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爪とチキンライス。


爪を切った。学生時代から爪が伸びてくるとイライラする性分なので、常に爪を短く切り揃えている。爪を短く切り揃えると心が清潔と安寧で満たされて新しい気持ちになれる。俗に言うと心が整うような「ふええ。」とつい声が漏れ出てしまう気持ち良さが得られるのだ。そのことに気がついたのは幼い頃だった。そして、私に無関心な母と接触したのは私の爪を切るときだった。それは時間にすると5分くらいの短時間だけれど、互いに話すこともないので無言で爪が「パツンッ。」と絶命する音を聞いていた。私は、母が爪を切り終わると緊張からの緩和で「ふふふ。」と笑顔になるといつもイライラしている母も「爪切ると清潔やし、スッキリするね。」と声をかけてくれた。そのことを今でも憶えている。もしかしたら私が爪を切ると心が整うということは、母からの刷り込みかもしれない。アヒルの子どもが初めて見た動くものを親と刷り込みするように、爪を切ることは清潔と安寧で満たされると思い込んだのかもしれない。

そんなことを思いながら爪を切った。パツンパツンと絶命していく爪は新聞紙に落ちる。

すると、台所からケチャップの匂いがした。私は居間で爪を切りながら母に

「もしかして、チキンライス作ってる?」

と、声をかけると母は

「そう!あんたが食べたいって言うたやんか。」

と、背中で返事した。

母の作るチキンライスは絶品なのだ。ご飯と具材にケチャップが絡んで、パラパラとかしっとりとか関係ない、これがチキンライスだ!と豪語したくなる美味しさだ。

爪を切り終えて新聞紙を片付けて手を洗い広めのお皿を出すと、ちょうどチキンライスが出来上がった。


母が作ったチキンライスのアップ。



私たちは、いただきます、と合掌してスプーンでいただいた。口腔内がケチャップの旨味でいっぱいで幸福が押し寄せる。私は

「なにこれ!美味しすぎる!」

と、語彙力のないありふれた言葉をつぶやいてチキンライスを食べると、母が

「あのね、私、気がついたんやけど、これチキンライスじゃなくてケチャップライスやった。この間、テレビの放送観て気がついて。そういえば、うちはチキンじゃなくて豚肉やし。」

私は、その言葉にスプーンを落としそうになった。確かに、チキンは入っていないから正確にはケチャップライスなのだ。それでも美味しいことには変わりないので、私は「そう。でも名前が変わっても美味しいね。」と伝えた。

私は、何十年もケチャップライスをチキンライスと思っていた。母からの刷り込みはこんなところまで及んでいて、案外、私は母から影響を受けているのだなあ、と気がついた。幼い頃は、母のことを避けていたのに結局のところ、どんなに認めたくなくても私はこの人の子どもなのだ。

私は、短い爪でチキンライスを食べ終えた。




短くて清潔な爪
眺めると
台所からケチャップの風

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