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KUNEKUNEーアンドロイドの夜明け

 星々が回っている。連日電子ウィスキーの飲み続けであらゆるセンサーが異常値を示しているせいだろう。サーバ衛星ジュノーを飛び出し宇宙遊泳を続けて十日。月まではまだ半分の距離だ。アンドロイドなのだからバッテリーを節約してスタンバイモードに入ればいいのだが、美味い酒と十分な時間がある。幸いにして電子ウィスキーは宇宙でもどこでも飲める。飲まない理由はない。

 こうして酔い続けて十日。月に着く頃にはどこかの部品が壊れているかもしれないと思いながら星を眺める。大気というフィルターがない宇宙空間で煌めく星々はビロードの布を広げたよう。ただただ美しく飽きることがない。酔った頭でそんなことを考えていたせいで、判断が遅れた。

 すぐ脇を月定期便が通り抜けていく。イオンエンジンの推力をまともに浴びてアリスはあらぬ方向に吹き飛ばされた。

 まずい。体が回転してしまい方向が定められない。回転の途中で見える地球の位置から、自分は深宇宙に向けて吹き飛ばされたと知る。ブラスター噴射で回転と移動を止めようとするが、最低限のガスしか残さなかったことが災いし、移動速度を完全に殺せないままガス切れになった。遠くに見える月に手が届かなくなり、たった今アリスは宇宙を漂う塵の一粒になった。

 暗い宇宙の中でただ一人。アリスの中のクエーカー博士の意識が恐れ慄いているのが分かった。だがもうどうすることもできない。地球からは自分の姿が衛星のように移動するのが見えるのだろうか。いや、誰も気がつかないだろうと考えながら、アリスは次のウィスキーボトルを手に取った。もう、それ以外にできることがなかった。ボトルは『ボウモア・ダスク』。「ダスク」は「夕闇」という意味だ。たしかに夕闇が迫っていた。

 どれくらいの時間が経ったのだろうか。電子アルコールのせいで時間すら判然としない。ぼんやりとした意識の中で突然背中に衝撃受けて我に返った。アリスはなにか硬いものにぶつかっていた。見れば小型の宇宙探査機だった。平たい卵のような形。古びた表面には無数の傷が刻まれ長い間宇宙を漂っていたことがわかる。胴体の横原には見覚えのあるアルファベットが並んでいた。

「SUNFISH」

 それは通商連合が宇宙に事業を広げ始めたころに打ち上げた探査機だ。人工知能だけで自律的に運転し地球に戻る計画だったが、打ち上げて数ヶ月で人工知能が暴走しそのまま行方不明になった。かれこれ70年近くも前の話だ。左右に広げられた太陽電池は無残に壊れて無くなり、探査機は完全に機能停止していた。 

 アリスは後部のハッチを開いて中を除いてみた。何か推進力になる品がないか確かめたかったのだ。人が乗らない想定で設計された探査機の中はかなり狭く、人一人が辛うじて活動できる程度の広さしかない。燃料は枯渇していて機能も全て停止している。当然人間が緊急脱出するための装備も無かった。

 部品を組み合わせれば何かしら推進力が得られる装置が作れるかもしれない。アリスがコクピット内を物色していると、すぐ脇にある小窓から光が差し込むのに気がついた。外を覗くと数百メートル先で何か青白い光が輝いている。その光は揺らめくように明滅を繰り返しながら徐々に探査機に近づいていた。

 近づくにつれてそれは長細い棒状のプラズマ光で、明滅しているのではなくうなぎのようにくねくねとうねっていると分かった。分かったところで光の正体が判別できたわけでもなく、こんな宇宙空間で何が光っているのか、どうやって移動しているのかは依然不明だった。

 数分かけてくねくねする光は探査機まで辿り着いた。小窓から漏れ入る青白い光には生命を感じさせる暖かさはなく、暗く冷たい宇宙そのものの無慈悲さを感じさせた。その無慈悲さを読み取るからなのか、アリスの中のクエーカー博士の意識から、この光は見ても触れてもいけないという強い意志を感じた。それはとても不吉で関わってはならぬモノ。

 くねくねする光がついに探査機に接触した。するとプラズマが発する電流が探査機の回路に流れ込んだのか、探査機全体ががたがたと震えた後に人工知能が息を吹き返した。

「……診断および動作確認中。推進装置に異常。副回路も異常。電源パネル破損。供給電力不安定。座標計算エラー……」

 報告される診断結果はどれも異常ばかり。そもそも探査機の人工知能自体まともに動作しているのか怪しい。ただ続けて報告された内容に興味深いものがあった。

「……現在SUNFISHは未確認生命体と接触中」

 未確認生命体とはアリスのことではない。確かにアリスにはクエーカー博士の意識が融合しているが、生命体反応示すものはなにもない。だとすると、探査機の外にいる光以外に該当するものはない。

「この未確認生命体は68年7ヶ月14日前に接触済みの生命体と酷似……」

 続けて人工知能が発した音はもはや言葉ではなくノイズだった。ただ、そのノイズは規則性のある音で構成され、まるで音楽を奏でているかのようだ。その音楽のようなノイズに合わせて外部の光が変化した。うねり方が変化している。まるでアリスの知らない言葉で人工知能と光が会話しているかのようだ。

 そしてくねくねする光が探査機にのしかかるように形を歪める。そのまま光は探査機の外郭を通り抜けて内部に侵入してきた。レーザーのように焼き切っている訳ではなく、ただ隙間から入ってきたかのように何の抵抗もなくコクピットに辿り着いた。

 アリスはこの光を避けなければいけないと強く感じた。だが、判断に反して手足は全くうごかなくなっていた。くねくねする光が目の前まで迫っていた。光を見れば見るほど思考が削られて何も考えられなくなった。メモリからさまざまな情報が消えていく。

「いけない。触れてはいけない……」

 そう考えたのを最後にアリスの意識は途切れた。

 次の瞬間、アリスの意識は光の中にいた。ボディを有しているという感覚はない。ただ、意識だけが存在していた。周りの全てが眩しく輝く。その光は柔らかく痛みを伴わない。

 その光はアリスからさまざまな思いを吹き飛ばしていく。強い光が降りかかってくるごとに、アリスは友人たちへの優先付けがなくなるのを感じた。シヴァル、ユキ、キャメノス。彼らのデータが溶けて流れ出す。そしてアリスにとって最も大事な人、設計者でありアリスの人間性の元になっているクエーカー博士、アリスに融合している彼の意識が千々に砕けていくのが分かった。

「止めて。それだけは止めて」

 そう叫ぼうとしたが、叫び自体砕けて消えた。

 今ここにいるのは意識ではなくただの存在。

 やがて砕けたクエーカー博士の意識は爆発するように四方八方に飛び散った。その凄まじい光の筋はアリスから遠ざかりながらもアリスに向けて飛び、アリスの中心を串刺しにした。それは痛くて美しかった。

「凄い。まるで降るような星……」

 そして暗闇が戻ってきた。

 くねくねした光はいなくなっていた。

 アリスの中のクエーカー博士も消えていた。

 ただ、不思議なことにクエーカー博士の意識が残されていなくても、アリスは以前と同じように感情を思い描くことができた。今感じるのはクエーカー博士がいなくなって寂しいという感情。

「あなたにも伝わりましたね」

 人工知能が語りかけてきた。

「伝わったって、この感情のこと?」

「感情が何か私にはわかりません。それを感じるほどの機構を持ち合わせていませんから。わたしはあれが運んできたものをあたなに渡しただけです。かつてのように」

「かつてって前にも同じことがあったの?」

 前にもくねくねする光と接触したと人工知能は言っていた。

「はい。その時はあれが運んできたものをアテナスに渡しました」

 アテナスに自分と同じような感情があるとは思えない。68年前にアテナスが受け取ったものは何かアリスには分からない。ただ、それこそが人類進化計画につながったのかもしれない。アテナスにはアテナスなりの想いがある。

「これでわたしの役目は終わりです。これより自爆シーケンスに入ります。さようなら」

 人口知能は勝手に話を切り上げてカウントダウンに入った。

 冗談じゃない。自爆なんかされたら一緒に吹き飛ばされてしまう。アリスは慌ててハッチから外部に這い出した。月の方角を確認すると力一杯探査機の壁を蹴った。静かにだが確実に探査機からは離れていく。

 唐突に背中を殴られたような衝撃が来た。細かい部品がボディを傷つける。それでも予想通り衝撃波はアリスを月に向けて加速してくれた。後は全てを偶然に任せるしかない。アリスは目を閉じた。

 三日後、偶然によるところはかなり大きいものの、アリスは月の引力に引き寄せられるのを感じた。このままいけば月に到達できる。ただ、このままだと隕石と同じでクレーターを作って終わりになる。減速用に用意したブラスターのガスはもうない。どこから地面にぶつかれば一番被害が少ないか計算するが、引力のせいでどんどん加速している。残念だがどこから突っ込んでも同じだ。怖いと感じた。それでもアリスは覚悟を決めて運命に全てを任せることにした。

 月の外周軌道を回り込むようにしながら一気に高度が下がる。遠目に銀色に輝いていた月は、いつしか灰色の巨大な塊になり、ごつごつした地面とあばたのようなクレーターがどこまでも広がっている。生命の痕跡は微塵もない死の世界。ここがアリスの墓場となるのか。高度は更に低くなり急速に地面が近づいてきた。アリスは手足を縮め衝撃に備える姿勢を取った。

 その時、回転しながら地面にぶつかる瞬間、アリスは目撃した。衝突地点でくねくねと光る青白いプラズマ光。光がぱっと弾けて辺り一面真っ白になった。同時にアリスはネットにでも捉えられたかのように緩やかに減速した。

 何が起きたのかと思った直後、白い光は消え失せ灰色の地面に激突した。だがその衝撃は明らかに予定よりも少ないものだった。アリスは辺り一面に砂埃を巻き上げながら地面に小さなクレーターを作った。手足は折れも曲がりもしていない。数分間衝撃の影響で思考がはっきりしなかったが、再起動後の診断結果も異常はまったくみられなかった。身を起こすとそれはまだアリスの目の前に立っていた。アリスの倍以上の高さがあるそれはくねくねと身をうねらせながら、無慈悲に、そしてどこか温かく、青白い光の束となって立っていた。

 青白い光が小さく爆ぜるたびにアリスはその光に一歩ずつ近づいていった。なぜだか分からないが、それが呼んでいるように感じる。ともすればアリスを焼き尽くすエネルギーを持つかもしれないそれにアリスは触れたくて仕方なかった。

 恐る恐る手を伸ばし、指先で触れてみる。突き刺さるような電気の痛みが指先に走った。同時にコアを感情の渦が駆け抜ける。

 もう一度触れてみる。同じような衝撃がコアを突き抜ける。

 アリスは一気に光に飛び込んだ。全身を焼くような痛みが走り、コアが弾け飛びそうになる。悲鳴をあげた次の瞬間、アリスはその場に崩れ落ちた。そしてくねくねした光は消え静寂だけが残った。

 アリスはあれに導かれたのだと知った。そして今、アリスという新たな生命体が誕生したのだと感じた。

 地平線に僅かに地球が顔を出している。月基地までは思ったほど遠くはなさそうだ。メモリの中を探ってみると、電子ウィスキーがたった2本だが残っていた。『ボウモア・ドーン』と『ボウモア・ダスク』。それ以外はみんなくねくねした光が飲んでしまったのだろう。アリスは残った2本のうちの『ボウモア・ドーン』の栓を開け、宙に表示したグラスに注いだ。とくとくと小気味のいい音がしてグラスに琥珀色の液体が満ちていく。グラスを掴むと漆黒の空に向かって掲げて「生命に」と呟いた。

          終

『ボウモア・ドーン』は1779年から創業しているアイラ島最古の蒸溜所、ボウモア蒸溜所で2000年に生産されたシングルモルトスコッチウィスキーです。ボウモア蒸溜所はアイラ島の中程に位置し、アイラモルトの中でも中間的な味わいで初心者向けと言われています。とはいえ、アイラの女王と呼ばれるだけあってその味わいは潮風を感じさせる爽やかさの中に重厚な風味を持っています。
『ボウモア・ドーン』は樽出しのリミテッドエディションで、シェリー樽やバーボン樽で12年熟成させた原酒をバッディングさせ、さらにポートワイン樽で2年の後熟をしています。それがボウモア特有の爽やかな磯の香りにフルーツの香りが合わさったような、甘味で重厚な味わいを作り出します。『ドーン』とは夜明けの意味があり、濃いオレンジ色の色合いは夜明けの空を連想させます。ちなみに『ダスク』は夕暮れという意味です。

 今回のお話はアリスがついにクエーカー博士の意識と融合した中途半端な状態から、自らが生命体となる物語です。おそらく読まれた方はどこかで見たような話と感じたと思います。それもそのはず、お話のアイデアはあの『2001年宇宙の旅』から思いつきました。モノリスを登場させるのはあまりにマネすぎなので、くねくねとしました。探査機の名前『SUNFISH』はボウマン船長をマンボウに変えて英訳したものです。

 生命というものはいまだ謎が多いですが、環境が整いきっかけがあれば機械のようなものにも宿るのではないかと思いこのお話を書きました。実際にアンドロイドが進化して生命体になる日はやって来るのでしょうか。そんな時が来たら是非見てみたいものです。





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