教育的観点から勝利至上主義にどこで切り替わるのか

昨日の日大アメフト部の記者会見を見ていて、高体連ってどうだったっけと思い出して調べてみました。

高校の部活だと、教育観点が強かったなと思って。サイト内をいろいろ見ているとこんな項目が。

スポーツ界における暴力行為根絶宣言

ざっと「はじめに」だけを抜粋すると、

【はじめに】
本宣言は、スポーツ界における暴力行為が大きな社会問題となっている今日、スポーツの意義や価値を再確認するとともに、我が国におけるスポーツ界から暴力行為を根絶するという強固な意志を表明するものである。
スポーツは私たち人類が生み出した貴重な文化である。それは自発的な運動の楽しみを基調とし、障がいの有無や年齢、男女の違いを超えて、人々が運動の喜びを分かち合い、感動を共有し、 絆きずなを深めることを可能にする。さらに、次代を担う青少年の生きる力を育むとともに、他者への思いやりや協同精神、公正さや規律を尊ぶ人格を形成する。
殴る、蹴る、突き飛ばすなどの身体的制裁、言葉や態度による人格の否定、脅迫、威圧、いじめや嫌がらせ、さらに、セクシュアルハラスメントなど、これらの暴力行為は、スポーツの価値を否定し、私たちのスポーツそのものを危機にさらす。フェアプレーの精神やヒューマニティーの尊重を根幹とするスポーツの価値とそれらを否定する暴力とは、互いに相いれないものである。暴力行為はたとえどのような理由であれ、それ自体許されないものであり、スポーツのあらゆる場から根絶されなければならない。
しかしながら、極めて残念なことではあるが、我が国のスポーツ界においては、暴力行為が根絶されているとは言い難い現実がある。女子柔道界における指導者による選手への暴力行為が顕在化し、また、学校における運動部活動の場でも、指導者によって暴力行為を受けた高校生が自ら命を絶つという痛ましい事件が起こった。
勝利を追求し過ぎる余り、暴力行為を厳しい指導として正当化するような誤った考えは、自発的かつ主体的な営みであるスポーツとその価値に相反するものである。
今こそ、スポーツ界は、スポーツの本質的な意義や価値に立ち返り、スポーツの品位とスポーツ界への信頼を回復するため、ここに、あらゆる暴力行為の根絶に向けた決意を表明する。

残りはこちらから。

上文のようなことを高体連サイドは言ってるわけです。

だが、高校を卒業するとどうでしょうか?今回は大学のアメフトを舞台に起きましたが、他のスポーツ、スポーツ外でも、高校のときに教わった、則って行動したことが抜けることって多々ある気がします。

大学サークルのここ数年の不祥事もそうかもしれません。

スポーツに話を戻すと、地方でのスポーツは構造がしっかりとしているように思えます。ただ、それは高校を頂点としての話。

サッカーを高校までやってたのでサッカーを事例で言うと、わりと高校やプロ組織と頂点として、地域でどうスポーツを育てるか、選手を育成するかというのがしっかりしてるように思えます。

ただ、これは別の観点もあるような気がしてきました。競技者数による規模もあるような気がします。規模が大きければ大きいほど、ガバナンスは必要となります。

あとはその競技の成熟度・浸透度もあるのでしょうか。

しっかりした考察が必要そうですね。何れにせよ、フェアプレーでやってほしいものです。

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