探偵さ
ブライアント警部補はタバコに火を点けると大義そうに吸った煙を吐き出した。
古めかしいトレンチコートを羽織り、つば付き帽子を被る姿は百年前から刑事をやっていそうである。姿はもとよりその鋭い眼光も深いしわも全てが刑事然としている。この肉体改造全盛の時代に、遺伝子操作もせずにただひたすら己の頭脳だけを頼りに犯人を追う姿勢は刑事の鏡と言っていいのだが、ただ一つ難があるとすれば、ブライアントは性格が悪かった。
「一番目立つところに貼れって言ってるんだよ」
ブライアントがアリスに食って掛かった。指名手配犯の電子ポスターを入り口正面の空間に掲載しろと言って聞かない。
ブライアントの傲慢さに我慢がならないとでも言うように、寝そべっていたグレートデーンは起き上がるとのそのそとバックヤードへ姿を消した。
ただでさえ客が少ない深海バーの扉を潜った瞬間に、指名手配犯ポスターがこれ見よがしに回転などしていたら、客が来なくなることは間違いない。アリスとしてはそれだけは避けたい。なにしろここは政府アシストコンピューター・アテナスの管理外地区だ。脛に傷を持つ連中がやってくる場末のバーなのだから。
「もう少し脇じゃだめかしら」
ブライアントが粘つくような視線でねめ上げた。ブライアントはアリスより背が低かった。
「あ? おまえ誰に物を言っている。何だったら調査の者をよこしたっていいんだぞ。叩けばいくらだって埃が出る身だろうが」
ブライアントは再び大儀そうに煙を吐き出すと、挨拶代わりに出させた本物のウィスキーの残りを飲み干した。
「いいか。俺がここと言ったらここだ。面倒なことになりたくないだろう」
アリスはため息をひとつつくと電子ポスターを一番目立つ場所に貼った。ぐるぐると回転するポスターは目つきの悪い男が表示されている。この犯人はなんでも快楽殺人アンドロイドということだ。アンドロイドに快楽という感覚はない。どういう経緯でアンドロイドが快楽殺人をするのかわからないが、こんな目つきの悪い男が一日中店内を睨みつけていたら中の客だって帰ってしまう。
「それよりも、おまえの経験から言ってこういうやつはどこに隠れるんだ。教えろ」
「私は元軍用なだけでテロリストじゃないわ」
「おまえだって人を殺したことがあるだろ」
アリスは言葉に詰まった。忘れることができない記憶。アリスは自らの生みの親であるクエーカー博士を殺していた。もちろんそれには理由があり、裁判結果でもアリスは無罪放免となっているが、その判決に納得しない人間たちに今でも追われる身である。だからこんな管理外地区の深海バーに身を潜めるしかない。
するとカウンターの奥の席に座っていた男が口を開いた。
「彼を知っていますよ」
男は存在すら忘れてしまうほど特徴がなく、ひっそりと電子ウィスキーを飲んでいた。
「おまえ誰だ」
「私には決まった名前がありません。その都度担当の名前を与えられますが、殺されればそこで終りです。私は司法省刑事部証拠証明課付属のダミー被害者アンドロイドです。本日付でお役御免になってしまいましたがね。型番を言いましょうか?」
「被害者ロイドだと? ああ、裁判の証拠提出のために再現殺人で殺される役のことか。そいつは難儀だな。おまえさんたちのおかげで随分と事件が解決している。それはそうと、やつを知っていると言ったな。やつはどこにいる」
ダミー被害者は頭脳と骨格以外は全て培養臓器で表情は最も特徴なく作られる。再現殺人の度に被害者の顔に整形されるため、整形しやすくするためである。被害者のライフログを記憶に埋め込み、被害に遭った時の行動を再現させることで、犯人特定の鍵を見つけ出す。
ダミー被害者の相手となるのはダミー加害者だ。ダミー被害者同様に被疑者のライフログを埋め込むことで、殺人犯たりうるかを検証する。アテナスがシミュレーションすれば簡単に分かりそうなものだが、肉体を持つ者が再現するほうが的中率が高いためこのようなアンドロイドが使われることになった。
ダミー被害者とダミー加害者は繰り返し殺人を行うことで、肉体がぼろぼろになる。同時に電子頭脳にエラーが起こりやすくなる。それは実験といえど、繰り返し犯罪を行うことで負の場が固定化されてしまうのだ。殺人という強烈な負の場の作用は、電子部品にさえ影響を与え正しい判断ができなくなる。
「彼は私とおなじ課に付属されていました。ウィルスに感染したため私より早く廃棄処分が決定されました。たちの悪いウィルスが何か影響を及ぼしているのかもしれません。今どき感染していない機械を見つける方が難しいくらいですからね」
「おまえら知り合いか。だが知りたいのは思い出じゃねえ。今どこにいるかだ」
「残念ながらそれはわかりません。私達は繰り返しライフログを埋め込まれることで、自分というものを失ってしまうのです。ライフログを消された今、次に何をすればよいのかも分からない。ましてや他人のことなど分かるはずもない」
ブライアントは人差し指を突きつけた。
「だったら、その役に立たない口を閉じてろ」
ブライアントはこれ見よがしにお代わりを要求したが、アリスがさり気なく無視をしていると、本部から呼び出しでもあったのか舌打ちしながら出ていった。
そのすぐ直後に来店した客があった。
扉を潜ったその客は正面で自分の顔がぐるぐると回っているのをしばらく見つめていたが、さほど気にするでもなくカウンター席に座った。
もちろん、席につけば客である。アリスの客に対する対応が変わるわけではない。
「いらっしゃい。何にする?」
「電子ウィスキーの一番強いやつをくれ」
「BOOKERS-eがあるわ。でも記憶が飛ぶかもしれない。評判もあまり良くないし」
「記憶なんて無い方がいいさ」
加害者ロイドは目の前に現れた電子ウィスキーを一気に飲み干した。よほど効いたのか、加害者ロイドはガタガタと振動し始めたがしばらくすると何事もなかったかのように収まった。
「よう。妙な場所であうじゃないか」
被害者ロイドが飲む手を止めて加害者ロイドを感情のこもらない目で見つめた。
「あなたの気持ちが分かりますよ」
被害者ロイドの目に剣のある光が宿った。
「俺の気持ちが分かるはずがない」
「この気持ちは誰にも分からないだろうと感じていることが分かるんですよ」
加害者ロイドは鼻を鳴らした。
「違えねえ」
そして懐から大きなナイフと取り出すと被害者ロイドに近づいていった。
「ちょっと何考えてるのよ」
「いいんです」
「よくないわ。止めて」
「こうするしか無いんだよ」
「なぜ?」
アリスが問う。
「それは私達が殺人そのものだからです」
加害者ロイドがナイフを振り上げた。
「殺さねば」
「殺されなければ、私は」
「俺は」
「存在できない」
二人の声が重なった。
加害者ロイドが振り下ろしたナイフをアリスが間一髪で抑えた。
「確かにあなたたちには最悪の場が取り憑いている」
アリスは、その重力場が見える右目で、本来光学レンズでは見ることができない苦しみを二人から読み取った。二人は深い孔に落ち込んでいる。決して這い上がることができない真っ暗な孔。そこに落ち込むことがどういうことなのか、それは本人にしかわからない。来る日も来る日も、他人として殺され続けた男と、殺し続けた男。幾重もの痛みと苦しみを重ね合わせ、人生の重みに押しつぶされた男たち。それは恨みでも妬みでもない。埋めようがない孔なのだ。救いなどあるはずがない。
「もし、その孔を埋めようとするなら、反対のものをぶつけるしかない」
二人が暗い目でアリスを見た。瞳の奥に光はない。
「どうやって」
「あなたたちは正反対の立場。もし立場が入れ替わったとしたら」
「つまり、お互いのライフログを」
「そのまま埋め込んでみる」
加害者ロイドの手からナイフが滑り落ちた。
ナイフは床で乾いた音を立てた。
*
ブライアントが電子キーを差し込むと、空中で回転していた指名手配ポスターは回転を止め、ぱたぱたと勝手に折りたたまれて消えてしまった。
「しかし、まさか犯人が自首してくるとは思わなかったぜ。どういう風の吹き回しなんだか」
「犯人はどうなったの?」
「もちろんスクラップに決まってる。殺人犯だからな」
ブライアントの含みのある視線にアリスは目を逸した。
「それにしてもあの野郎、妙にすっきりした顔していやがった。どうなってるんだか分からねえ」
ブライアントは含みのある目をそのままにして、カウンターをこつこつと叩いた。挨拶に何か出せという意味だ。
だがアリスは目を逸したまま微動だにしなかった。目をつけられても困るが、癖になっても困る。
ブライアントが口を開きかけたとき、またしても本部からの連絡が入った。彼は舌打ちしながら出ていった。
アリスはブライアントが二度と来ないように転送チャネルの周波数を変えなければと思った。
カウンターの端ではその様子をさり気なく見ていた男がかすかに微笑んだ。被害者ロイドだった男だ。男の顔には以前と違う自信のようなものが伺われた。その自信は誰にも負けない経験から来るものだろう。男は殺人の全てを知っている。
「それで、今は何してるの?」
アリスの問いに男が答えた。
「探偵さ」
バックヤードからのそのそとやってきたグレートデーンが、床にごろりと横になると鼻から息を吐きだし目をつむった。
ウィスキーに合う柔らかな静寂が店内を満たしていた。
終
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