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ゲームに死す

「君のその美しさには感服するよ」

 ベイリーはウィスキーグラスを掲げると一気に飲み干した。

「それが人工の美だとは到底思えない。神の御業としか考えられん」

 そして空のグラスをアリスに差し出した。

「それはダルウィニー15年のことを言っているのかしら」

「いや、君のことさ。僕はこの世界に落ち着いてから、見るもの全てが美しく見えるが、君の美しさは格別だ」

「アンドロイド相手にお世辞を言っても何も変わらないわよ」

 アリスがダルウィニー15年を継ぎ足そうとすると、ベイリーが手でそれを止めた。

「棚にあるあの海と同じ色をしたボトルは一体なんだい」

 ベイリーが指し示した先には『ブルックラディ』のボトルが並んでいた。ライトシーグリーンのボトルは背後に広がる海のように美しい色をしている。

「あれは前に来た客の置き土産。夢の味がするそうよ」

 ベイリーは首を横にふるとダルウィニー15年を指し示した。

「夢の世界はもうまっぴらだ」

 ここは政府管理外地区の小さな無人島。アンドロイドのアリスが営むビーチバーである。政府管理外地区にあるせいで客は少ない。だが時々政府とは関わり合いになりたくない客がやって来る。そういう客は大抵厄介事を引き連れてくる。

 ここにいるベイリーもまたそのうちの一人だった。こうしてゆっくりとウィスキーのフレーバーを楽しめるようになったのはつい先日のことだ。グラスを見つめるベイリーの表情は、ダルウィニーの味のように奥深く穏やかだ。だが、最初にここへやってきたベイリーは猜疑心にあふれ、僅かな物音にも怯えた表情をしていた。

「お前は何者だ!」

 テイザー銃を向けたベイリーがアリスに放った最初の言葉がこれだった。2週間前の雨の夜のことだった。

 墜落するように浜辺に不時着したエアカーから転がり出てきたベイリーは、アリスの姿を認めるとすぐに銃を構えた。背はあまり高くなく本来なら綺麗にセットされていただろうブロンドの髪は乱れていた。血走った目をしていて肩を怒らせている姿は子鬼のようだ。ここがアリスのいる島だと分かると、銃を下ろして助けを乞うた。

「俺をこの世界から助け出してくれ。もう嫌だ。気が狂いそうだ」

 ベイリーは有名人だった。生まれはローレイヤーだが、その才覚でのし上がりハイレイヤーのアカウントを手に入れた。ハイレイヤーでも次々にビジネスを成功させて留まる所を知らぬ勢いは正に王者と言えた。だが、その成功の裏では黒い噂が絶えなかった。影では『謀略のベイリー』と噂され恨みから彼の首を狙う者も多かった。

「誰かに罠を仕掛けられたということかしら。でもそれは私の手に負える話ではないわ。私はただのバーテン。お酒なら出してあげられるけど」

「違うんだ。俺は…」

 言葉が終わる前にベイリーは銃を抜くと宙に向かって三回引き金を引いた。

「畜生。こんなところまで。居場所がバレた。早くしないと追手がやって来る」

「何の話をしているかわからないわ」

「ゲームなんだよ。俺はゲームの中にいるんだ」

 ベイリーの話はこうだった。

 ある朝目が覚めたら世界が一変していた。見るもの触れるもの全てがホラーゲームのような世界に変貌していた。そしてその世界ではありとあらゆる場所から恐ろしい姿のモンスターたちが現れ、ベイリーを攻撃してくるのだった。何が起こっているのか分からなかったベイリーは、モンスターに殺されては朝目覚めるという、夢とも現実とも区別のつかない毎日を繰り返した。やがてこれがゲームでモンスターを倒せばストーリーが続くことを理解したベイリーだが、この世界にはゲームオーバーもないがゲームクリアもなかった。目覚めている間永遠にモンスターと戦い続けなければいけない。そして殺されればまた目覚めのシーンからやり直しになった。

「一体俺が何回同じ目覚めをしていると思う。もう一千回以上だ。毎日毎日同じ日の同じ時間に目覚めて、クローゼットから飛び出してくるモンスターを殺すんだ。だが、このゲームを終わらせるボスキャラなんてどこにもいない。そして雑魚キャラは無限に生み出される。こっちが疲れていようが、気力が無くなろうがお構いなしだ」

 アリスも聞いたことがあった。ゲームレイヤーという裏レイヤーがあることを。人々は個人株式のポイントに応じていくつかあるレイヤーに所属することができた。高ポイントの者はハイレイヤーで優雅な暮らしを提供される。ポイントが少ない者はローレイヤーにしか所属できない。そこでは全てがそれなりでしかない。そしてそれぞれのレイヤーは生まれた時から埋め込まれているバイオチップで明確に区別され、お互いのレイヤーの者が接触しないよう、政府アシストコンピューターとレイヤークリエイターが制御していた。つまり、ハイレイヤーの者の目にはローレイヤーの者が映ることすらないということだ。

 アリスたち機械が所属するのは物理レイヤーだ。機械には装飾された世界など必要ない。アリスたちは人々がどのレイヤーに所属し、どんな物を見ているのか情報だけあればよいのである。

 ゲームレイヤーは非公式に造られたゲームをするためのレイヤーだが、登録した者が自由に出入りできる。抜け出せないゲームレイヤーの作成は禁じられている。それでも、誰かを苦しめるための出口のないゲームレイヤーがあるという噂はあった。そこから抜け出すには自ら命を絶つしかない。

「どうやって出るのか知っているのは、レイヤークリエイターだけよ」

「あんた、裏の世界にも繋がっているんだろ。聞いたことがあるぞ」

 確かにここにはもう一つの裏レイヤーである、アンダーグラウンドレイヤーの客が来るし、その内の何人かは知り合いでもある。だが、それはあくまでバーテンと客の延長でしかない。アンダーグラウンドレイヤーに踏み込めば、それこそ簡単には抜け出せない。

「残念だけど、そういった知り合いはいないわ」

「頼むよ。もうあんたしか頼れる相手がいない。もし断るなら…」

 ベイリーは銃を持ち上げた。

 だが、その銃はアリスに向くことなく再び宙に向かって発射された。

「もう神経が保ちそうにない。頼む。引き受けてくれ」

 アリスは黙って頷くしかなかった。

 それからしばらくして一台のエアタクシーがやって来た。

 タクシーから降り立ったのは長身の男だった。整った顔立ちをしているが、やや世間に対して斜に構えたような表情をしていた。名はキャメノスといい、ハイレイヤー族のバイオチップを撃ち抜いてパーソナル・コンシェルジュとの接続を断ち切るのを生業としている男だ。要するに裏稼業の人間である。

「俺に何か用だって? もちろん報酬は弾んでもらえるんだよな」

「礼ならこの人がするそうよ」

 アリスはベイリーを紹介したが、そのベイリーはキャメノスに銃を向けている。

「およその話は理解しているつもりだが、こう殺気立たれちゃあやりづらいな。一体俺がどんな風に見えているんだか」

「それよりもゲームレイヤーから抜け出す方法があるのは本当なのよね」

「ああ、あるって言えばあるんだが、そのためにはこっちからゲームレイヤーに飛び込まなきゃならない。もちろん俺は入るつもりなんてないから、アリス、あんたが行くことになるぜ」

 アリスの口元が引き締まった。ゲームレイヤーがどんなレイヤーかは作った本人にしか分からない。何が起きても不思議ではない世界だ。アリスはベイリーを見た。ついさっきまでキャメノスに向けられていた銃で何もない宙を撃ちまくっていた。いつ精神崩壊を起こしても不思議ではない。

「分かったわ。どうすればいいの?」

「助っ人を呼んである。ゲームレイヤーに飛び込むにはレイヤーの穴を見つけてレイヤージャンプする必要がある。どのレイヤーもセキュリティは強固だが、通信電波のノイズで時々穴ができることがある。そいつを見つけて瞬時に飛び込む」

「そんなことできるの? アテナス並の計算力が必要じゃないの」

「だからそれができるやつを連れて来たのさ」

 キャメノスが指笛を鳴らすとエアタクシーから一匹の小型犬が飛び出してきた。見た目はどこからみてもパグでしかない。

「犬?」

「犬ではありません。犬型のアンドロイドで学術計算専用のプロセッサを積んでいます。ステップといいます。よろしくお願いします」

 ステップは前足を揃えて頭を下げた。

 宙を撃っていたベイリーが目を剥いた。

「おい、俺の人生をこんな犬ころに預けろっていうのか」

「犬ではありません。犬型のアンドロイドです。あなたよりも計算は早いですよ」

 もうベイリーは聞いていない。素早く銃にエネルギーをチャージすると、海に向かって乱射している。どんな戦場になっているのか傍から分からないが、あまり猶予はなさそうだ。

「分かったわ。初めてちょうだい」

 ステップがうんうんとうなり始める。ジャンプポイントの計算をしているのだ。

 その間にキャメノスが作戦を説明した。作戦と言っても、ジャンプポイントの座標と時間を割り出したら、そこに通信回路をシンクロさせるだけだ。それでベイリーのいるゲームレイヤーに飛び込める。飛び込んだらベイリーを捕まえて次のジャンプポイントにジャンプする。行き先はジャンプ可能なレイヤーになるため、どこになるかは分からないが、終わりなきゲームレイヤーよりまともなことは確かだろう。

「ポイントが出ました。5秒後にシンクロします」

「えっ? もう」

「次は1年後です。3,2,1、ジャンプ」

 次の瞬間、島は暗い森に変化していた。奇妙にねじ曲がった木々の影から巨大な蜘蛛や牙を持ったグロテスクな獣が飛び出して来た。傍らではベイリーがそれらを片っ端から撃ち抜いていた。

「畜生。切りがないぜ」

 アリスは飛びついてきた双頭の狼を蹴り上げると、ベイリーを連れて走り出した。

「とりあえず森から抜けましょう」

「森に終わりなんてない。どこまで行っても森だ」

「それでもあそこにいるより動いていたほうが襲われないでしょ」

 左右から翼の生えた大蛇が襲ってきたが、アリスはそれらを巧みにかわして走り続けた。すぐに次のジャンプポイントが算出されてここから抜け出せるはずだ。

「あぶない」

 次々に飛びついてくる大蛇を薙ぐのに手一杯になっているところへ、背後から毛むくじゃらの大男が現れて巨大な拳を振り下ろした。アリスは拳をまともに受けて数メートル飛ばされてしまった。

「ベイリーさん。逃げて」

 大男が次の拳を振り下ろした正にその瞬間。ベイリーの銃が閃光を放った。

 大男の胸が黒く焦げていた。

「お前とは何度目の勝負だろうな。遂にやったぜ」

 大男は断末魔の呻き声を上げながら崩れ落ちた。

 するとどうしたことか、どこからともなくファンファーレが鳴り響いた。

「やったのか? もしかしたら出られるのか?」

 暗い森がぐにゃりと歪み、世界がぐるぐると回り始めた。

「やった。出られるぞ」

 ところが回転していた世界が停止すると、そこは朽ち果てた洋館の中だった。目の前の空間には「ステージ1クリア。ステージ2へ進め!」の文字が光り輝いていた。

「くそ。ばかにしやがって」

 アリスにはこれがどういうことなのかすぐに分かった。次のレイヤーにジャンプしたのだ。だが、そのジャンプ先がまたゲームレイヤーだったということだ。このゲームレイヤーのクリエイターはそうなることを予期して、ジャンプシンクロを仕掛けられたら、ステージアップするように作っているのだ。つまりここから先いくらジャンプしてもステージアップするだけで、ゲームレイヤーからは出られない。

「くそっ! どうすりゃあいいんだ」

 ベイリーが崩れ落ちた。完全に気力が失せているのが分かった。暗がりの奥から何かを引きずるような音が近づいてくる。かなりの数がいる。

 アリスはベイリーに歩み寄った。

「大丈夫よ。こうなることも想定していたわ」

「でも、どうやって抜け出すんだ。ジャンプしてもまた別のステージに行くだけだ。俺もあんたも無限にゲームレイヤーを彷徨うんだ」

「たったひとつだけ抜け出す方法がある。でもそれにはあなたの協力が必要なの。いい? 協力してもらえるわね」

 ベイリーが涙で濡れる瞳で見詰めてきた。

「どうするんだ」

 アリスはベイリーの銃を奪い取った。

 ベイリーの顔が恐怖に歪んだ。ゲームレイヤーから抜け出す手段は一つだ。

「あんた、俺を殺すつもりか。止めてくれ。頼む」

 アリスはベイリーのこめかみに銃を押し付けると躊躇なく引き金を引いた。テイザー銃が正確にベイリーのこめかみを撃ち抜いたことを確認すると、アリスは自分のこめかみに銃を押し付けて同じように引き金を引いた。

 砂浜では波が寄せては引いてを無限に繰り返している。

 ベイリーは穏やかな目でそれを眺めていた。

「なあ、あの時」

 アリスがベイリーを見る。ベイリーのこめかみには火傷の痕が残っていた。

「本当に確信があったのか?」

「私はアンドロイドよ。ナノメートルレベルの調整なんて簡単なこと」

 アリスがゲームレイヤーに飛び込む直前、キャメノスは一つの保険をアリスに与えた。

「もし、ゲームレイヤーから出られなくなるようならベイリーのバイオチップを撃ち抜け。それで通信ができなくなってベイリーはゲームレイヤーにアクセスできなくなる。そのかわりもう二度とどのレイヤーにも接続できなくなる。それは人並みの生活が送れなくなるってことだが、無限地獄にいるよりましだろう。その後は自分の通信チップを撃ち抜くんだ。それであんたも地獄から抜け出せる。ただし撃ち抜くのは通信部だけだ。1ナノメートルでもずれれば何が起こるかわからないぜ」

 こうして二人はゲームレイヤーから抜け出すことができた。アリスは通信チップを交換すれば済むが、ベイリーのバイオチップの代わりはない。バイオチップは脳の一部で同じ物を作ることはできない。レイヤーの世界から切り離されたベイリーはアリスと同じ物理レイヤーで生きることになった。何の装飾もないありのままの世界。人としては生きづらい世界だ。

「住めば都さ。装飾なんてただの夢だからな」

 ベイリーはそう言って2杯目のダルウィニー15年を飲み干した。それから腰を上げるとエアタクシーに向かってあるき始めた。あと数歩というところで立ち止まるとベイリーが振り向いた。

「夢で思い出した。今回の件にはMシティのユメロウとかなんとかいう奴が絡んでいるらしい。詳しいことは何もわからないが」

 ベイリーはそれだけ言うとタクシーで帰っていった。

「Mシティのユメロウ。夢を飲む男」

 アリスは棚にある『ブルックラディ』のボトルとベイリーが置いていった銃を掴んだ。波打ち際まで行くと『ブルックラディ』のボトルを空高く放り投げた。ライトシーグリーンが青い空に溶け込んだ。アリスは立て続けに三回発射した。ボトルは粉々に砕けて飛び散ったウィスキーと共に海に消えた。

「あなたの死に様を見届けてあげるわ」

          終

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