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紺碧の空へ滲んで消えた|掌編小説



ボクは弾け飛びそうに膨らんだキミの瞳を見つめてから、線の細い身体を強く抱きしめた。表面上の理由は当分は会えそうにないからという理由だったが、根底にあるものはもっと本能的なものだろう。

「私たち別れよう。」

抱きしめている最中に、そう囁くキミは悪魔だ。何度も話し合った結果なのに、安易に別れを提示してくるキミは、そんなことで自分の気持ちが救済されると思っている節がある。ボクはキミから身体を離してきちんと視線合わせながら「何度も話し合ったじゃないか。」と言うと、キミは俯いたまま幼子の様に口を一文字に噤んだ。

「もう疲れたから。終わりにしよう。」

ボクはキミのその一言にシラけてしまって、「わかった。」と言うと、キミの瞳は刹那に枯れて萎んで虚になり、少し開いた唇から「え?」と甘い吐息が漏れた。ボクはうんざりした空気を口から吐きながら、キミから手を離して新幹線へ乗り込んだ。

ボクたちはいつから狂ってしまったのだろう、そう冷静に考えながら新幹線の指定席を探し腰を下ろした。身体にフィットしない座席に身を委ねながら、動き出した車窓の外を目で追う。そして、当時のありきたりな幸せを肌で感じながら付き合いだしたボクたちを、無理矢理に走馬灯を引っ張り出してきて、回転させる。ふたりが物理的に離れてしまったのが一年前で、その理由はボクの仕事の都合だった。離れてから最初の頃は毎日連絡を取り合って、ふたりの絆も揺るぎなかったが、三ヶ月程前からキミは仕切りに「今すぐに会いたい」と口にする様になり、その頃からふたりの関係は翳りをみせ始めた。ボクたちは何度も話し合い、その都度に綻びを修復してやっとギリギリに繋ぎ止めていた糸を、ボクはプツリと、切った。別れはいとも簡単にボクのところにやって来て、キミを遠くへ解き放ち、それと引き換えにあまりにも空虚な自由を手に入れた。新幹線の座席で無理矢理に動かした走馬灯の回転を今度は止めようとするけれど、次から次にありふれた幸せの映像が溢れてきた。

待ち合わせの場所に行くと、周囲を見ながらボクを探しているキミ。

ボクを見つけてこちらに走り寄るキミ。

ビールを飲むキミの嬉しそうな横顔。

少し怒りながら仕事の愚痴を言うキミ。

手を繋いで子供みたいに笑うキミ。

キミの寝息に合わせて深けていく夜。


溢れる記憶は行き場をなくして立ち竦んでいる。そして、色素のない透明な記憶は、呆気なく新幹線の車窓から紺碧の空に滲んで、ありきたりな方向へ流出して姿を消した。











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