見出し画像

真面目かっ! #呑みながら書きました 後夜祭

うほっ。今日はお酒を呑んでいなくて、お土産でいただいたコーヒーを淹れて呑んでいます。


ヒロコーヒー。物撮りは下手くそだけど撮ってみた。


だんだと、だんだんと秋めいて来ました。だから、イキってロンTを着たら汗だくになって。だいぶ季節に弄ばれている感が否めませんが、なんとか生きています。

今日ですね、海が時化ていたので車に付着した潮を水で洗い流していたんです。すると母がやって来て

「あ!ちょっとそのホース貸して!花に水やるわ!」

と、私の手からホースを奪い取りました。私はその行為にイラッとしたけれど、まあいつものことだ、と半ば自分の中で折り合いをつけて家の中へ入りました。すると愛猫が「にゃごん。」と鳴いて出迎えてくれて、どろどろした感情からジャンプしてフラットへ戻れました。猫はいい。ギュッと結んだ心の芯を緩めてくれるから。

私は母とふたり暮らしなのだけれど、母に対して焦慮することがままあります。我が強い母は常に自分が正義であって、それ以外は簡単に悪と見なすのです。そのことが私を苛立たせます。しかし私たちが喧嘩をしても仲裁する人はいないので、私はいつも菩薩のような心持ちでいなければならないのです。

たとえば先ほどの母とのやり取りも、もし私が「順番守って。私の後でもいいやん。」と言えば母からは、半沢直樹も真っ青の倍返しな反論と否定プラス、実に嫌味で粘り気のある言葉が返ってくるに違いないのです。そして言い合いがエスカレートして喧嘩になれば、母はヒステリックになり、ただ声を張り上げて論点のズレたことを喚いて収集がつかなくなります。結果、険悪な空気で過ごすことになるのです。それがとても面倒くさくて。私はそうならないために菩薩のように波風立たぬ平穏に満ちた心持ちでいるのです。要するに、母に適応しないとこのふたり暮らしは崩壊します。

「偉いな、じぶん。」

私はいつも自身に労いの声をかけます。そうでもしないとやってらんない。

じゃあ、そこまでしてなぜ一緒にいるの?

と、疑問が湧いてくるのですが、そのことを突き詰めていく途中でドカンとした淋しさではないのですが「いずれ私はひとりになる。」と、思うのです。そう思うと、ふたり暮らしを持続させていきたい、と今は思えるのです。なんだか矛盾しているのですが、母との関係はとても複雑なのです。

まあ、普段は家にいるとき、食事以外は別々の部屋で過ごしているので健康的で文化的な生活を送っています。

あ、愛猫が「なーおん。(訳:ねえ、遊んで?)」とおもちゃを咥えてきたのですこし遊びまーす。

𓃠

あ、ただいま。ふふふ。猫はいいよなあ。かわいいし、凶暴だし。

あ、話を戻しますと、もしひとりになれば、それを孤独と捉える人と、自由と捉える人とに分かれると思います。今、私はどちらになるのか見当もつかないのですが、後者ならいいなあ、と思います。

ひとりで自由を満喫したいです。憧憬の地、鎌倉で小さなアパートを借りて、慎ましやかな生活を送りたい、と考えています。海を見て、美味しい食事をいただいて、散歩して、ときどき、都会へ遊びに行って、また海を見て、そして、何かを書いていきたいです。

こうして書いていると、ごちゃごちゃだった思考回路がストンと整理されるような気がするからです。

これからもぼちぼちエッセイや小説を書いていくのでみなさまよろしくお願いいたします。

コーヒーって酔わないから真面目になった。でもこれも私なんです。

マリナさん、いつも #呑みながら書きました  を開催してくださってありがとうございます。私はいつも楽しみにしているのです。いえい!





終劇








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?