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量り売り

 その男はスネークと名乗った。名前の通り蛇のような目をしていた。誰もがそう呼ぶから、自分でスネークと名乗るようになったという。

 スネークは一本のボトルをカウンターに置くと「こいつを店に入れてくれないか」と言った。ウィスキーの卸問屋なのだそうだ。ウィスキーは『デュワーズ・ホワイトラベル』。アメリカで一番の人気を誇るスコッチウィスキーだ。電子ウィスキーならばここでも飲めるが、本物は置いていない。

 ここはシベリア奥地の山の中腹で岩壁にへばりつくように建てられた山小屋。アンドロイドのアリスが営むバーである。こんな僻地を訪れる客はあまりない。たまにやって来る客はなぜか厄介事を連れてきた。

 本物を置きたいのはやまやまだが仕入れも高額になる。アリスが断ろうとするとスネークが言った。

「ではこうしましょう。この一本はサンプルで置いていきます。もしこれがひと月で空いたら、1ケース入れていただくというのはどうでしょう」

 このバーにやってくる客はせいぜい週に一人か二人だ。だが、ボトルを一本サンプルでもらえるのなら悪い話ではない。アリスが了承すると、スネークは満足気に頷いた。そしてまた来月来ると言い残して帰っていった。

 それから二週間客はなかった。三週目に入って一人の男が店を訪れた。男はスミスといい肉体改造しているのか見事な体躯をしていた。ただ、どこか憑かれたような目をしていた。

 スミスは『デュワーズ・ホワイトラベル』を加水したトワイスアップで頼むと、しばらく香りを堪能してから一気に飲み干した。もういっぱい同じものを頼み、同じ飲み方で飲み終えると、ようやく人ごこちついたように息を吐き、勘定をして黙って帰っていった。

 スミスが香りを嗅ぐためにグラスを揺らした際、グラスの中で何か青白い光が揺らめくのが見えた気がした。アリスはボトルをじっくり見てみたが何も変わったところはなかった。

 それから毎日スミスはやってきた。だまってカウンター席に座り、二杯の『デュワーズ・ホワイトラベル』を飲み、詰めていた息を吐き出してから帰っていった。毎回必死な表情でやってくるので依存症かとも思ったが、たった二杯で満足して帰っていく。それにアリスには、スミスが息を吐き出す毎にやつれていくように見えた。話したい事があればいつでも話を聞くと言ってみたが、スミスは黙ってグラスを煽るだけであった。

 やがてボトルから最後の一滴がグラスに注がれると絶望を絵に描いたような表情をした。そのころのスミスは生気というものがまるで無く、目だけが異様に光っていた。見事だった体躯は見る影もなくなっていた。そして彼は二度と店に姿を現さなくなった。

 その後またスネークがやってきた。さもこうなる事を知っていたかのような顔をしていた。足元にはウィスキーのケースが置かれていた。

「売り切れたようですね。約束通り新しいボトルをお持ちしました」

「こうなると分かっていたの?」

「まさか。未来なんて誰にもわかりませんよ」

 スネークは『デュワーズ・ホワイトラベル』のケースを運び入れながらぼそりと呟いた。

「まあ、彼もいづれ瓶に詰まって戻って来る」

 その呟きをアリスは聞き逃さなかった。

「今のはどういう意味? 彼がやつれていったのと関係がありそうだけど」

 スネークがしまったという顔をした。

「いえ、何でもありませんよ。また、飲みに来るだろうって意味でして」

「汗ばんでいるみたいね」

 アリスはスネークを壁に押し付けた。

「話しなさい。さもないとマングースを呼ぶことになるわよ。嫌いでしょ。マングースは」

「分かった。分かったから放してくれ」

 スネークの口からは信じられないことが語られた。彼が扱うウィスキーには人間の生命エネルギーが少し混ぜ込まれているのだ。どうやったらそんなことができるのかと言えば、話題の完全意識を真似たカスクというシステムを使うらしい。

 完全意識はたくさん人の意識をサーバ上で融合することで、あらゆる欲望を排除した完全なる意識を作り上げるシステムだ。融合する意識の数が増えれば増えるほど個人を超えた究極の意識体になれるといった思想に基づいている。

 比べてカスクは人の意識を集めて融合させるところまでは同じだが、完全意識と違って外部から融合意識を操作できる。融合した意識は第三者の手により細切れにされてウィスキーに注入される。

「そんなことが」

「できるはずがないと言いたいのでしょう。できるんですよ。エネルギーというのはいろいろな形に変換できる。それは生命エネルギーだって同じことです」

「その生命エネルギーが入ったウィスキーを飲むと、どうしてやつれていくの」

「デュワーズの中の生命エネルギーは人の体に寄生するんです。寄生された人は徐々に寄生したエネルギー側に寄っていく。そうすると本来の生命エネルギーが肉体を制御できなくなる。更に、寄れば寄るほど新たに生命エネルギーを取り込みたくなり、飲むことを止められなくなるのです。そして最後は」

「どうなるの」

「肉体から引き剥がされてしまう。シールを剥がすように簡単にね」

 アリスがまたスネークを勢いよく壁に押し付けた。

「あの人はどうなったの。言いなさい。もう引き剥がされてしまったの?」

「知らない。私は酒を売れと言われただけだ」

「どうやって元に戻すの」

 スネークがうめきながら答えた。

「死にかけると寄生してたエネルギーは離れるって聞いたことがある。これ以上は何も知らない。放してくれ」

 最後にデュワーズのカスクシステムがMシティにあることを聞き出した。アリスはスミスを救い出すことにした。

 Mシティは通商連合管理の完全機械化された工業島だ。政府アシストコンピューターのアテナスが全ての工程を管理し運営している。通商連合が扱う工業製品の大半がここを経由して輸出されていた。

 Mシティに到着したのは夜半だった。デュワーズはジョン・デュワー&サンズ社で生産されるが、Mシティには関係ある施設はひとつもなかった。代わりにあったのは、他の近代的な工場施設とは比較にならない古びた倉庫で、錆びた扉の内側にはカスクシステムで作られたウィスキーのケースが高く積み上げられていた。その奥でひっそりとカスクシステムは動いていた。

 あまり衛生的とは言えない倉庫の床に透明なカプセルがいくつもならべられ、一番奥の装置に繋がっていた。それは意識転送システムに似ているといえば似ていたが、どこか違っていた。

 どこが違っているのかといえば、意識転送システムは全てが電気的な装置によって構成されているが、カスクシステムの一部を担っているのは、人間社会とはかけはなれた世界に住む何かだった。

 床に並べられたカプセルと奥の装置とを行き来するのは、全身浅黒い小猿ほどの大きさの生き物だった。しかしそれは生き物と言えるのか。なぜなら、それらは丸い腹と細長い手足、そして無毛の頭部で構成され、頭部には瞳のない目と牙の生えた大きな口しかなかった。その姿は小鬼というしかない。

 小鬼どもはカプセルに潜り込むと、鋭い鉤爪のついた長い手を横たわった人の体に差し込み、何かをむしり取るようにした。そして口に放り込むのだった。しかしそうされた人の体には傷ひとつついてはいなかった。それらが搾取しているは正体エネルギーだろう。

 やがて小鬼どもは奥の装置まで行くと自ら上部に開いた口に飛び込んだ。装置は巨大な圧搾器となっていて、押しつぶされた小鬼からはやや粘り気のある透明な液体が絞りだされて下の樽にたまる仕組みとなっていた。樽に溜まった透明な液体は小鬼どもが潰れる瞬間、その呻きに反応するように青白い光を放った。

 そしてここで起こっている光景はアリスだから見えるのだと気づいた。アリスの右目は重力場センサーのおかげで、光学レンズでは見えないものが見えた。

 アリスはいくつも並ぶカプセルからスミスを探し出すと馬乗りになり、口と鼻を押さえた。

 スミスの目がかっと見開かれる。だがアリスは手を離さない。

 その間も小鬼たちはスミスの体に手を差し込んでいる。

 スミスが空気を求めて暴れるが、アリスは全く動じずに抑え続けた。

 群がっていた小鬼どもがざわめき始めた。

 スミスの顔が真っ赤に染まり、やがて白目を向いて紫色になった。

 小鬼どもが声にならない声で喚いていた。

 やがて満身の力で暴れていたスミスの身体から力が抜けていった。同時にスミスの肩のあたりからずるりと巨大ななめくじのようなものが這い出した。それはもがくように這い進みやがて力尽きたように床に染み込んでいった。

 すぐさまアリスは心臓マッサージを開始した。1分ほどで心臓が動き出すのが分かった。そしてスミスが空気を求めて喘いだ。

 小鬼どもが二人に襲いかかってきた。手で振り払おうとしても、その手は小鬼の体をすりぬけてしまった。小鬼の大きな牙で食いつかれると視界が乱れ、思考が途切れそうになった。

「逃げるわよ」

 アリスはスミスを担ぎ上げた。他にもたくさんの人がいたが今はどうにもできない。出口に向かって走り、錆びた扉を通り抜けたとき、まとわりついていた小鬼がぼろぼろと落ちるのが分かった。彼らはこの中にしかいられないのだろう。

「助かったわ」

「ここはどこなんだ。俺は今までどうなっていた」

「あなたはここで命を吸い取られていたのよ」

「誰に?」

「そう。それが問題。あなたにデュワーズを勧めたのは誰?」

「デュワーズ…あれは、バーで出会った男だ。たしか夢郎といった」

「夢郎。今どこにいるかわかる?」

「確か、ジュノーに行くと言っていた」

 アリスは空を見上げた。暗い空に通商連合が打ち上げた人口の月、ジュノーが浮かんでいる。

「まずはここの人たちを助けなきゃ」

 アリスは再び錆びた扉の内側に飛び込んだ。

 手の届かない天空でジュノーがアリスを嘲笑うように輝いていた。

           終


おまけのティステイングノート

『デュワーズ・ホワイトラベル』はジョン・デュワー&サンズ社で生産、販売するウィスキーで、アメリカでは大変人気のあるブレンデッド・スコッチウィスキーです。その滑らかな味わいはハイボールにしても大変美味しいです。

 ジョン・デュワー&サンズ社はジョン・デュワー氏によって1846年に創業されました。ジョン・デュワー氏の息子である、トミー・デュワー氏は大変に有能なビジネスマンで、当時何のコネもないロンドンにおいてアイデアひとつで一気にデュワーズを有名にした人物です。

 その驚くべき発想のひとつが、車輪にデュワーズの広告を刻み、荷車や自転車が通った後のわだちに広告文が残されるといったものでした。驚きの発想力です。

 また当時のウィスキーは樽から量り売りされていましたが、ボトル売りを始めたのもデュワーズが最初で、この功績によりウィスキー界のビッグファイブと呼ばれる一大メーカーに成長していきます。

 やがてトミー・デュワー氏は鉄鋼王アンドリュー・カーネギー氏と懇意になり、アメリカへの足掛かりを掴んだり、ハイボールの飲み方を考案したりとどこまでもエネルギッシュな人だったようです。

 さて今回のお話は「量り売り」がヒントになってできた話です。私のお話にはたくさんの意識をひとつにまとめる完全意識というのが出てきます。サーバへの意識転送や人格コピーができるようになると、こういったこともできるようになるかもしれないですね。集めた意識がそのまま魂とか命かというと、そこはちょっと微妙ではありますが、それを切り売りできたらどうなるのだろうというのが始まりでした。そして切り売りした魂がさらに新たな魂を呼び、不幸が連鎖していく。考えるとちょっと怖いです。

 さてひとりは助けることができたアリスですが、のこりの人たちはどうなったのでしょうね。それはご想像にお任せします。




 

 

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