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人工知能はアンドロイドの上に人を造らず

 ゲン爺はウィスキーの注がれたグラスを見てため息を吐いた。何度目のため息だろうか。それは自分で美味しいウィスキーから飲み干していったために、アリスの持つ在庫に好みのものがなくなったせいだった。仕方のないことである。

「ちょっと変わった銘柄ならあるけど飲んでみる?」

 ゲン爺の目が期待に光る。

 注がれると同時にゲン爺はグラスを持ち上げた。光にかざした時の色合いは薄いゴールドといったところか。甘い香りが鼻に心地いい。一口舐めると片方の眉がぴくりと持ち上がりそれきり動かなくなった。

「悪くはない。悪くはないんじゃが……」

 その後の言葉が続かない。宙に表示されたボトルには『AI:01・INTELLIGENS』と表記されている。

「名前がいただけない」

「それよりしばらく見かけなかったけど仕事でも探していたのかしら」

 これ以上ため息を吐かれてもどうにもできないのでアリスは話題を変えた。このところゴミ処理島のドリームシティは仕事がなく、誰もが手持ち無沙汰になっていた。するともっと盛大なため息が漏れた。

「もっと深刻じゃよ」

 聞くところによると、ゲン爺は熱を出して寝込んでいたらしいかった。熱が下がって体調が復活したと思ったが、実は復活していないものがあった。快復以来男性機能が全く役に立たなくなってしまったのだそうだ。

「わしも歳かのう」

「そうですね。それが自然の摂理というものじゃないかしら」

 機能低下がないアンドロイドからすれば慰めの言葉にもならない。

 しんみりとする雰囲気をよそに、荒々しくドアが開かれて青い顔のオーキーが飛び込んできた。オーキーはゲン爺を見つけると珍しく慌て気味に何かを耳打ちした。見る見るゲン爺の顔が曇っていった。

「用事ができた」

 ゲン爺とオーキーは慌ただしく出て行った。

「こいつめ」

 テーブル席に座るアンドロイドのチコが声を上げた。

「おい、どうした」

 向かいに座る仲間のインディが声を掛ける。インディもアンドロイドだ。

「蚊だよ。蚊。俺を人間と間違えて刺しやがった」

 彼が差し出す手のひらには潰された蚊が張り付いていた。

「島に蚊なんていたっけ?」

「それより、今、タケルから連絡が入った。街中で暴れているやつがいるらしい。見に行ってみようぜ」

 チコとインディは連れ立って出て行った。どうやらゲン爺たちが慌てて飛び出した件と同じ話らしい。

 彼らが出ていくのを追うようにして別の蚊がふらふらと飛んでいくのが目に入った。言われてみればこの島に蚊なんかいただろうかとアリスは不思議に思った。ドリームシティは海を移動する人工島だし人間は数えるほどしかいない。

 翌日、チコとインディが揃って店にやってきた。チコはややふらつく足取りでインディが心配気に見守っていた。

「どうしたの? 気分が悪そうだけど」

 アリスが声をかけると、振り向いたチコの頬がおかしな状態になっていた。表面のスキンが腐食して今にも穴が開きそうだった。よくみれば腐食しているのは頬だけではなさそうだった。首筋や手首などにも腐食の痕が見て取れる。

「それが、どうも調子がおかしい。一杯飲んで休もうと思って」

「おい、体調が戻ってから飲みに来たほうがいいんじゃないか」

 インディが声をかけるがチコは取り合わない。というより聞こえていないようにも見える。目の焦点もどこか合っていない。

「どうも調子がおかしい。一杯飲んで休もうと思……思ってって……」

 かなり調子が悪い様子だ。腐食と関係あるのかもしれない。

「思って……思って……うおおー」

 突然チコが暴れ始めた。振り回した腕にインディが弾き飛ばされテーブルを薙ぎ倒した。

 チコはインディのことなど目もくれずに闇雲に腕を振りまわし、壁にぶつかり派手に床に転がった。床に倒れてもチコは手足をばたつかせている。

 アリスがチコの腕を取り押さえた。すかさずインディも足を押さえつける。力の制御ができないのか満身の力を振り絞ってもがくチコ。

「どうなってるの」

「わかりません。でも昨日見た暴走アンドロイドに症状が似ている」

 何かが伝染しているということか。検疫フィルターをすり抜けたウィルスかもしれない。

「その暴走アンドロイドはどうなったの?」

 アリスの問いにインディは首を横に振って応えた。その動作が示すようにチコは唐突に動きを止めた。バンザイをした格好で硬直したように動きを止め、小刻みに痙攣し始めた。だがそれもそう長くは続かなかった。やがてチコは電池が切れたように静かになりそれきり動くことはなかった。

「おい。チコ」

 返事はない。

「俺、昨日の暴走アンドロイドのこと少し調べたんですよ」

 インディはチコを見下ろしながら言った。いつしか腐食は広がってチコの頬には大きな穴が開いていた。

「大陸の方でも同じようなことがたくさん起きているって言ってました。何か伝染性のウィルスか何かを蚊が媒介しているらしいって話です」

「蚊ですって?」

 ウィルスで暴走することはあるかもしれない。しかしスキンの腐食をするウィルスなんて聞いたことがないしできるとも思えない。アリスはゲン爺にそのことを連絡することにした。

「わしもそのことは聞いた。なんでも新種の細菌が増殖しながら強力な酸を生成するらしい」

 異常行動は酸が動力系を破損させるためだそうだ。アリスもまさかアンドロイドを腐食させる細菌がいるとは思わなかった。そしてその細菌は蚊を媒介にして片っ端からアンドロイドを動作不能に陥らせている。

「でもどうして蚊がアンドロイドを刺すの? 蚊は生物を狙うものでしょ」

 ゲン爺の答えは戦慄するものだった。

「どうやらアンドロイドを狙った新種の兵器らしい。それにしても被害が出ているのは特定の地域だけじゃない。全国的に蔓延しとるようじゃ。兵器にしては精度が悪すぎる。失敗作かのう」

 アリスに一つの考えが浮かんだ。もしアンドロイドを狙った兵器として造られたのであれば、もっと管理は厳密に行われるだろう。全国的に蔓延するようなずさんな管理をするはずがない。だとすればこうなったのは意図的としか考えられない。そうなるように仕向けたのはきっと、

「アテナスの仕業ね」

「おいおい。アテナスって政府アシストコンピューターのアテナスか? 世界政府を運営するコンピューターがなんでアンドロイドを攻撃せにゃならんのじゃ。とち狂って世界征服を企むなら相手は人間じゃろ」

 そこまで言ってゲン爺が息を呑んだ。つい先日高熱を発して倒れ、男性機能を失ったばかりだ。同じ症状が多数発生しているなんて話は聞かない。ただ、ひとつの種を地上から抹殺しようとしたら、生殖機能を失わせるのは有効な手だ。これが仕組まれたものではないと証明することも、蚊に刺されないようにすることも科学技術全盛のこの時代でもできない。蚊が兵器だとするなら、これほど恐ろしい兵器は他にない。

「聞いた話によると、アテナスは人間の進化を即すプロジェクトを進めているそうです。世界一高速な人工知能が考える人類の進化というものがどんなものなのか、私にも想像ができません。多分その前段階で私たちアンドロイドの役目が終わって不要になったのではないでしょうか」

「ちょっと待ってくれ。別の連絡が入った」

 ゲン爺が別回線で話す間アリスは考えてみた。つい最近、アリスが戦った意識転送型アンドロイドは、完全意識を分割転送されていた。そこにアテナスの考える人類進化のヒントがある気がする。

「悪い知らせじゃ。停止した暴走アンドロイドが置かれた部屋の床が抜けたそうだ。アンドロイドの腐食が床まで進行した。つまりアンドロイドが停止しても腐食性細菌は停止しないということじゃ」

「殺菌しなかったの?」

「無論したさ。更に悪い知らせの連発じゃ。街の中央で蚊が大量発生した。プラズマ分解機で対応したが、量が多すぎて間に合わない」

 あちこちで倒れたアンドロイドが床に穴を開けている。ドリームシティは巨大船を並列に繋げて作った人工島だ。いずれ底が抜ける。倒れるアンドロイドは更に増えるだろう。そして小さく素早い蚊を全て倒す方法はない。

「どうするの」

「ここにいる意味もたいして無いし、島を捨てるしかないじゃろ」

 残念な結論だった。

「何かわかったのですか?」

 話しかけてきたインディの鼻先をアリスが振るったナイフの刃先が掠めた。

「ひい。何するのです」

 ナイフには蚊の残骸が残されていた。

「街で蚊が大量発生したそうよ。脱出する準備をして。なるべくスキンは隠してね」

 アリスはインディを見送るとカウンター下に隠していた斬霊剣を取り出し背中に紐でくくりつけた。そしてすっかりボトルが消え去った酒棚とカウンターを眺めた。結局ここでも静かに暮らし続けることはできなかった。いつまでこのような運命に翻弄され続けるのだろうか。静かな暮らしを手に入れるには、ひとつだけやらなければならないことがあるらしい。アリスはカウンターに背を向けて店を出た。

 港で連絡を受けたアンドロイドたちが続々と救命ボートに分乗していた。定員になると救命ボートは次々に島を離れて行った。彼らがどこへ向かうのかは知る由もない。途中で腐食が始まり海の藻屑となる運命かもしれない。

 そして最後のボートに数名のアンドロイド、ゲン爺、オーキーが乗り込むと島は無人になった。最高速で島から離れ十分に距離を取るとオーキーが握りしめたボタンを押した。彼方で蚊の大群を焼き尽くす火炎が立ち上った。これでゴミ処理島のドリームシティは地球上から消え去った。感慨も何もない。ただ、全員が住む場所を失った。

「これからどうするつもりだ」

 オーキーが聞く。

「そうじゃのう。蚊がいない月にでも行くか」

「悪くない考えだ」

「どうじゃ。お前も一緒に来るか?」

 ゲン爺の問いにアリスは首を横に振った。なぜと問うゲン爺。

「どうしても話を付けないといけない相手がいるので」

「相思相愛じゃな。まあ、気をつけることじゃ。寂しいが途中で別れよう」

「いいえ」

 アリスはすっくと立ち上がった。

「ここから真っ直ぐ行った方が早いので。今までお世話になりました」

 深々と一礼すると、そのまま海に飛び込んだ。目的地はMシティ。きっと夢郎はもうアリスが向かっていることに気づいていることだろう。最初の一言は何にしようか。そんなことを考えながらアリスは大海を泳ぎ続けた。そういえば『AI:01・INTELLIGENS』のちゃんとした感想を聞き忘れたなと思ったが、救命ボートはもうはるか彼方で見えなくなっていた。

          終

『AI:01・INTELLIGENS』はスウェーデンのMACKMYRAが製造しているシングルモルトウィスキーです。驚いたことにこのウィスキーの製造レシピを考えたのはマイクロソフトの人工知能です。7000万種ものレシピの中からたったひとつを導き出し製造されたのがこれです。驚くべき時代になりました。でも最終的に味を決定したのは味付け担当の人なのだそうです。こういった協業というのは今後も増えていくのかもしれませんが、全て同じ味になってしまうことはないのでしょうかね。ちなみに香りはフルーティーでバニラや洋梨のよう。飲み口はドライとのことです。

 さて今回のお話はドリームシティ編の最終話になります。ドリームシティに安住を見出したつもりが、実はここは政府の実験場だった。という設定です。そして実験の目的も明らかになりました。世界政府を運営するコンピューター、アテナスは人類の進化プロジェクトのために島で様々な実験を繰り返していたのです。今後は作戦が実際的に展開されていきますが、どういった作戦展開になるのか。アリスはこのプロジェクトにどう向き合うのか。そして夢郎とはどう対峙するのか。その辺はまた少しずつ話を進めていきたいと思います。どうぞおたのしみに。


 

 



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