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寂しい味のサンドイッチ。


隣町にある喫茶店は、世界でいちばん美味しいサンドイッチを出してくれる。薄いふわふわの食パンに、マヨネーズで和えた卵ときゅうりが、これでもか!とたっぷり収まって、とてもジューシーなサンドイッチだ。行儀よく皿へ並んだふわふわのサンドイッチを一切れ手に取り口へそっと運んで咀嚼すると、濃厚なマヨネーズと薄らマスタードの風味がふわりと立ち昇り、私をなんとも言えない幸せな気持ちにしてくれる。このサンドイッチはどの食材も調和が取れていて、強さでねじ伏せたりはしない優しい味がした。

極楽とはこのことだ。

私は、極楽へ誘うサンドイッチのことを「極楽サンド」と密かに名付けて毎週日曜日の朝に母と通った。

そこの喫茶店はご夫婦で営んでいた。おふたりはときどき、言い合いという小さな喧嘩をした。それは、少しいけずなことを言い合う本当に些細なことなので、私たちは「また始まった。まあ、これは食事のスパイス。」くらいの気持ちでおふたりの声音をBGMにサンドイッチをいただいた。

毎週通うと、おふたりは私たちのことを憶えてくださって、それから互いのほんの些細な日常のことを話すようになった。おふたりはご主人の退職を機にこの町へやって来て喫茶店を開いたことをお話ししてくださった。

「この場所、海が見えるから好きなのよ。なんにもない水平線を見ていると心が落ち着くっていうか。それでね、ここへ喫茶店を出すことに決めたの。それにね、ここの人たちはみんなおおらかでね。ふたりで、ここで棲みたい!って思ったの。」

奥様はそう仰った。私はその言葉を体の中へ落として窓から見える水平線を見ると、奥様が言いたいことがわかるような気がした。おふたりは、この土地の文化や人に惚れたのだ。私には土地に惚れ込むって経験がないけれど、いつか私もそういう土地を見つけて棲みたいと思った。

それから数年後のある日、奥様がサンドイッチを頬張る私たちの横へやって来て

「あのね、来月にこの店を閉めることにしたの。ふたりとももう高齢でしょ、だから、娘のところへ行くことになったの。ここは好きだけど、車がないと不便でね。残念だけど、今までありがとうございました。」

そう言ってお辞儀をされた。私たちは、驚いてしまって、特に私は何も言葉が見つからなかった。

おふたりに会えなくなる。
そして、この極楽サンドが食べれなくなる。

私は哀しいが胸の奥をぐるぐると駆け巡った。それ以外のことは何も考えられなかったけれど

「とっても残念です。ここが大好きだったので。でも、今までおつかれさまでした。ありがとうございました。」

そう言うことが精一杯だった。そうしたら、奥様は

「またどこかで会いましょうね。」

と、仰った。私たちは「そうですね。またどこかでお会いしたいです。」とお伝えして、少し世間話をした後に店を出た。そして、見送ってくれるご夫婦に手を振りながらお別れした。

それから数年が経った。私は、ときどき、極楽サンドを真似て作ってみるけれど、なかなか上手くいかない。あの味を出せるのは奥様だけなのだ。

またおふたりに会いたいなあ、そして、あのサンドイッチが食べたいなあ、

と思いながら作るサンドイッチは、少し寂しい味がした。


とろとろのサンドイッチを食べるときこころの外で寂しい気分











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