泡が消えるそのまえに。
すこし目を細めて淡い紫煙をくゆらせた顔。
家族や友人と冗談を言い合うおどけた顔。
もくもくと何かを考えている顔。
最近の私は父をよく思い出す。記憶の中にいる父のフィルムを引っ張り出して映写機へかければ、映像は速度を増して色鮮やかによみがえる。そこへ映る父のいろいろな表情は、どれも刹那的で「ああ、父だな。」と確信に変わり、こころの底がじわーっと熱くなる。
そのフィルムから父らしい朗らかに元気な表情を切り取るとしたら、ビールを飲んでいる瞬間だろう。
父は毎日晩酌していた。350ml缶のビールを一本だけキンキンに冷えたグラスへ注ぎ、泡と一緒に味わっていた。その肴は、春には菜の花のお浸しを、夏には鯵の刺身を、秋にはきのこのバターソテーを、冬には熱々のおでんを、その季節の旬のものを冷えたビールと一緒に楽しんでいた。
私はときどき父と一緒にビールを飲んだ。お互いに「乾杯。」とグラスを合わせてビールを飲めば、それを幸せと言わないでどうする?と思うほどの笑顔がこぼれ落ちた。そのときの父の表情は無垢な子どものような顔をしていて、それを見ているとこちらまで嬉しくなるのだ。
そのあとは、何を話したのかすでに憶えていないのだけれど、ありきたりで泡みたいにすぐ消えてしまう時間でも、小さな幸せを感じながら共に過ごした。
昨夜の夕食はおでんだった。鍋の中で出汁を吸ってしみしみの大根を見ていたら、どうもビールが飲みたくなり急いでスーパーへ行き350mlのビールを一本だけ買って帰った。帰ると小さなグラスをふたつ準備して、プルタブからプシュっと音が鳴り缶を傾けるとグラスは白い泡と黄金色に染まった。
私は、グラスを仏壇の前へ置いたあとに自分のグラスで乾杯した。カチンと合わさったグラスの音はさみしく仏間に響いて消えた。
「乾杯。」
さみしさに負けてそうつぶやくと、その声も畳を転がって消えた。さみしいまま、こころの置き所が解らずに、ただ父に逢いたい、と思った。けれど、言葉に出してしまうと止めどなくさみしさに襲われそうで、口を固く結んだ。そして、仏壇に置いたグラスを見ると、ビールの泡は消えてなくなっていた。その間もやっぱり父に逢いたくて、でもそんな私の願いは叶うはずないと判っているのにこころのどこかではそれを待ち望んでいる私がいた。
私は、これ以上感傷的にならないように泡が完全に消えるそのまえに、もう一度だけ父のグラスに乾杯した。
ふくふくの泡のまえでは子どもなの
父の笑顔は私の希望
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