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創作大賞2024 エッセイ部門 「おやじのせなか」

「おとうさんのせなかを見て、ちゃんといい子に育ったね」

70代くらいのおばさんが、
スーツ姿の凛々しい若い男性に笑顔で言っているのを聞いた。

「ありがとうございます」
若い男性も笑顔で返す。

昼下がりの電車の中。座席はところどころ空いている。
人が少ない分、10メートルほど離れていても
声がクリアに聞こえてきた。

ふたりはその後も世間話をし、
しばらくしておばさんが先に降りた。
お互いに笑顔で手を振る。
見送ると、若い男性は朗らかな表情のまま座席に腰を下ろした。

きっと久しぶりに会ったのだろう。
小さいときのご近所さんか、はたまた学校の先生だったか、
はたまたお父さんの会社の知り合いだったのだろうか。

「おとうさんのせなかを見て、ちゃんといい子に育ったね」

これは、とっても良い誉め言葉だと思う。
お父さんも素晴らしい人で、
息子さんもその素晴らしさを引き継いでいるという、
世代をまたいだ最高の賛辞だと思った。

言われて拒否することなく、笑っていた若い男性。
それを見る限りでは、きっとお父さんのことが好きなのだろう。
家族の誰かを好きでいられるということ、
それは、家族が今まで紡いできた暮らしの、
ひとつの「結果」なのかもしれない。


「おとうさんのせなかを見て、ちゃんといい子に育ったね」

お父さんと外見が似ているのだろうか。
立派な同じ職業に就いたのだろうか。
色々と心のなかで詮索をしてしまう。

ふと、思った。
もしも、僕が同じことを、
同じシチュエーションで言われたらどう反応するだろう。

「いや~全然似てません!」
「やめてくださいよ~パワハラです!笑」
「せなかもおなかも見てませんから!笑」

きっとこんな言葉くらいだろうと想像すると、何とも言えない気分でいっぱいになった。

「おやじのせなか…」

僕は目をつむった。
こどもの時のある親父との思い出が、
この言葉によって時をこえて断片的に思い起こされる。


小学校低学年のクリスマスのこと。
たしか1、2年生くらいだったと思う。
12月に入ると、
すぐにサンタクロースへほしいものを手紙に書いた。
それはもう、ルンルンで書いた。
だって、
子供のころの願いが叶う日なんて、一年のうちで誕生日とクリスマスだけだったからだ。

当時、習い始めたサッカー。
学校から家に帰るや否や、玄関にランドセルをぞんざいに放り投げると、
毎日のように近くの公園やグラウンドでサッカーをした。
毎日夕焼けチャイムが鳴っても、ボールが見えなくなるまで練習した。
まさに絵に描いたようなサッカー少年だった。

そんな僕は、
「ワールドカップのビデオ」をお願いした。
そして「ドイツ代表が出ているビデオ」とも書いた。
当時は、
なぜかドイツ代表が好きでグッズも集めていたのだ。
ドイツの国旗の消しゴム、ドイツカラーの3色のミサンガ、
そしてドイツデザインのサッカーボールなどを持っていた。

ドイツ好きのきっかけとなったのが
ベッケンバウアーという選手がかっこよかったからだ。
皇帝と呼ばれたベッケンバウアー。
彼の華麗なプレーだけでなく、
長身でスマート、且つ冷静な表情なども魅力的だった。
学校の日記にも、
「ベッケンバウアーみたいになりたい」
と書いた記憶がある。

手紙にはちゃんと目立つように色鉛筆も使った。
また、サンタさんの似顔絵を下手ながらも描いたりして、今の流行りの忖度もした。

「サンタさんがぜったいに忘れないように」

子供ながら精一杯のアピールをしてプレゼントを待っていた。


そして、待ちに待ったクリスマスイブの朝。
僕が起きると、枕元に長方形のものが置いてあった。
カラフルな紙で包まれ、赤いリボンでデコレーションされている。
まさしく、サンタさんからのプレゼントだと確信した。

「きてくれたんだ!!」
僕は飛び上がり、布団の上で喜んだ。

高鳴る心臓を感じながら赤いリボンの結び目をほどき、
そして、最後に急に気が狂ったように紙袋をビリビリに破る。
もうすぐお願いしたものに会える!
我慢できなかった。
まさしく期待しかない状況だ。

そして、そして、
期待も心臓も膨らんで
どちらもはち切れそうになりながら
ようやく本命の中身までたどり着く。

「ん……」

時間が止まった。
ある一人の、
ベッケンバウアーではないサッカー選手が目に飛び込んできた。
それは、小太りのサッカー選手だった。

僕の手が止まる。
目も止まる。
心臓も止まりそうになる。

「え…?」

見た瞬間にワールドカップのものではなく、
またドイツ代表のでもないことは明らかだった。

「マラドーナ…」

表紙にはそう書いてあった。
かつてアルゼンチン代表として有名だった、
必死な表情のマラドーナがプリントされていた。
「……」

これはいったい、、
何があったのだろう…と混乱した。
サンタさんがきっと僕のプレゼントを間違えたのだ、と思った。

まさか…
僕が書いた手紙を親が出し忘れていたのではないだろうか。
その時、僕はそう思ったことを覚えている。

一度、親に確認しよう。
不本意ながら、手のひらサイズのマラドーナと一緒にふとんを出た。

横の部屋に行くと、
「おやじのせなか」が見えた。
おやじはテレビを見ていた。

「おとうさん、これワールドカップのじゃなかった」

すると、おやじはすました表情で

「これベッケンバウアーじゃないな。マラドーナだな?」
と言ってテレビを指さした。

テレビ画面には、華麗にドリブルするマラドーナが映っていた。

「……」

僕は手に持っていたビデオの箱を開けた。
中にはビデオはなく、説明書だけが入っていた。
「……」

そう。
お気づきの通りだ。
おやじは勝手に息子の大切なプレゼントを開け、ビデオをビデオデッキに差し込み、
座椅子に座りながら悪気もなくマラドーナを見ていた。

「………」

僕は、言葉にならなかった。
いや、言葉にできなかった。
小学校1、2年生で、まさに小田和正並みの歌詞を書けそうだった。

こんな親が、果たしているのだろうか?
いや、親と呼んでいいのだろうか?
盗んだバイクどころではない、
新幹線くらい盗んで走り出しても、みんなに同情をもらえるのではないだろうか。
関東甲信越地方、
いや本州全域にまで検索をかけても、
子供のクリスマスプレゼントを勝手に開けて見る親はいないだろう。

しかも
「これベッケンバウアーじゃないな。マラドーナだな?」
と笑って言い放った。
まさに児童虐待レベルの無神経さだ。

でも、僕は偉かったと今思う。
泣いたり、わめいたり、大騒ぎしたりはしなかった。
理解できないまま空のビデオの箱をひとしきり茫然と見終えると、
横でおやじと静かに一緒に見た記憶がある。

よく、そうできたなぁと思う。

今の子供たちなら、きっと大暴れして手が付けられなかったんじゃないか、と想像する。
大人でも開けたプレゼントをくれるものなら、正直嬉しさは半減以下になると思う。


小学生の時の大切なクリスマスプレゼント。
それは人格形成上、発達の過程上でとっても重要だと思う。

幼少期の楽しい思い出は、その後の人生を左右するほどのものだ。
決してお金では買えない、超がつくほど大切なものだ。
下手したらこれがきっかけで、
軽いトラウマや人を信じられないことにつながるかもしれない。

そう思うと大人になって振り返っても、
もっと感情を爆発的に表現して、
汚い言葉でおやじに文句を言ってののしり、
ベッケンバウアーのビデオも新たに買ってもらえばよかったと思う。

でも、
小学生の僕は、そうしなかった。
もしかしたら、今より大人だったのかもしれない。

いや、もしかしたら、
おやじを軽蔑していたのかもしれない。

いや、もしかしたら、
悲しい気持ちを言えず、
ただその感情を曖昧にしたかったのかもしれない…

いや、もしかしたら…


今となっては、
そのときの感情までは詳しく覚えていない。
でも、一緒に見たマラドーナのビデオの内容も覚えてはいないのだ。

小学生の僕は、
いろいろなことを感じながら、
ただ空虚な映像を目で追っていたのかもしれない。


子供なのに。
いや子供だから。

大人より、
大人以上に深いところにつながって、
少年だけの「まっさらな純粋な箱の中」にしまったのかもしれない。

あのとき箱にしまった感情。
その感情は、まだ今の僕のなかに眠っているのだろうか。



車内アナウンスが響き渡る。
もうすぐ最寄り駅に着く。
僕は、ゆっくりと目をあけた。
すこし涙が目を覆っているのが分かった。
周りを気にしながら、何ごともなかったようにあっさりと手で拭った。

顔を上げて周りを見渡すと、さっきより人が減っていることに気付く。
若いスーツの男性もいなくなっていた。

ブレーキがかかり始め、徐々に速度がダウンしてくる。
車窓から公園が見えた。
子供たちの声が一瞬だけ聞こえてくる。
追いかけっこをしているのだろうか、
みんな笑顔で走り回り、とっても自由で無邪気に映る。


今、あの日の自分を抱きしめてあげたくなった。

もし今、そんな自分を抱きしめてあげたら、
きっと小学生の僕は感情的に泣いてしまうのだろうか。

今の僕はここにいるのに、
あの日の僕はどこにいってしまったのだろうか。


そう思っているうちに、ドアが開いた。
僕はせわしなくカバンを持って、小走りで電車を降りた。


いつものホームの夕暮れ時。
僕は下を向き、出口に向かって歩く。
見上げると、まあるいものが駅舎の上に赤い濃淡を広げていた。

もしかしたら…


泣かないために、
箱を開けてしまわないために、
敢えてハグを拒否するかもしれないなぁ…

さっきの答えが夕焼けから返ってきた気がした。


「おやじのせなか」

この言葉を聞くと、
僕にとってはあの日の、
ちょっぴりビターな光景が思い出される。

でもなんだか、
今は、あの日の自分を
悲しいくらい愛おしく思えてきた。


あの時閉めた箱。

そのなかから、
あの頃の僕と一緒に、
悲しさや辛さや怒りなど誰にも言えなかった感情を一つ一つ優しく取り出して話をきいてあげ、
今の僕が分かってあげよう。

あの時の僕を笑顔にしてあげられるのは、
今の僕に出来る唯一のプレゼントだと感じた。







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