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深海

 令和に入って一番サイアクな朝を迎えた。失業保険を受給しながらジワジワ近づく将来への不安からか、会社を辞めるまでして賭けた大学院受験に失敗した過去からか、はたまた無職であるのにも関わらず同棲中の彼女から子供や犬をせがまれる現在からか、定かではない。

 人生の進路を決断するときの動機は、今後の展望を見据えたものでなければならないと人は言う。僕は去年の暮れに仕事を辞めようと思ったとき、自分の決断が正しいか否か(この考えが過ちであることを承知の上で話を進めるが)、つまり現在CMディレクターをやれているにも関わらず、人脈もできてきたのにも関わらず、それを一旦捨ててまで映画の大学院もとい映画業界に行くべきかどうか聞きまくったことがある。そんな時に良く聞いたアドバイスが上記のそれだ。別に間違いだとは思わない。だがそれだけが正解ではない。後ろめたい理由があっても良いかもしれない。もちろんそれだけじゃダメだとは思うが、、、。前を見て歩く人もいれば、後ろ歩きで前に進む人もいたって良いのだ。

 後ろめたい理由ももちろんある。私は本来、現状が不満でもそれを受け入れられる事なかれ主義だったはずだし、牛に引かれて善光寺参りで人生を進めてきたのだから、“現在“を頑張れば幸福になれるだろうと思っていた。忙殺されるというのは客観視するとそのパワハラぶりに嫌悪する方もいらっしゃるだろうが、当の本人は、眠れないほど究極に忙しい場合、スポーツで言うなら“ゾーン“、西田幾多郎流に言うなら“純粋経験“に達する幸福感を味わっていたりもする。私もかつてはその一人だった。この瞬間に死んだらどれほど幸福だろうかと、幾度となく思いを抉らせたことがある。

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