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スケルトンクルー

 アリスが床に下ろしてやると、意識の雫は転がるようにして去ってゆき、やがて壁に染み込むようにして消えた。

 アリスはサーバ衛星ジュノーの展望廊下を歩きながら、見つけた意識の雫をひろってはその中に埋もれている記憶を眺めて歩いた。直径二十キロメートルのジュノーというサーバに、一体どれほどの人間の意識が融合しているのか知らない。ただ、融合するたびに欠片のような意識の雫が飛び散り、そこここに染みのような痕をつける。それはほんの小さな欠片だし、ほとんど人間性など残っていない。それでも残滓のようなエネルギー場の中にも僅かな記憶が残されていたりする。それは家族の顔だったり、思い出の場所だったり様々だ。そういった記憶の映像を眺めながら、この人物はどのような人生を歩んできたのだろうかと想像した。

 アリスは展望廊下の透明な床から青い地球を眺めた。アンドロイドの自分でさえも輝くような青さを本当に美しいと感じる。そして雫たちがその青い光に触れる時、皆一様にして震えるのが伝わってきた。その震えを感じ取る度に彼らは本当に完全意識に融合したかったのだろうかと疑問を感じる。

 完全意識。苦しみも悲しみもな悟り切った孤高の意識。自我と個性は消え失せ、全てを超越した知性体。そこにはもう感動すらない。それはアリスの頭上すぐのところで息づいている。彼らは、それは、一体何を感じているのだろうか。

 廊下を進むとまた一つ、小さな雫を見つけた。

 そっと手で包み込み、右目でエネルギー場を読み取る。ぼんやりとした部屋が浮かび上がってくる。どこかの作業部屋だろうか。壁に宇宙服が並んでいる。奥の扉を潜ると長い通路の左右にはベッドが並び、様々な男たちがベッドの上から挨拶をしてよこした。ウィスキーのボトルを突き出す者もいる。この雫の持ち主は人気者だったのかもしれない。

 そしてベッド部屋の一番奥の壁に向かって手を伸ばす。そこで記憶は途切れた。

 何の変哲もない白い壁だった。その壁に触れた手には明らかに感情が込められていた。そこには一体何があるのか。アリスはその壁に興味を持った。

 もう一度今見た記憶を検証する。

 壁の材質や作りから、この記憶の持ち主はジュノー建設に携わった建設作業員だろう。きっと仕事が終わってベッドルームにもどり一休みする時の記憶だ。アリスは入手できるジュノーの設計図を広げてみた。公開されている設計図にはあまり情報が記載されておらず建設作業員用の部屋はみつからなかった。ジュノーは表面に近い十層分が人間が活動できるエリアになっている。その内側は全てプロセッサだ。つまり十層のどこかにベッドルームがある。とはいえジュノーの巨大さを考えれば闇雲に探して見つかるものではない。アリスは念入りに設計図を眺めた。そして何箇所か第十一層目があることを見つけた。いかにも建設作業員用の部屋になりそうな場所。まずは手近な場所から当たってみることにした。

 いくつかはただ空調のためだけの区画だったが、すぐにその部屋を見つけることができた。階段を登り正面の扉を開くとそこは着替えや準備をするための部屋だった。壁際には数十はあろうという宇宙服がずらりと並び、棚の上には溶接機や電磁カッターが無造作に置かれていた。紛れもなくあの記憶の部屋だった。

 ただ、そこは長年放置されていたらしく、美化された記憶とは違いそこここにゴミが散乱していた。椅子は倒れどこかでばちばちと電気がショートするような音がする。故障箇所も修理されていないのだろう。

 空気は澱み何か重苦しい雰囲気が漂っている。部屋自体に負のエネルギーが漂っているのが感じ取れる。アリスはエネルギー場をみることができる右目で見てみた。負のエネルギーは奥の部屋から漏れ出ていた。アリスはうっすらと埃の積もった床を奥の扉に向かって進んだ。

 ぱちんという音がして背後で何かが動く気配がした。

 咄嗟に身を屈めると頭のすぐ脇を青白い火花を放つ電磁カッターが回転しながら掠めていき、壁にぶつかって火花を上げた。

 再びぱちぱちと電気がショートするような音がする。

 アリスは飛んできた椅子を手でかわした。電気がショートする音なんかじゃない。それはラップ音だ。続け様に棚に乗っていた電気工具がアリスめがけて飛んできた。アリスは前方に駆け出し扉に向かって飛んだ。

 アリスが扉を潜り抜け閉まったところで電気工具がぶつかる音がした。頭のすぐ脇で扉を突き抜けた溶接機のノズルが青い炎を上げていた。

 扉の内側は予想通りベッドが並んでいる。だがそれもみな荒れ果てていた。汚らしくシーツは裂け、スプリングが飛び出している。そしてなによりおぞましいのはベッドのいくつかにはドス黒くミイラ化した遺体が横たわっていることだ。ここで何人かの人が亡くなった。それらが負のエネルギー場となってこの部屋に充満したのか。いや何かが違う。ミイラには何のエネルギー場も見えない。

 なぜ彼らは亡くなったのか。おそらく彼らは完全意識に融合することで肉体を捨てたのだろう。そして誰も引き取り手がない抜け殻はそのまま時を経て、乾燥した部屋でミイラと化した。彼らにしてみれば、抜け殻になった肉体など脱ぎ捨てた服のような物だったのだろう。

 アリスはベッドの間を黙って歩いた。ドス黒いミイラの脇を通り抜ける度に、打ち捨てられた肉体が哀れに感じた。

 背後でベッドが軋む音がした。続けて何かが床に落ちる音。それは体積の割に軽くて乾いた音がした。振り向かなくてもわかる。ミイラが床に落ちた音だ。部屋の奥でも同じような音がする。それは連鎖でも起こしたように部屋全体に広がっていった。

 ついに目の前にあるベッドからミイラがむくりと上体を起こした。乾燥して硬くなった皮膚がぱきぱきと音を立てて裂けた。それでもミイラはベッドの縁を掴んでぎこちない動作で立ち上がった。落ち窪んで濁った目がアリスを見つめていた。

 正面のミイラがアリスに飛びかかってきた。それを皮切りに四方八方からミイラが襲いかかってきた。彼らの意識は皆完全意識に融合している。ならば一体何が彼らを動かしているのか。

 アリスは斬霊剣を抜くと正面のミイラを切り裂いた。続け様に右から飛びかかってくるミイラを切り、左手のミイラを蹴り倒す。背後から飛びかかってきたミイラを背に従えたまま、さらに正面奥のミイラに向かって斬霊剣を振るう。だが、斬っても斬っても何の手応えも感じない。斬られたミイラは再び残った身体を持ち上げてアリスに向かってきた。彼らを動かす意識を切り離さねばならない。だがアリスの右目はそこに明確なる意識を見つけられなかった。ミイラたちはみな己の意志を持たず、ただの操り人形のように操られているだけだ。

 アリスは背中のミイラを投げ飛ばすと、彼を踏み台にして一気に跳躍した。着地したその先は雫の記憶が見ていた壁である。何もないただの壁に見える。アリスは構わず満身の力で体当たりした。

 大きな音がして壁が崩れた。そこにはさらに奥に続く一本の通路があった。通路の先には小さな扉が見える。振り向くとミイラたちはこちらには入れないのか、壁の向こうに並んで濁った目でこちらを見つめるばかりだった。

 アリスは奥に進んだ。そして扉を開いた。

 そこは小さな部屋だった。真ん中に銀色の樽が一つ置かれている。ちょうど人一人入れそうな大きさの樽の脇に、小さなテーブルがあり畳まれた衣服が置かれていた。樽には小窓が付いていて中が覗けるようになっている。ここからでも濁った茶色の液体が入っているのが見えた。

 近づいて中を覗いてみた。濁っていてよく見えない。

 少し揺すってみる。液体で満たされているせいでほとんど動かないが、何かが奥の方で漂っているのがみてとれた。目を凝らしていると唐突に目の前に現れたのは白骨化した骸骨だった。この樽には本当に人が入っていた。その人物は長い年数をかけて分解し液体に溶け込んでしまった。

 なるほどミイラを動かしていたのはこの人物の思念か。

 その人物が何者なのか知るために脇のテーブルを探ってみた。

 綺麗に畳まれた黒い衣服の上に置かれた特徴的な品が二つ。シルクハットとステッキ。ステッキは手元をねじると内側から仕込みの剣が現れた。どちらもアリスには馴染みの品である。アリスはその人物を追ってここまでやってきたのだから。

「夢郎。そんな馬鹿なことあるわけないわ」

 夢郎はつい先日、アリスとの戦いに敗れ、繊維プロセッサの雲に飲まれて死んだ。

 いや、本当に死んだのだろうか?

 電気が流れる糸を身体中に巻かれて生きていける人間がいるとは思えない。ただ、夢郎は普通の人間ではない。高次元の存在が人間の女性に生ませたハイブリッドだ。

 だが、仮に夢郎が生き延びたとしても、この樽の中で髑髏となっているのは誰? この部屋は数十年このまま放置されていたのだ。

 あの雫の記憶からすれば、壁の内側にいる何かに敬意を持っていた。絶大な力を持つ者、夢郎への畏れが感じられた。かつて夢郎はここで死に、樽に埋葬された。ならばこれは夢郎が望んだ埋葬方式。つまり樽の内側の液体はウィスキーに違いない。

 樽をよく見てみると反対側にラベルが印字されていた。

『メーカーズマーク・プライベートセレクション・スイートメモリー』

 彼は埋葬の日のために樽を一つプライベートセレクションとして作らせていたのだ。ウイスキー好きもここまでくれば大したものだ。そして死んだ後も皆に崇拝されていた。きっと建築作業員のウィスキーは彼が全て彼の奢りだったのだろう。

 だが、工事が終わり作業員たちは引き上げた。残った者は完全意識に融合してしまい、誰も夢郎を顧みなくなった。夢郎は宇宙にただ一人残された。

 その後、夢郎の意識は新たなる肉体に宿り、アリスの前に現れた。もしかしたら夢郎はこんな寂しい窮地に自分を置き去りにした世間を、混乱させるために蘇ったのかもしれない。ならば目的はまだ達成されていない。

 彼は本当に死んでいるのだろうか。

 アリスは畳まれた衣服の内側から一枚の写真を見つけた。漆黒の宇宙を背景に灰色の大地にヘルメットを被って立つ女性。きっとそこは月面基地で女性は夢郎の母親だろう。

 アリスの中に次の目的地が示された。確かめなければいけなことがある。

「月に行こう」

 でもどうやって。

 アリスは樽を見て言った。

「夢郎。あなたを火葬にしてあげるわ」

 アリスはジュノーの外郭で慎重に樽の向きを調整した。僅かでも狂えば永遠に宇宙を彷徨うことになる。ブラスターを装着してはいるものの、その推進力だけでは到底月には到達できない。どうしても夢郎の力を借りる必要があった。

「さあ、準備はできたわ。いいかしら骸骨の夢郎。あなたも熟成が終わったら外に出たいでしょう。行くわよ」

 アリスは時間を見計らって着火ボタンを押した。

 樽の中で空気とアルコールの混合ガスが爆発し、樽の蓋を一気に押し上げた。同時に内部に格納されていた夢郎の骸骨が宇宙に向かって四散した。

 アリスは樽の爆発の勢いを借りて宇宙に飛び出した。いくら計算しても爆発の方向はずれが生じる。そこはブラスターで加速しつつ補正する。軌道に乗ったと同時にブラスターを停止させた。残りは到着時に減速に使う必要があった。振り向くと徐々にジュノーが遠ざかっていく。時速にすればせいぜい二百キロメートル程度だろう。これから二十日間かけて宇宙を飛行し、ちょうど月が通りかかったタイミングで着地する予定だ。計算にミスはない。予想外のことが起きるとすれば、無数の宇宙デブリにぶつかること。それさえなければ月にたどり着ける。

 さて、二十日間何もすることがない。そしてメモリーには大量の電子ウィスキーのストックがある。となれば飲むしかない。アリスは最も相応しいと思う一本を選び出した。『メーカーズマーク46』さすがにプライベートセレクションは手に入らないが、ベースとなったウィスキーならいいだろう。アリスはグラスに注いだ。無重力でもこぼれないのが電子ウィスキーのいいところ。すでにジュノーは小さな光点となっている。そして月はまだ昇っていない。そこにあるのはスイートメモリーかビターメモリーのどちらかわからないが、いづれにしても決着の時が迫っている。アリスは昇り始めた月に向かってグラスを掲げた。

          終

『メーカーズマーク・プライベートセレクション・スイートメモリー』はアメリカはケンタッキーバーボンのメーカーズマーク蒸溜所で生産されるプライベートウィスキーです。プライベートウィスキーとは、顧客の希望に合わせてブレンド配合をしてくれるサービスです。自分だけのオリジナルウィスキーができるところが魅力ですが、当然その分値が張ることになります。ベースになるのは『メーカーズマーク46』です。メーカーズマークは独特の味わいを作り出すために、樽にインナーステイブという樽材を入れる手法を編み出しました。ところが当時ヨーロッパでこの手法は受け入れられませんでした。なぜなら樽の中には原酒しか入れられないというルールがあったからだそうです。ですが今ではこの手法も受け入れられ、世界中で愛されるバーボンとなっています。このインナーステイブやブレンド原酒の比率を指定できるのがプライベートセレクションです。興味深いとは思いますが、まあ、自分でやるよりプロにお願いした方が美味しいものができるとは思います。

 さて今回のお話はちょっとホラーな味付けにしています。もちろんインナーステイブにかけたつもりですが、ちょっと人間が溶け込んだウィスキーは飲みたくないですね。夢郎を追ってMシティを飛び出しジュノーにやってきたアリスですが、最終目的地は月です。ジュノーには人がいない設定なのであまり物語が膨らみません。ですが月面基地にはまた街があります。街には人がいてウィスキーがあるものです。そしていよいよ決着もつけなければならない時期がやってきました。結末にむけてまだアイデアを練っている最中ですがぜひお楽しみに。


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