菩薩たちも働き方改革!?
日本人は働きすぎなのだろうか?
もちろん人によって違うだろうが、1961年9月に発足した国際機関である経済協力開発機構(OECD)の統計によると、2022年ベースで加盟国38国中、日本人の労働時間は30位。つまり働いていない下位の部類に入る。
え~マジ!と驚かれる方も多いだろうが、私たちは思っている以上に働いていないようだ。
そして、この働きすぎや働くことへの問いかけは、年々、増えていくと思われる。なにせ少子化対策の代用としてAIやロボット化への勢いは加速し、SDGsに貢献しながら効率的に仕事を進めていく社会が到来しているからだ。
大乗仏教の前提は、菩薩の存在。
菩薩は「菩提薩埵(ぼだいさった)」の略称であり、意味は、「悟りを求め、人々を救うために修行を重ねる者」を指す。これを分かりやすく伝教大師最澄は、「己を忘れて、他を利するは慈悲の極みなり」と仏教の精神を説かれた。
そして、奈良の聖徳宗・中宮寺には、筆舌しがたいほど美しい半跏思惟の聖観音像が祀られているが、あの神秘さの奥に「どのように人々を救ったら良いのか」と思いめぐらす観音様の精神が息づいている。もし、あなたが娑婆という「生き馬の眼を抜く」というほど厳しい苦悩に満ちた世界で、生活を営みながらも人間としての座標を菩薩にさだめるなら、その姿は眩(まぶ)しい…。
京都には、修学旅行生が銀閣寺へ向かうさいに歩く道がある。
偉大なる哲学者・西田幾多郎師が哲学をした道である。かりに西田先生へ「その道で哲学をした時間は、労働ですか?」と尋ねたら日本の碩学(せきがく)は何と答えるだろうか…。
この世は矛盾に満ちている。
『華厳経』が説く「一即多、多即一」はどういう意味だろうか、「どうしたら世界に平和が訪れるだろうか」と無理難題に思いをめぐらせている筆者は、デジタル的な働き方改革のアナログ的な非効率の墓穴につまずくかもしれないwww
「観音がタイムカードを手ににぎる」
九拝 龍