見出し画像

斬る|短編小説

ちぎったところが酸化して黒くなるような気がした。あの頑丈なじいちゃんがシぬなんて。文武両道のじいちゃんが教えてくれた剣道も柔道も書道も、なにも上達しなかったと思った。そんなぼくなのに、じいちゃんは

「お前は強い。だから大丈夫だ。」

と、ぼくのこころに直接響くような太い声で言ったあとに、大きな手でぼくの頭を撫でてくれた。じいちゃんのじわっと滲むようなあたたかい体温を思い出していた。パッとしない貧弱なぼくの皮膚の下を走る苦痛も、指先に溜まる激情も、胸にぽっかりと開いた喪失さえも冷たいプラスチックになった。「ぼくのこころはプラスチック。」そう呟くと、じいちゃんを形造るすべてが固く閉ざされていくような感覚に襲われた。そして、なにも感じなくなったころ、ふと見上げる祭壇の中央に遺影が見えた。じいちゃんの遺影は笑顔だった。そのことだけが救いだった。ぼくはただ椅子に座り、言葉を発さずにじいちゃんの遺影を見上げて記憶を辿った。そんなぼくを見た大人たちは不憫に思ったのだろう「じいちゃんの魂はサトのそばにいるよ。」と慰めを呟いたけれど、プラスチックになったぼくのこころには響かなかったし、なにより死んだ人の魂がぼくのそばにいるだなんて非現実的だ。そう思った瞬間にバチンッと爆ぜる音が部屋を駆け巡った。すると、次の瞬間には、ぼく以外の人がスローモーションになり、そして、しまいにはマネキンのように動かなくなると、その場の生活音が消えて静寂に包まれた。それはまるで異次元に来たような気配がした。ぼくは慌てて「うわっ!」と叫びながら椅子から立ち上がると

「きみがサトね。」

と、ぼくの後方から透き通る声が聞こえた。そちらを見るとセーラー服の少女が日本刀を携えて立っていた。なぜ少女がぼくの名前を知っているのかわからなかった。「え?」と、ぼくの口からこぼれ落ちた言葉へ被さるように少女はまた言葉を放った。

「はじめまして、わたしの名前は──。」

そう言った瞬間に部屋の入口からたまごが腐ったような臭いが鼻を突いた。ぼくは腕で鼻を塞ぐと少女は部屋の入口を見ながら

「ふふ、キた!あっちか!」

と、呟いた声が少し嬉しそうだった。それから少女は俊敏に走って部屋を飛び出した。ぼくは思考が空回るほど動転しているのに、床に張り付た重い足を上げて、マネキンのように動かなくなった人をかき分け朧げに走り出し、少女のあとを追った。すると、部屋を出てすぐにある葬儀場のロビーで黒くてドロドロしたものが山形に蠢いていた。異臭はそこから強く放たれていて、その前で少女は腕組みをしてなにか話をしている。すると突然、黒いそれが無数の鋭い棘のような形になり、少女めがけて飛んだ。

「危ない!」

ぼくが声を上げると少女は自分に向かってくる鋭い棘を、いとも簡単に跳ねるように避けた。すると、その無数の鋭い棘の一部がこちらへ向かってきた。

「サト!危ない!」

少女はそう叫ぶと、一瞬のうちにぼくの前に現れて抜刀の勢いでそれを弾いたと思ったら、黒いそれはまた形を変化させて蠢いている。そのときに見えた少女の日本刀は美しく光っていた。

「チッ、仕方ないわね。ザンエ、話しても無理なら斬るしかないわ。」

少女はそう言うと美しい日本刀を鞘へ戻して片足を後ろへ下げて構えた。その姿は殺気に満ちていた。そして、目をゆっくりと瞑りぶつぶつと呪文のような不思議な言葉を唱えると一気に開眼して、柄を強く握り抜刀したと思った瞬間にすごいスピードで黒いそれを真っ二つに切り裂いた。

ギャーーーーーーーッ!

黒いそれはいろいろな声が重なり発狂したような声をあげると動きがぴたりと止まった。そして、砂が風に吹かれたときのようにさらさらと跡形もなく消え去った。あっという間の出来事にぼくは尻餅をついて唖然としていたら、少女がこちらにやってきてぼくに

「大丈夫?」

と、声をかけた。その少女の雰囲気から殺気は消え去っていた。そして、少女はぼくの隣へしゃがんだ。

「あ、あなたは、何者なんですか?」

ぼくは恐る恐る少女に伝えると、少女はクスッと笑ったあとに

「わたしは死者を常世へ送る番人。いうならば、死神ね。」

そう言ったあと、ぼくにわかりやすく説明してくれた。先ほど黒いそれは残穢というこの世に強い未練や後悔や苦痛を残した人の想いが負のエネルギーの塊になり、この世に残って悪さをするらしく、それを死神が浄化している、と話した。そして、いまぼくたちがいる場所は無我という空間で、現世と常世の狭間だと教えてくれた。少女が話す内容は非現実的なことばかりで、ぼくの頭はパンクしそうだった。少女は残穢のことや無我のことを説明したあとに、にこりと笑顔になると

「わたしの刀はゲッコウ。月の光と書いて月光っていうの。この刀が残穢を現世から断ち斬るのよ。きみも刀を持っているはずよ。わたし、知ってるんだから。」

と言うと、日本刀を愛おしそうに撫でた。その手つきはどこまでも優しさに満ちていた。

「でもね、死ぬときは怖いし、痛いし、辛いものなの。だから、残穢はどこにでも生まれるのよ。」

少女はそう言ったあと、「あ!」と小さく叫んで立ち上がると

「司が現れた。早く立ち上がって!」

と、じいちゃんの名前を言い立ち上がると、「サト、早く立ち上がってよ!」と言うと、ぼくの手を引いて走り出した。そして、葬儀室へ戻ると、祭壇の中央に見慣れた後ろ姿が半透明に見えた。少女はぼくから手を離して

「行っておいで。」

と、ぼくの背中をそっと押した。すると、ドシャドシャと堆積する冬の寒さのせいか、それとも混乱のせいか判断する要素がみつからないけれど、ぼくの足は動かなかった。しかし、その後ろ姿を見ていると熱い痛哭が、じわっと頬を伝いこぼれ落ちた。ぼくを呑み込もうとするそれを手の甲で拭うと、はじめて自分が泣いていることに気がついた。苦しくて苦しくてたまらないのに、なぜ自分が泣いているのかわからなかった。

「じいちゃん?」

喉から潰れた声を絞り出すと、じいちゃんはこちらを振り返り、ぼくに笑顔を見せた。そして、笑顔のままこう呟いた。

「サト、俺はこれからもずっとずっと見守っているから、自分の悔いのないように生きろ。お前は強い。だから大丈夫だ。」

そして、その大きな手はぼくの頭をそっと優しく撫でた。ぼくは言いたいことが沢山あるのに、言葉が出てこなかった。けど、思うことはひとつだった。

「じいちゃん、ありがとう。」

そう言うと、いつの間にか少女はじいちゃんの隣にいて

「それじゃあ、そろそろ時間だから行きましょうか。」

と、ぼくとじいちゃんを交互に見ながら軽く呟いたあと、急にバチンッと爆ぜる音が部屋を駆け巡った。すると、マネキンのように動かない人たちがスローモーションに動き出して、自然と無我から元の空間に戻った様子だった。誰も先程の出来事を知らないようで、礼服に野蛮な体を収めてお悔やみを述べていた。ぼくは祭壇を見るとそこにじいちゃんも少女もいなかった。すると、ふたりがいた場所に古めかしい鍵が落ちていた。それはぼくのよく知った鍵で、なぜそれがそこにあるのかわからなかったけど、ぼくはそれを拾い上げるとポケット入れて、何事もなかったように椅子へ腰掛けた。

葬儀は滞りなく終わり、荼毘に付したじいちゃんは小さくなって家に帰って来た。夢現のような先程の出来事を振り返りながら、父さんと母さんを見た。ふたりとも喪失が浮いた顔をしていて、誰もなにも発することのない静寂が包む空間は無我にいるときのようだった。ぼくはポケットへ入れた鍵を取り出して家の裏にある蔵の前に行き、錠を下ろして重い扉を開けると、斜陽が床の埃を映した。そして、奥に進むとある木箱の前に立ち止まった。ぼくは深呼吸をしたあとに、木箱を結んでいる紫色の紐を解いて蓋を開けると、そこには立派な日本刀が入っていた。蓋の裏には「無双」と墨で書かれている。死んだじいちゃんの遺言でぼくに遺された日本刀。ぼくは厳かな気持ちで日本刀を取り出そうとしたら背後から

「きみに無双はまだ早いよ。まずはこれから。」

そう透き通る声が聞こえたので振り向くとあのセーラー服の少女だった。逆光で表情は見えなかったけど、その手には木刀が握られていた。

「あ、自己紹介がまだだったわね。わたしの名前はナナ。よろしく。」

そう言うと手にしていた木刀をこちらへ向けて放り投げた。ぼくは慌ててそれを掴もうとしたけど、それはぼくの頭へ落ちた。

「あ!痛い!」

ぼくがそう言いながら頭を摩ると、ナナはため息を吐いて

「サトって鈍臭いわね。これから大丈夫かしら。」

そう言ったあとに軽い口調で

「あなたは今日から死神見習いよ。」

そう言うと、ナナはぼくの前まで歩いてきて無双を眺めながら

「それじゃあ、早速、残穢を探しに行きましょうか。」

そう言って無双から視線を外すと蔵から外へ出た。ぼくは無双に蓋をして紫色の紐を縛り、ナナのあとを追って斜陽が作るオレンジ色の道を歩きはじめた。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?