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もう恋なんてしないなんて言わないよ #呑みながら書きました


冬、素敵やんって気候になってきましたね。冬は好きやけどちょっと寒すぎひん?とか言いながら着膨れてもこもこしております。そして、ただいま、もこもこしながら夕飯前にココアを呑んどりますが、ココアは甘いよね。甘すぎて白目になるよね。なんてわーわー言うとりますけども、第14回 #呑みながら書きました  がやってまいりました。マリナ油森さん、楽しい企画をありがとうございます。いつもこの呑み書きに参加する際は、アルコールをたらふく接種、摂取して挑むんややけど、今日はお腹の調子が良くなくてココアを呑みながら参加しまーす。



あのー、ココアのね、飲み終わる直前のドロッとした濃厚な甘さが口腔内を征服して幸福に満たされたあと、それがサラサラと解けていくときに感じる余韻は、恋の終わりに似ている。

もう気持ちがないねん。

と、まるでココアにフラれたみたいな気がして、温かな喪失を感じながら最後の一滴を嚥下した。そして、マグカップの中を覗くとココアの痕跡がベールのように付着していて、それが焦がれた恋の証跡のように思えてね。それを眺めていたら、もう恋なんてしない、みたいな気分になって。槇原敬之氏のもう恋なんてしないなんて言わないよ、じゃなくて本当にしないと思って。





私は現在進行形で恋ができないのですが、その結論に至るまでの要素がいろいろとあるわけですけど、それをここで書くと長文過ぎて、夜明けぜよ、になるので簡潔に総括すると恋って野蛮じゃないですか(簡潔が過ぎる)。恋は激情のなかに身を投じたり、欲望の縄で相手を拘束しようとしたり、本能剥き出しで、すごく動物的になってしまう。それを俯瞰してみたら、その場所へ身を委ねることが歳を重ねるごとに不安になるというか、反射的に恐怖すら感じてまして。強火で激しく燃えるような、もしくは、とろ火で優しく燃えるような恋もあるけど、それは総て一瞬のまぼろしー!にすぎないとも思いますし。恋は恒久的ではないから。けど、恋を悪だとは思っていないんです。恋が実ったときの滴るような歓喜、好きなひとの誠実な体温、心を満たす安心、華美、充溢──。言葉で言い尽くせない幸福という名の感情を私は知ってはいるのですが、ただ、私自身が恋に対して臆病になっているだけのこと。そりゃあ骨の髄までひとを好きになって


玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば
忍ぶることのよわりもぞする

式子内親王


ってくらい激アツな恋を経験したこともあるけれど、それはあまりにもエネルギー消費量がハンパなくて心身の疲労で床に臥す勢いやったし。あの恋は一生に一度の恋だったと思う。もう二度と私の人生に訪れない稀有な恋──

恋ねえ。

ぽつんと心の中でつぶやいてみるけれど、砂のように指の隙間からさらさらと流れ落ちて、実感が湧かない。やっぱり私は元から恋愛体質じゃないから、ぼちぼちとひとりで生きていくことが性に合っていると思う。いまはこうしてnoteで形がないものを言葉で造形していく作業は、自分のきもちも整理整頓できるし、いまがいちばん私らしく生きていると思える。それに、恋はするものじゃなくて堕ちるものだしね。でもね、いつか気が変わって激情のなかに身を投じたり、欲望の縄で相手を拘束しようとしたり、本能剥き出しで、すごく動物的になってしまうかもしれないし、恋はしない、なんて断定するのはやめておこう。断定は想像や希望を奪うから。だから、やっぱり、♪もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対──



𓏗𓏗ˎˊ˗



ええええええええええええええ!絶対って断定して盲点、もうてるやん!どやさ!やめさせてもらうわ!


終劇


巻末は、第13回の呑み書きもそうでしたが、昔の香港映画に出てる『終劇』スタイルです。突然終わるぱーん、ぱーん?パターンのやつです。本当は赤字で『終劇』にしたいんです(願望)。
呑み書きはアルコールを摂取してから書くと楽しいから、次回は後夜祭で酒を呑んで、呑んで、呑まれて、呑んでしてから書いてみたいと思います。今日は、みなさんの呑み書きnoteを愉しみまーす!では、いざさらば!







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