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蝉が鳴くころに 第一話|小説



氷がとけるようにあいして欲しかった。ただそれだけなのに、母は呆気なくシんでしまった。葬式の際にみっさんが泣きながら、

「喪主はオレでええな?」

と、言うから

「うん。」

と、私は俯いたまま応えて、幼女のように脚を交互にぶらぶらさせた。

みっさんは母の再婚相手で、一緒に住みはじめて五年が経過していたが、みっさんのことを父親だと周囲の人に言ったことはなかった。はじめて出会ったときも母から、

「この人はみっさん言うねん。」

と、紹介されたし、

「無理に父さんとか、父ちゃんとか、パパとか言わんでよろしいから。」

と、みっさんに言われてからずっとみっさんと呼んでいる。みっさんはいつも明るくて、人に好かれる愛想のいい笑顔が印象的なおっちゃんだ。自称、ゴールデンレトリーバーのような人懐こさで人気者らしい。


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たしかに、みっさんが人の悪口を言ったり、苛立ったりしたところはあまりみたことはなくて、いつもヘラヘラしている。母は生前にそんなみっさんのことを、

「こんな愛想の良い人間が居てるなんて、世界も捨てたもんじゃないなあ。」

と、よく言っていた。たしかに苛々した人と一緒にいるとその場の空気までが苛々に汚染されてしまうような気がするし、自分までも苛々してくる。だから、みっさんと一緒にいるだけで幸せと言う母は、人生の本質を突いているのかもしれない。

「かよちゃん、なあ、かよちゃん、祭壇の花どれにしようか?」

みっさんの声に我を取り戻した私はそちらをみ見ると、まだ泣いていた。みっさんの目尻の皺に、涙が挟まって右往左往している。それを水色のハンカチで涙を拭き取るから、ハンカチは水色と紺色のタイダイ柄になっていた。

「白の菊がきれいやな。」

と、私が写真を指差しながら、何気なくその写真の下に書いてある金額をみると高額で驚いた。私は慌てて人差し指を一番安い祭壇まで移動して止めた。その行為に自分自身で笑いが起きそうになるのを堪えて、みっさんを見ると、鼻水を啜りながら、

「じゃあ、これでええ。」

と、葬祭スタッフの方に応えていた。あまりにも嗚咽するみっさんに、不謹慎にもまた笑いが湧いてくるのを必死で隠すため、私はまた脚をぶらぶらと揺する。そして色々な決め事が済むと、棺桶の中にいる母を見た。死化粧を施されて、いつもよりチークが濃ゆいが、美しかった。私の後ろで椅子に座りまだ嗚咽しているみっさんは、鼻が詰まった声で私の名前を呼んだ。

「なあ、かよちゃん、大事な話があんねん。かよちゃんがよかったら、これからも一緒に住もうや。みっさん頼りないかもしれんけど、一緒懸命に頑張るから…だから…。」

そしてみっさんはまた泣いた。自分のことが愛されキャラやと知っているから、自身のことを「みっさん。」と言うのだろう。私も不思議とそのことに嫌悪はしなかったし、何より泣きすぎて目も鼻も真っ赤になっているみっさんを放ってはおけなかった。

「うん、私はこれからもみっさんと一緒におるから、もう泣かんといて。」

私がそう言うと、みっさんは、その私の言い方や声色が母にそっくりやと言い出して、また泣いた。それから私は泣き過ぎなみっさんに飲み物をいるかと聞くと、

「BOSSのブラックで。」

と、号泣いているくせに注文はしっかりしているから今度は我慢できずに笑ってしまった。するとみっさんも涙を拭いながら、小さく笑った。私は少しだけ安心して、外にある自販機へジュースを買いに行く。すると、日に照らされたこ熱いコンクリートの上に蝉の死骸が転がっていた。

「ああ、もう夏が終わる。」

私はそう感じて、胸が苦しくなる。そして近くにあった花壇の土を軽く掘って、蝉の死骸を土に還した。外気の熱に触れると涙が氷の雫のようにポロリと垂れて、ライトグレーのコンクリートを黒く染めた。そして続け様にそこに落ちて、滲む。私は小さく溜息を吐くと、涙は止まりコンクリートと蝉の鳴き声が黒く深く沈んでいるのに、空はただ青く高くそこにいた。


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第二話へつづく








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