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のらねこ旅日記≪万博≫

  2025年開催の大阪万博、いまいち盛り上がりに欠けているようで、なかなか1970年の日本万国博覧会のようには、いかないのですね。
  1970年の万博では、出不精のうちの父ですら、職場の人たちと行ったぐらいですから、相当盛り上がっていたんだと思います。(いまだに、お土産の風呂敷があります)

  私が初めて行った 万博は、1985年のつくば科学博(国際科学技術博覧会)でした。
  別にこの万博に興味があったわけではなかったのですが、当時好きだった劇団の公演が会場内であったので、それだけのために、筑波まで行きました。
  演劇の会場は、自由席で整理番号順の入場だったため、私は朝早く家を出て、その会場に1番近いゲートから入場するために、わざわざそのゲートの最寄駅を目指して、電車を乗り継ぎました。
(メインゲートへのルートとは別の駅だったので時間もかかりました)
  その日は生憎の土砂降りでした。
努力の甲斐もあり、早い整理番号をゲットした私でしたが、お芝居の開演は午後でだいぶ時間がありました。
  相変わらずの土砂降りの中、人気のパビリオンはどこも大行列で、とても並ぶ気になりませんでした。
  雨で靴の中までびしょびしょで、どこかで雨宿りがしたい私がたどり着いたのが
『南太平洋の国々のパビリオン』でした。
  そこは、南国の島々の民族資料館のようで、カヌーやら、銛やら、木製の仮面などが展示されていました。
見物客が少なく、座れるスペースもあったので、私はここで時間を潰しました。
ぼーっとここの展示を眺めながら
『どこが科学技術博なんだろう』と思いました。
  目的のお芝居を最前列で堪能した後、会場を出ると雨は止んでいました。
『1つくらいは、科学博らしいものが見たいな』と思った私は、ある企業パビリオンに並びました。
それは、ライドで施設中をめぐるもので、内容は覚えていませんが、なにかのエネルギーを表現して熱風が吹いている場所があり
『あぁ、服が乾く』と、ちょっとうれしく思いました。
  後日、母も勤め先の慰安旅行でつくば博に行きました。
母に「どうだった?」と感想を聞くと
「なんかよくわからないけど、ジャッキー・チェンがいた!」と喜んでいました。

  次に行った万博は、1990年大阪花博(国際花と緑の博覧会)で、何故か2回も行きました。
1回目は友人Hと行った伊勢志摩旅行のついでに足を延ばしました。
2回目は大阪出張の友人Yと現地で待ち合わせて、日帰りで行ってきました。
  展示については、世界一大きい蓮のオオオニバスや、世界一大きい花ラフレシアの標本を見た記憶しかありません。
  あとは、食べ物屋さんが激混みで、空いていたスリランカ料理の屋台で
『ゴダンバ』という小麦粉で作った皮にカレー味のじゃがいもをくるんだものを食べたことと、2回目の時に、もうすぐ閉会でなのでオブジェに飾ってあるお花を持って帰っていいとのことで、お客さんたちがバーゲンのように持って帰っていた記憶があります。
  特に驚いたのは、会場内のマンホールの蓋に付いていた、カラフルなイラストがはがされてなくなっている場所があったことです。会場のすみの方で金属製の蓋のイラストがはがされて、接着面のコンクリートがむき出しになっているのを見て
『こんなものまで持って帰るのか!』
『大阪、恐るべし』と思いました。
(大阪の皆様、ごめんなさい)

  2005年の愛・地球博(日本国際博覧会)は、特に何かの機会もなかったので行きませんでした。

  万博ではないのですが、地元で横浜博(1989年)がみなとみらい地区でありました。
  (確か)500円払って、約500mを2分30秒で走るリニアモーターカーに乗りました。
  発車時「窓枠を見ていて下さい」と、アナウンスがあり、凝視していると確かに数cm車体が浮かんだことがわかり、感動しましたが、走ったと思ったらあっという間に到着したので、高い運賃でした。

  さて、来年の大阪万博の目玉はなんでしょうかね?(マスコットは目玉だらけですが…)



  


   


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