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アンドロイドは扉の向こうに何を見たか

 ここはMシティの一番外れにあるアリスのバーで名前はない。入り口には酒を提供することを示すために、ただ「BAR」と記されている。

 扉を潜ると正面に8席のカウンターがあり右手に広がるフロアには、壁沿いと中央とでテーブル席が10組ある。

 だが、今日も客は廃棄待ちのアンドロイド、オニールがカウンター席にぽつんと座るだけだ。なぜならMシティはアンドロイドしかいない。すべてのアンドロイドは大量の工業製品を製造するために隙間のないシフトで働き続けている。暇を持て余しているのは廃棄が決まったオニールのようなアンドロイドだけだ。

 理由は他にもある。フロアの左手には小さなステージがある。ステージに置かれたピアノは壊れているが、不思議と曲を奏でる。そしてその曲に合わせて足だけのダンサー、ブリニーが踊っている。ブリニーはアンドロイドの幽霊だった。

 Mシティ唯一の娯楽施設には幽霊がでる。でたからといってアンドロイドからしてみれば、薬にも毒にもならない。怖いとも面白いとも思わないのだから。そんな訳で店はいつも開店休業に近かった。

 そんなアリスのバーに珍しくオニール以外の客が来た。客の名はコニーといった。

 コニーは勢いよく扉を開くと物珍しそうに店内を見回した。若い風貌をしており工場地帯にはめずらしい派手な格好をしていた。前髪を長く垂らし、鼈甲のメガネをかけている。真っ赤なジャケットは薔薇の花を散りばめたデザインだ。

「やあ、ここが我がMシティ唯一のバーか。もっと派手な店を想像していたが随分としけた作りだな」

「いらっしゃい。どこでもお好きな席にどうぞ」

 コニーはテーブルを撫でながらゆっくりと歩き、窓際の席にどっかと腰を下ろした。

 アリスが宙にメニューを表示させるとコニーは見もせずに手でそれを払い除けた。

「酒をくれ」

「電子ウィスキーの水割りでいいかしら」

「センスがある飲み物なら何でもいい。あんたにまかせるよ」

 そう言ってコニーは試すような笑顔を向けた。

 アリスは少し思案してから『富士山麓・シグネチャーブレンド』の水割りを選択した。『富士山麓・シグネチャーブレンド』はまろやかな風味の割に値の張らないウィスキーだ。

 テーブル上に表示された水割りのグラスを掴むとしばらく眺めてから鼻で笑い、ろくに味わいもせず砂漠で水を見つけたような勢いで飲み干した。そしておかわりを要求すると指を一本立ててアリスに向けた。

「なあ、あんた。ここのオーナーなんだろ。どうしてこんなしけた店で成功できると思ったんだ。内装も驚くほどセンスがない」

 カウンターのオニールがが反応しかかったのでアリスが手で制した。内装を手がけたのはオニールだ。

「まあ、成り行きでね。少しずつ認知度が上がればいいと思ってるわ。それにあなたみたいな新型が増えれば、きっとお客さんも増えるはずよ」

「新型ね」

 コニーはいかにも面白いといった風に笑った。

「たしかに俺と工場の連中はちがうな。やつらは笑わない。それに休みもしない。だが俺は違う」

 コニーは二杯目を飲み干して空のグラスをカウンターまでやって来て置いた。

「なあ、俺は何をしているように見える」

「あてがう仕事がなかったんじゃないか?」

 オニールが横から口を挟んだ。

 コニーはオニールを睨みつける。

「俺はプロデューサーだ。今度劇場を作る。いいか、こんなしけたバーとは違うアンドロイド向け体験型の大型劇場サイトだ」

「アンドロイド向けの劇場? 一体どういうものなの」

 アンドロイド向けのゲームサイトというのはある。だが体験型劇場というのは初耳だった。興味をもったアリスが尋ねた。

「詳しいことは言えないが、アンドロイドが人間を体験できるようにする」

 コニーは三杯目の水割りを飲みながら説明を始めた。その目は自信と希望に輝いている。あまりアンドロイドには見られない特徴だ。アリスは右目でコニーを見てみた。アリスの右目は重力の僅かな違いで相手のエネルギー場を見ることができた。そしてその右目はコニーにアンドロイドらしからぬ特徴的な形を見つけた。

「今まで人間がアンドロイドを体験することはできた。意識転送すればいいからな。でも逆はなかった。アンドロイドの意識を映画コンテンツの登場人物に融合させるんだ。アンドロイドにしてもれば、この人間はどうしてこんな行動を取るのか。驚きと発見に満ちた経験になるはずだ。どうだ画期的だろう。俺が考えたんだ」

 それを聞いてオニールが大笑いを始めた。

「人間を体験するだって? そりゃおもしろいや。だがそんなことしたがるアンドロイドがどこにいるっていうんだ」

 笑われたコニーの顔が怒りで歪んでいく。

「俺を笑うな。このやろう」

 唐突にコニーがオニールに飛びかかった。

 だがオニールは建築用で体が大きい。到底力で敵うはずがなかった。オニールが腕を一振りするだけでコニーは弾き飛ばされて床に転がった。

 立ち上がったコニーの顔から表情が消えてなくなった。手足をぴんと伸ばして痙攣したように震わせている。何かまずいことを起こしそうだというのは、アリスの右目を使わなくても分かった。コニーは突然狂ったように暴れ始めた。テーブルを薙ぎ倒し、椅子を投げ、壁や装飾品を蹴ってありとあらゆる物を床にぶちまけていった。

「ちょっと止めて」

「お前に何がわかる。お前に何がわかる。お前に何がわかる」

 絶叫するコニーを羽交い締めにしようとオニールが手を伸ばすと、コニーはその手に噛み付いた。まるで癇癪を起こした小さな子供だった。

「うわ。何しやがる。指がちぎれる」

 アリスはカウンターから飛び出すと手早くコニーのボディに打撃を加えて動きを封じ、足を払って床に倒した。倒れたコニーの背中を膝で押さえつつ、首と脚をロックして動きを封じた。

「くそっ。俺はプロデューサー様だぞ。バーテンの分際で放しやがれ」

「バーテンじゃない。バーテンダーよ。壊した物は弁償してもらうわ。いいわね」

 手早くコニーを縛り上げると、アリスはコニーを見下ろした。

「こいつ一体どうしたっていうんだ。今時暴走するアンドロイドなんて見たことないぞ」

 オニールが指を押さえながら不思議そうに見ていた。それもそのはずで、政府アシストコンピューターのアテナスがアンドロイド開発に加わってからというもの、アンドロイドのプログラムは加速度的に進化を遂げた。考えられるバグは全て取り除かれ、機械的な不良品の割合も限りなくゼロに近い。そういった安定したアンドロイドが生産される中、異常を起こして暴れるアンドロイドはんて旧時代にしか存在しない。

「彼は子供なのよ」

「俺は子供じゃない。最新型のアンドロイドだ」

 アリスがコニーのエネルギー場に見つけた特徴。それは正に人間の子供と同じだった。非常に不安定で一つのパラメータに偏り始めると一気に全体がそちらに寄ってしまう。

「子供って、人間には見えない。どう見たってアンドロイドだ」

「アテナスがどんなことを考えているのか知っている?」

 アリスがオニールを見る。

「さあ、知らないな。俺はただの建築作業員だから」

「人間の意識をアンドロイドの意識を融合させて、アンドロイドのボディに載せようとしているの」

「それなら昔からやってるじゃないか」

「それは操縦していただけ。つまり、人間の意識がアンドロイドのボディを操縦するのではなく、アンドロイド自身になるということ。そのためにアテナスは完全意識に人間の意識をたくさん融合させて、それを薄くスライスしてアンドロイドに融合させている。今目の前にいるコニーがその例よ」

 オニールが驚きに目を見張った。

「こいつは半分人間だっていうのか?」

 改めてコニーを見つめるオニール。確かにアンドロイドらしからぬ言動だと思った。普通仕事でもなければ薔薇の柄のジャケットなんか着ない。

「じゃあ、暴れた原因っていうのはまさか」

「そう。人間の意識が融合されて新たな扉が開かれたせい。完全意識はたくさんの人の意識が融合することで個性が打ち消されて、意識としての完全性を手に入れた。ウィスキーで言えば熟成のピークを迎えたモルト原酒をブレンドしたピュアモルトというところかしら。ところが私たちアンドロイドの意識のピークはどこなのか誰も知らない。ましてや融合させた結果なんか想定できるわけがない。それにスライスした意識は元の特徴をそのまま受け継ぐのかっていうと」

 アリスはコニーを見つめた。どうやっても動けないと分かるとコニーは急に勢いを無くして今にも泣きそうな不安でいっぱいの表情になっていた。

「意識ってそういうものじゃないみたい」

「悪かったよ。頼むから解いてくれ。許してくれ」

「ねえ、さっきのウィスキーの味は覚えているかしら」

 唐突な質問に呆気に取られるコニー。

「いや。その、覚えてない」

「『富士山麓・シグネチャーブレンド』はモルト原酒とグレーン原酒の樽熟成がピークになった原酒同士をブレンドして造っているの。ただ、それぞれのピークは同じ年数じゃないわ。その違った個性、違った熟成年数のウィスキーを絶妙にブレンドするからこそまろやかな味わいになる。あなたの意識をブレンドしたアテナスは、残念だけどブレンダーとしてはまだまだ半人前って感じね」

「何の話をしているかわからないけど、俺はこれからどうすればいいんだ」

「そうね」

 アリスは縄を解いてやった。

「学び続けるしかないでしょうね。人間たちみたいに」

 コニーをカウンター席に座らせると、目の前にグラスを置いた。中身はもちろん『富士山麓・シグネチャーブレンド』だ。

「今度はじっくりと味わってみて」

 コニーは香りを嗅いでから一口含む。

「ウィスキーってこんなに甘いんだ」

「またひとつ扉を開いたわね。坊や」

 そういってアリスは微笑んだ。

          終

『富士山麓・シグネチャーブレンド』はキリンの運営する富士御殿場蒸溜所で生産されるブレンデッドウィスキーです。樽熟成のピークを迎えたモルト原酒とグレーン原酒を、世界一のブレンド技術でブレンドしています。サントリーやニッカが全盛のジャパニーズウィスキー業界にあって、キリンの製品という自体が珍しくもありますが、富士御殿場蒸溜所はその蒸溜所内でモルト原酒とグレーン原酒を両方生産しているという世界的にも珍しい蒸溜所です。自らの蒸溜所で造っているからこそ、絶妙なブレンドが実現するのでしょう。

さて、昨今物騒な殺人事件のニュースを耳にすることが多いのですが、ニュースを見る度にどうして殺人にまで発展してしまうのだろうと不思議に思います。もちろん追い詰められれば誰だってそういう精神状態に陥るのかもしれませんが、そんなことで? と驚く事件も多いのではないでしょうか。

では未来世界でアンドロイドが暴走することはないのでしょうか。きっと特定の技術が突き詰められたら暴走なんてありえないほど安定する時期が来るでしょう。でもそこに新しい技術で小さな世界からひとつ大きな世界に扉が開かれると、再び過渡期を迎えて想像もしなかったような事態が起きるかもしれません。それが酒場で暴れる程度で済む話ならよいのですが、ターミネーターのような世界がやってくる原因は「そんなこと?」というプログラムミスかもしれませんね。


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