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対話道の探究(4、壊れる前の対話【転ばぬ先の杖、的な】)

コーチング、コーチングって
コーチングのことを書く記事だし、
私はコーチだからコーチングを一押しするわけだけど。

壊れてから診断を受けたり、薬の処方をしてもらうよりも
もっと、対話や面談を習慣にしたらどうか、
というのが私の気持ち。

一定の能力をもつ人が、ある日突然壊れていなくなると
本人だけでなく、本人の関係先各所がダメージを受ける。

日常生活が難なく送れているときは、
気がつかない、心のダメージやストレス。

本人もそんなものだと思って過ごしているし、
我慢強い人は、弱音を吐かない。

そして、気づかない・・・本人も周囲も。

気がついたら、
どうしようもない事態になっていることもある。

周囲は驚いてうろたえる。

そして言うのよ、
「もっと早く言ってくれたらよかったのに」って。

心ないひと言に聞こえるけど、
想定外のことになって、そう言うことしかできないってことかもしれないけど。

ストレスの発散に、
レジャー的なことにお金や時間を費やすことはよくあるけど
対話に投資する習慣も、そこに加えてもらえたらいいのになって思う。

私は自分が壊れた側なので
自分のような人がもう増えてほしくないなって思いがあるのだけれど

昔、起業塾みたいなセミナーに参加してその発言をしたら
「誰がそこにお金を出すんですか」
みたいなことを講師の先生からフィードバックを受けた。

がっかりした。やっぱりかって。
いや、そのフィードバックに、ということではなくて
そういう先生のほうが多いんだなってことに、だ。

起業に関する内容の講座だから、
儲けることと、
税金納めてもらう人を育成するのが目標だから仕方ないけど。

本当に自分のことを大切にするための教育、
小さい頃から、多くの場面でされてないもんな・・・って
思い知ったのだった。

集団の中で、ちょっと違うことをするとダメ人間みたいな評価をされる。
みんなと同じことができないと、できが悪いと言われる。

みんなと、みんなと、一緒に、一緒に・・・

そういう中で、自分の気持ちをごまかして、見えなくなって
発言することもふるまうこともしなくなる。

壊れても、誰も助けてくれないし、謝ってくれるわけでもない。
倒れたときに、思い知るのだ。
「命を粗末にしてきた」ってことを。

自分で自分を整えておく習慣に、「対話」の選択肢も入れたらいい。

レジャーの割引みたいに、福利厚生でコーチング料金の補助とか、会社さんにやってほしいなあ(やっている企業があっても、私が無知ということもある)。

吐き出す空間を、どこかにもっておくこと
強制的にでも、一旦休む習慣を対話でつくること

社会も会社も、人がいて成り立っている。

コーチングというと、
人材育成や目標達成ばかりが取り上げられることがまだ多くて。

ビジネス思考中心な感じがあまり好きではない私は、やっぱり
フツーに人間らしく生きるためのコーチング
をもっと広げていきたいのだ。

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