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足るを知ることができない
最近、忙しくさせていただいている。
僕はBubbleというノーコード開発ツールを使用してWebシステムの開発をココナラなどで受注しているのだけど、なんだか最近は受注ラッシュ(?)がきて、お問い合わせがいっぱい来た。
本当に、ありがたいことである。僕には友達がいないので、作りたいサービスのアイデアなどを聞いたり話しているだけでも楽しい。
楽しいし嬉しいのだが、忙しいとストレスは溜まる。
そして、僕はストレスが溜まるとお金を浪費してしまう。
しかし、案件を受注しておりお金は稼いでいるわけなのでお金を使っても誰にも怒られないだろうということで逆に思いっきり使ってみた。
すると、めちゃくちゃ楽しかった。そしてそれと同時にお金が足りないということにも気づいてしまった。
今月は家賃や生活費も合わせると40万円ぐらい使った。
が、足りないのである。
毎月40万円を使うとなると最低でも月収手取り40万円が必要だ。
そうなると年収が手取りベースで480万円である。
![](https://assets.st-note.com/img/1719495992611-u6AtwQkgon.png?width=1200)
実際は年収のなかの何パーセントを賞与で占めるかという点や家族構成によって変わるのだが、概算で額面年収630万円で手取りはだいたい480万円。
これでようやく手取り月収が40万円ということになる。
年収630万円なら、普通に働いてればいくだろ・・・
と思った、そこの君!
貯金もできていなければ家を購入することもできておらず、車も持てず、子供も持てていないじゃないか!!
そう、年収630万円は最低ラインなのだ。
実際には、ローンを組んで購入する系のものや特別イベントによる出費が発生するのでもっと必要である。
時計も欲しい、車も欲しい。それぞれもう買いたいものは決めてある。
ランゲアンドゾーネとクラウンである。
月に10万円の余裕を持つとしたら年収750万円が必要になる。
そして、僕の本業である給与体系を考えるとおそらく僕はいけるところまでいっても750万円ぐらいだろうと思う(部長クラス)。
そのころには50歳とかにはなっているだろう。
僕が所属している会社は年功序列であり、どれだけ素晴らしい結果を残していたとしても出世スピードと幅には天井がある。
「でも副業をやっているんでしょ?それも合わせたら結構いい年収いくんじゃない?」
と思ったそこの君!
実はそれは、僕も考えていた。
しかし、こんな生活を50歳になっても続けられる自信はない。
足るを知ることができない
なんか長々と書いてきたが、言いたいことはたった一つである。
満足なんてできない。
元々副業をやっていなかったころは、毎月40万円使える人生なんてどれだけ素晴らしい人生なんだろうと思っていた。
家賃で7万5千円。食費で3千円。残りが30万円。一見すると余裕である。
しかし、実際に使ってみてどうだ?
50万円使いたくなるのだ。
50万円使ったらどう思うだろうか。そう、60万円使いたくなるのだ。
足るを知る者は富むという言葉がある。
老子の言葉で「満足することを知っている者は、たとえ貧しくとも精神的には豊かで、幸福であるということ」という意味であるらしい。
なんかいい言葉として。もてはやされているが、そんなものは理想論だ。
例えば、夜職を辞めてOLとして働くことにした女性がまた夜職に戻ってくる率はとても高い。
これは、生活水準を落とすことの難しさを示している。
一度、上を知ってしまえば下には戻れない。むしろより上じゃないと満足できなくなる。
俺たちは際限ないラットレースを走らされているのだ。
しかし世の中には本当に「満足している人」もいて、そういった人たちは一種の悟りみたいなものを開いているように見える。
僕は残念ながらそのレベルには達していない。
お金だけの話じゃないよって話
この満足できない問題はお金だけの話ではない。
副業にしても、元々は毎月5万円稼げたらすごいなって思えていたのに、今となっては10万円が最低ラインぐらいに思えている。
初めて本業以外でお金が入ったときは、そのお金を通帳に刻み込み、おろすときに感動したことを覚えている。
満足できない問題はどこまでも、そしていつでも追いかけてくる。
結論
ただ思ったことを書いているだけで読みづらいし読んでも何の得にもならないのに、ここまで読んでくれてありがとうございます。
最後に自分なりの結論を残します。
実際のところ、満足できるレベルなんて存在しないんだろうなと思う。
「満足した」んじゃなくて「妥協した」レベルが存在するだけだ。
それは仕方ないことだし決して悪いことでもないし揶揄されるようなことではない。むしろ妥協できずに破滅したり犯罪を犯す人は多くいる。
だが、まだ妥協するには自分は少しだけ若すぎる気がする。
そんなことを考えながら手を動かす日々だ。
宣伝
最後にココナラの宣伝をさせてください。
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