは裸の小さな人間だった。老若男女様々な人種の人が頭のへたで枝からぶら下がっていた。そしてその人間たちを監視するかのように一羽のハシブトガラスが止まっていた。

「これは一体何?」

 アリスの問いに応えるようにハシブトガラスが鳴いた。そして大きく開いた羽を羽ばたかさせたかと思うとアリスの目の前に着地した。着地した時その姿は一人の人間になっていた。男は古めかしいフロックコートにシルクハット姿で髑髏の握りがついたステッキを持っていた。

「彼らはこの街に馴染めなかった人たちですよ」

「夢郎! なぜここに」

「お待ちしていました。お久しぶりですね。まあ、驚くのも無理はありません。私はここのブレンダーも兼ねていましてね。人々をうまく馴染ませる係とでもいいますか」

「街に馴染むもなにも、誰一人いないじゃない」

「いかにも。完全意識ですから」

「ここまでやってくるには来たけど、どうやら私は完全意識にはアクセスできないようね」

 夢郎はステッキで手のひらを叩きながらアリスの周りをゆっくり回った。

「いいえ。そんなことはありません。ここに馴染めない人はあのようになります。馴染めた人は完全意識に融合し、悟りの境地に達することができます」

 夢郎は両手を広げた。

「悟り。それは痛みも苦しみもない。悩む事もない。そして野望もなければ欲求もない。どうしても煩悩を捨てきれない人々には得る事ができないもの」

 夢郎がステッキで指し示す先には枯れ木からぶら下がる人々がいた。そして正に先端の示すところにゲン爺がぶら下がっている。

「ゲン爺」

 ゲン爺は声が聞こえないのか虚ろ目で宙を見ていた。

「彼をつれて帰るわ」

「お好きにどうぞ。フルーツのようにもいで下さい。潰れやすいので気をつけて」

 夢郎が深いしわをさらに深くして微笑んだ。だがその目の奥にはどこか邪悪な意思が見て取れる。

 アリスは夢郎に気を払いながら、慎重にゲン爺を枝からもぎ取った。ゲン爺は枝から離れる時にわずかに身震いしたが、すぐに目を瞑り寝息を立て始めた。

「ただ、あなたには残ってもらわなければなりません。せっかくのお客様ですから」

「どういうこと? 残るつもりはないわ」

 夢郎は再びアリスの周りをゆっくりと回る。

「あなたはご自分が特殊だということを分かってない。普通ここに機械の意識は入れないのです。人間たちの完全意識ですから。入り口の大きな門を見たでしょう。あの門は受け入れる者にしか開かないのです。つまりあなたは機械でありながら、完全意識、つまり人間たちに受け入れられたのですよ」

「その完全意識とやらは一体どこにいるの? 姿も見せないで受け入れるも何もないわ」

 夢郎が大きな声で笑った。

「完全意識は目の前にあるではありませんか。この世界そのものが完全意識です。彼らの悟りは我々の目にはこう見えるのですよ」

 アリスは驚きの目であたりを見回した。目の届く限りどこまでも続く砂漠。荒れ果てゴーストタウンのような街。このどこが完全で何が悟りなのだ。

「あなたにもこの街は同じように見えるの?」

「ええ。同じです。どこから見てもゴーストタウンです。いやはや。人間とは理解ができない生き物です」

 夢郎は辺りをぐるりと見渡した後、とんとステッキで地面を突いた。

「さて、ここまで来れたのなら融合も夢ではありません。史上初の人間と機械のブレンディングを始めましょうか」

 言い終わらないうちにアリスの足元の砂が足を飲み込み始めた。引き抜こうとしたが大きな手で握られているかのように全く動かなかった。

「冗談じゃないわ。私は帰らなければならない」

 夢郎の表情がすっと消えた。

「マザーはあなたが融合した完全意識を欲している。この先の千年のため。諦めなさい」

 アリスが腰まで埋もれた時だった。大地が大きく波打った。二度三度と波打ちそして細かな振動が全ての砂を生き物のように動かし始めた。

「何が起こった?」

 状況が掴めず同様する夢郎を他所に、アリスの足が自由になった。アリスはなんとか砂から這い出した。

「どうやら抜け出せたようじゃな」

 いつ現れたのかすぐ横に門の老人が立っていた。

「安曇。貴様の仕業か」

「いかにも。完全意識に融合するなとは言わん。だが融合は本人の意思でなければならない。何人であろうと意思なき者を巻き込んではいかん」

「ありがとう。でもどうやったの?」

 安曇と呼ばれた老人は両手を合わせてアリスに微笑んだ。

「波動を送った。こんな姿になってはいるが、元は皆人間じゃ。願いを波動で送れば通じる。南無阿弥陀仏とな」

 いつしか夢郎の顔から怒りは消えていた。

「まあいいでしょう。今回はお帰りなさい。でもいずれあなたは自らの意思でここへやってくることでしょう。それならば文句はないでしょう。安曇坊」

「うむ。いかにも」

「ではまたいずれ」

 夢郎は両手を大きく広げて飛び上がった。次の瞬間ハシブトガラスの姿となり大空へと舞い上がった。アリスはそのハシブトガラスに向かって安曇の持っていた杖を投げつけた。

 杖は見事にハシブトガラスの身体を貫いた。だがハシブトガラスは空に溶けるように消えていった。

「むだじゃ。あれは多くの投影のひとつに過ぎない。倒すことはできない。それより気が変わらないうちに連れて帰ったほうがいいのではないか」

 そうだ。大事な仕事を完了させなければならない。アリスは門に向かって歩き始めた。

 ベッドの上でゲン爺は何事もなく意識を取り戻した。完全意識の融合スイッチを押した後はずっと真っ暗な海に浮いているような状態で、アリスが行った街のようなものは見なかったそうだ。

「ただ、『ジョニーウォーカー』のマスコットみたいなやつに出会って、ひとつだけどうしても頭から離れないことがあると言ったら、気を失った」

 ゲン爺ははずかしそうに続けた。

「もう一杯だけ本物を飲みたかったんじゃ」

 それが街に馴染めなかった理由かとアリスは思った。

「しようがないやつだ」

 突然の声にゲン爺がぎくりと身を縮ませた。物陰から現れたオーキーの手には『ジョニーウォーカー黒ラベル』のボトルが握られていた。オーキーは黙って二つのグラスにウィスキーを注ぎ、一つを差し出した。

 受け取ったゲン爺はボトルのラベルに目をやった。

「歩き続けろか」

 そう呟くと一気にウィスキーを飲み干した。見上げるとオーキーと視線が合った。数秒視線をぶつけ合った後、唐突に二人とも笑い出した。

 何がおかしいのかアリスには全くわからなかった。茫漠と広がる砂漠と悟りの関係もしかり。人の心は難しい。

 愉快そうにウィスキーを飲む二人。オーキーが差し出すボトルに描かれる闊歩する紳士を見る度に夢郎を思い出しそうだと思った。

          終

『ジョニーウォーカー黒ラベル』を知らない方はいないでしょう。それもそのはず。『ジョニーウォーカー』は世界で一番飲まれているウィスキーと言われています。独特の四角いボトルに斜めのラベル。そしてボトルにデザインされた闊歩する紳士はお馴染みです。

 19世紀初頭にジョン・ウォーカーは紅茶やスパイスのブレンドにヒントを得て、世界初のブレンデッドウィスキーを作ります。彼の死後、息子のアレクサンダーは父の名から『ジョニーウォーカー』と命名します。特徴的な四角いボトルは大量輸送時にボトル破損を防ぐため。斜めのラベルは商店の棚から一眼で見つけられるために採用されたそうです。トレードマークの闊歩する紳士は「KEEP WALKING」というメーカーのメッセージそのものですね。

 さて今回のお話は『ジョニーウォーカー』から着想を得て作りました。『ジョニーウォーカー』といえば世界一売れているブレンデッドウィスキーです。僕のお話の中でブレンドできるものは何かと考えた時、人間の意識と機械の意識はブレンドできるのだろうか? という疑問が浮かびました。そもそも機械に意識があるのかどうか。それは分かりません。でも自分でものを考えることができる機械ができれば、きっとその機械には意識があると思うのです。ともすれば、人間と機械の意識が融合する日が来るかもしれません。融合した時お互いの意識は何を知るのでしょうね。お気づきと思いますが、夢郎は闊歩する紳士がモデルです。

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