鼻冷え

 山の上に寒風が吹きます。
 天狗の鼻はまるでキュウリのように伸び、顔の真ん中で〝我こそが天狗そのものなり〟と自己主張しているかのように生えています。
 夏の盛りが過ぎ、少し寒くなって来たかと思うとあっという間に枯れ葉の季節になり、銀杏の葉が散り始めると途端に寒くなってきたのでした。
 青年の天狗にとって、この季節の変わり目は苦手なのでした。
 でもそれは去年までの話で、今年は特製の面があるので寒さの心配、特に鼻が冷えて困ることはなさそうです。
 これは、天狗が面を着けるようになったまでのお話です。

 ここは山の中にある村で、夏は涼しくて良いものの冬になると雪と風に村中が凍えているような地なのでした。村人は田畑と山の幸で日々をまかない、静かに暮らしていたのでした。
 他の土地では恐れられている天狗でも、ここでは年がら年中目にするからか、信仰の対象となっています。
 信仰と言うよりは、村の民は天狗とともに村があり、村の安寧は天狗がいないと続かないと考えている節があります。
 天狗の住処は村よりも奥の山奥で、農作業の合間にふと目を上げると天狗が空を舞っているのが見えるのでした。
 人と天狗の距離が近く、他の村々で伝承されるような凶悪な天狗に出会うこともなかったからか、田植えの時期には豊作を祈り捧げ物をし、稲刈りが終わると実りの礼を捧げ、願掛けがあれば捧げ物をしと、村の生活に深く浸透しているのでした。
 その緩やかなつながりは天狗に守られた迷子の話にも伝えられています。ようやく歩けるようになった幼子がその足の赴くままで歩いて行ってしまい、気付いたときには自分でも家に戻れず、親や村人からも気付かれないような森の奥へと迷い込んでいってしまったのでした。
 親は血相を無くして居なくなった子を探そうと手当たり次第に探しています。それを手伝う村人も男衆は明かりを手に方々を探し、夜を徹しての捜索になるかと年寄りや遠出ができないものも炊き出しをして村が総動員となって探し回っていたのでした。
 どこを探しても見つからず、かといって野良の動物にやられたような跡もなく、望みと万が一の最悪の結果とが皆の中に流れているとき、林の奥の方で覚えのない明かりが見えるとざわめきがあり、何人かでそこで出張ったのでした。
 そこには大きなたき火を前に蓑に包まれてすやすやと眠る幼子の姿があったのでした。
 蓑は村の人間が天狗に捧げたもので、きっと天狗が子供を守ったのだ、と、村人は信じたのです。
 それ以来、村人は天狗を村を守る力として頼り、そして、敬ったのでした。時折空を舞う天狗を目にしたときには、天狗様が村を見回ってくれているのだ、縁起物のように手を合わせてみたりしたのでした。

 寒さに強い天狗といえども、いつにも増して冬が厳しく、まだ銀杏が落ちきっていない頃から雪が降り、止んだかと思うと寒風が雪で湿った空気を全身のぬくもりを奪い、手足の指先から体の中心まですっかりと凍えるような日が続いていました。
 いつも手にしている芭蕉を仰ぐまでもなくちょっと動かしたふわりとした風が鼻先にかかるだけですっかりと冷え、用事を片付けようと空を舞うと強い風にさらされる鼻先がまた冷え、風邪を引いたのとは違う寒さでの鼻のグズグズに困っていたのでした。
 空を駆けるのは気持ちよいものの、冷たい風が全身を冷やし、とくに耳と鼻は冷えすぎて、とれてしまうのではないかと思うような、チリチリとした氷が針になって刺さっているのではないかと思えるような痛みなのでした。
 鼻は冷たい空気が鼻の中をすっかりと冷やして、鼻の先が凍り付かないか心配になるぐらいに痛み、休み休み、休むと言うよりは鼻の先が冷えすぎたのを手のひらで暖めてどうにかして痛みが我慢できるぐらいにまであたためて、そうしてもう一度飛ぶのでした。
 ある日のこと、木の上で一息ついているものの、その寒さをしのごうと蓑で風を避け、体のぬくもりが少しある懐に鼻を埋めると、鼻を温めるのに良い手はないかと、考えるともなしに考えていたのでした。
 とにかく風さえ当たらなければ冷えることもない、冷えなければ鼻の痛みに耐えかねて自分のぬくもりで鼻の暖をとる必要もない。と、寒さでかじかんだ指先と同じように、考える力もかじかんだ状態で思案していたのでした。
 天狗は鼻が冷えているのは鼻を覆う服がないからだ、と考えたまではいいのですが、その長い鼻を温めるためにどうしていいものなのかまではわからず、木の上でじっと鼻を懐で暖めていたのでした。
 それからというもの、鼻をどうにかして何かで包んでみようと試行錯誤する日々なのでした。
 芭蕉の葉のように大きい蓮の葉っぱで包むようにしてみたり、ふわりとしていて暖かそうだからとススキの穂を束ねて包んでみたり、あるときは鶏卵を殻を半分ほど元の形がそのまま残るように割り鼻の先にかぶせてみたりとしてみたのでした。
 そのどれもがしっくりこないのでした。蓮の葉は空を舞っているとバサバサと顔を追って前が見えませんし、ススキの穂は鼻をくすぐってくしゃみばっかり出ます、玉子の殻はそもそも小さすぎるのに合わせて寒さは全然しのげないのでした。
 今の天気はまだまだ暖かくなったり寒くなったりが繰り返していて、暖かい日は気にしないでいいのですが、寒くなってくるとその長く顔の中心にぶら下がっている鼻が気になるのでした。
 そんな中、夜になってめっきりと冷えてきた頃のことです。
 天狗は寝床と決めた大樹の下でたき火をおこし、暖をとっています。
 天狗を小動物たちは恐れることもなく、この寒空の中で暖段があるのはありがたいと小虫や動物が集まってくるのでした。
 バチパチとはぜるたき火を独り占めする必要もなく、天狗は鼻を引っ張ってみたり、その長い鼻柱を人差し指でペチペチたたいたりしながら考えています。
 鼻のように長い生き物は居ないか、と考えていたのでした。
 蛇がいますがなにかを身にまとっているのは見たことがありません。ほかはウナギがいますが、そもそもどんな暮らしをしているのか知りません、
 長い鼻を人差し指の腹でパチパチとたたきながら、なにか法はないかと思案しているのでした。
 欲しいものは判っています。鼻を包み冷えないようになっていればいいのです。
 たき火の煙はまっすぐに夜空に昇っていき、炎の明かりが届かなくなると、夜空となじみ見えなくなるのでした。
 鼻をたたくぼってりとしたパチパチという音と、たき火がはぜる乾いたパチパチという音だけが天狗の周りにあります。月は見えず、曇っているのか星すら見えません。たき火の揺れる光が森の中を照らし、その光が届かない先は墨汁のような闇に塗りつぶされ、なにもない世界なのでした。
 風が吹きます。
 木の枝を揺らし、カサカサとこすれる音が響きます。木の葉はすっかりと乾いた音がするようになり、地面に生えている雑草も、しなやかに揺れていた鮮やかな葉はすっかりと見えなくなり、枯れ草ばかりとなっているのでした。
 薪を増やそうかとあたりを少し歩き、枝を拾い集めます。
 明かりが届く範囲を軽く歩き回り、数本拾った枝を火にくべようと折っていたときのことでした。
 よく見ると枝の真ん中ぐらいに不自然な形の枯れ葉がついていました。
 小指の先ほどの大きさで、どんぐりを長細くしたかのような形をしています。
 変わった形の枯れ葉かとたいして気にせずに枝から落としてたき火に投げ入れようとしたのですが、しっかりと枝にくっつき、それでも引き剥がそうとするとなにやら細い糸が切れていくかのような感触があります。
 不思議に思った天狗は、たき火の明かりがよく当たるように体をたき火のそばに近づけ、そのささやかな明かりを最大限、木の枝に当たるようにしてみたのでした。
 枯れ葉の塊に見えていたのは、表面をひっかいてみても枯れ葉は崩れず、しっかりと形を保ったままです。
 枯れ葉を剥がせるところをすべて剥がしてみると、なにやら細長い壺のような形になりました。
 枝についていた部分に小さな口があるように見えます。この小さな口に小刀の先を入れ、切り開いてみると、そこには小さな芋虫が居るのでした。
 芋虫はさっきまで寝床にしていた枯れ葉の蓑を失い、天狗の指の先から逃げようとしています。天狗も、芋虫を捕まえておく理由もないので、適当にそのあたりの枯れ葉の上に芋虫を置いたのでした。
 天狗は原型を失った蓑を切り広げてみたり、まるで織物のように編み込まれた芋虫の糸を指先でなぞってみたりして、つぶさに調べてみているのでした。
 小刀の先で切り開いてみたりつついてみたところで、すでにそれは蓑だった残骸でしかありません。
 こねくり回していくうちに、だんだんとボロボロになり、ただでさえ元の形を失っていったものがさらに崩れていくだけなのでした。
 天狗は蓑をいじるに飽きたのか、芋虫が抜けた残骸をたき火の中に放り込みます。
 ほんのりと立ち上がっている炎に蓑が触れると、あっという間に夕焼けの色のような炎が立ち上がり、すぐに燃え尽きてしまったのでした。
 それを知ってか知らずか、芋虫はまた蓑を作っています。
 天狗はそれに気付くと、ただじっと見つめていたのでした。
 葉を丸め、糸を吐き、小さな体と芥子粒ぐらいの小さな手を駆使して、また蓑を作っているのでした。
 丸めた葉を押さえつけるように糸で縛り付けている様子を見て、天狗はこれならできるかもと思ったのでした。
 辺りを見回すと、ヤマブドウが蔓を伸ばし、木に巻き付いていた蔓(つる)の残骸があります。そのさらに笹の葉の大きな葉がいくらか目に入ります。
 笹の葉の端が顔に当たるのは避けたいのですが、布をあらかじめ鼻に巻いておけばどうにかなりそうです。
 笹の葉を集め、蔓を何本かたぐり寄せます。
 芋虫が蓑を作るように、葉と蔓で鼻を包む蓑を作り始めたのでした。
 夜夜中にやることではないとは判っていても、手をつけ始めると止まらないのでした。
 鼻が寒いという切実な困りごとを解決する具体的な形が見えた、それだけでも天狗にとって大発見で眠れなくなることで、それに併せてそれを作るのにどうやったらいいのかも見えはじめてたのでした。
 とはいえ、頼りになるのはたき火の明かりだけです。
 笹の葉を自分の巻き付けてみたり、大きな葉が交差するように編み込んでみたりと繰り返していったのでした。
 すっかりと夜は明け、夜を徹した身体のぐったりとよどんだ気怠さと相対するように、朝の空気は澄み切り新鮮で濁り一つ感じさせないのでした。やっとの事で見つけたという興奮と、作ることができたという達成感で天狗はすっかりと上機嫌になり朝日の中で改めて自分の作ったのを眺めてみたのでした。
 見てくれは良くはありません。笹の葉を筒のようにして、それを蔓でまとめ上げ、痛くならないようにと内側にはススキを入れ鼻と鼻の付け根を笹の葉で痛めないようにしたものでした。けれども、自分の顔がどんな風になっていようが天狗自身には見えません。それをいいことに、自分でも不格好と判っていてもそれをつけて芭蕉で仰いでみたり、空を舞ってみたりしたのでした。
 鼻は全く寒くなく、それこそ、いままでのぐずつきが嘘のように冷えることなくなったのでした。
 天狗は、その季節、ずっと鼻に笹で作った筒を付け、仲間が居るときも誰かが見ているときでもかまわずに過ごしたのでした。寒さの前には格好のことなど気にしては居られません。

 しかし、格好について気に止めるのは天狗だけではありません。村人は天狗をあがめて毎日を過ごしています。
 いつも見ている赤い顔についている茄子のような鼻が見覚えのない枯れ葉色になっています。はじめに気付いた村人は、天狗が何か病気にでもかかったのかと心配をし、そしてそれを長老に伝えたのでした。
 長老は長老でそんな話を聞いたことがないと半信半疑でしたが、ある日、畑仕事をしているさなかに林に生える高い木で休憩している天狗を見て、その鼻が若い村人が言うとおりに枯れ葉色をしていたのを見たのでした。
 遠くてその細かいところは見えないまでも、あからさまに色が違う、どう見ても健康そうな色ではない。
 若い衆もあつまり、何ができるかと話し合いをします。
 はじめは、なぜあんな風になってしまったのかが判らず、きっと病気なのだと話し合っていました。
 天狗様に飲ませる薬を手に入れようにも医者はなし、そもそも天狗様に人の薬が役に立つのか、と話はまとまりません。
 ある日のこと。
 若い衆の一人が畑仕事との合間に腰を伸ばそうと空を仰ぐと、天狗が飛んでいました。
 目をこらしてよく見ると、鼻は枯れ葉色です。
 あの天狗様はきっと具合の悪い天狗様だ、よく見ていればどこか痛がっているところがないか判るかもしれない。
 そう思ってよく見ていたのでした。
 天狗は、高い木の上で一休みをするのか腰掛けました。背の高い銀杏の木です。葉は大分落ちて天狗の姿はほぼ見えています。
 休憩している天狗はただ木の枝に腰掛けるだけで、何をするというわけでもなく遠くを見ているようです。
 藁蓑のようなのを羽織っていますが、風が寒いのかそれを両の手で体をもっと覆うように引き寄せ、冷えた手先を温めようとしているのか太ももの間に手を入れ背を丸めています。
 畑からその仕草を一部始終見ていた若者は、ああ、天狗様でも寒いのには参るのだな、と妙に納得したのでした。
 少しして、手のひらが温まったからなのか、天狗は腰に付けていた巾着を外し、その中に手を入れては何かをつまんでいる指を口元に運んでいます。若者はその様子もしっかりと見ていて、木の実か豆でも食べてるのかと考えました。ああ、天狗様も腹が減るんだ、と、妙に感心しながら見ていたそのとき、天狗は鼻に手をかけたのでした。
 若者は目をこらしてよく見ようとしています。
 天狗は、自分の鼻に手を伸ばすと、枯れ葉色の鼻をするりと外したのでした。
 天狗からしてみるとただただ鼻の蓑を外しただけなのですが、それを知らないで見ているとさも鼻を外しているように見えるのでした。
 若者はその様子を見て驚いたのですが、外した鼻の下から真っ赤な鼻が出てきて二度驚き、そしてなにか合点がいったのでした。
 天狗の鼻の色が変わったのではなく、鼻に何かかぶせているのが判ったからです。
 村の集まりで早速その話をしたのでした。
 年寄りたちはその話に病気ではないのだと安堵をし、そして違う心配をするようになったのでした。
 はて、天狗様は何のためにそんなことをしているのだろう。
 晩秋になると、畑仕事をしていても少し風に吹かれればその寒さに首をすくめるのもここに居るものは皆経験があります。けれどもなぜ、天狗様は鼻に筒をかぶせているのか。
 その日は結局、なぜだから判らないままに終わったのでした。
 また別の集まりがある日のことです。
 その日は朝から風が冷たく、手ぬぐいを首に巻き、畑仕事をするときも少しでも暖かくなるようにとしながら作業をしていた日のことです。
 神社に境内に集まるものの中に、顔にも手ぬぐいを巻いているものが居たのでした。言うには、こうしていると顔が温かいと言うのです。
 まねしてみると、確かに顔が温かく少しぐらいの風でも鼻先が凍えるようなことはないのでした。
 だれともなく、きっと天狗様の鼻もこうして暖めてるんだろう、と枯れ葉色の鼻について話をしていたのでした。
 村で崇(あが)めている天狗様が寒くて困っているのならば、なんとかしてやれないか、と考えるようになったのでした。
 鼻が冷えるんなら、面がよかろう。
 祭りで使う面を天狗用にしたものができないかと話をしたのでした。
 面を作るのにも村人からの想いがありました。
 天狗様が寒がっているのを、そうならないようにしてやろうとの考えからか、祭りで使う面よりも分厚い作りにしちょっとやそっとの雨風じゃ負けないような面にし、そして厳めしい形相にして、より天狗の威厳が出るようにとしたのでした。
 天狗が立ち寄る社に、供え物と一緒に面を置いたのでした。
 それから数日後、村の空には厳めしい面をかぶった天狗が空を駆けていたのでした。

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